「うう……寒っ…」
時刻は午後十一時。
高級そうな店の前で、普段は絶対に着ないような服に身を包んでいる私。
彼との待ち合わせは二時間前の午後九時。二時間後の今、彼からメールが来て今日のデートはキャンセルされた。
「もう、…何なのよ………ばか」
正直言って本当に泣きそうな気持ちだ。いや、もう半泣きくらいしてると思う。
周りには幸せそうなカップルが見える。
その人達を見ていると、声を聞いていると、どうしようもなく虚しくなり、そこから離れた。
始めは早歩きで、それから人の姿が疎らになったあたりから全力で走った。
「寒い……」
最近は随分暖かくなったけれど、今日に限って寒さは冬並み。
その寒さによって体温が、そして彼を想ってしまい心が冷えていく。
最近全くと言っていいほど会っていなかった彼。
……浮気、されているとは思った。けれども気づかないフリをしていた。
そんなときにきた。彼からのメール。
別れ話をされるだろうと思った。
最後だと思っていた。
けれど、
「何で、会いもしないのよ……!!」
キャンセルされるなんて思わなかった。
何があったのかは知らない。もしかしたら始めからそうするつもりだったのかもしれない。
でも、そんな理由なんて全部どうでもよくて。
最後だから、と覚悟を決めていたとしてもどうしようもなく悔しくて悲しくて。
それからふらふらと玄関の前まで帰ってきてそこにある階段で膝を抱えてしゃがみこむ。
家に入る気力すらなかった。
そんな、色々と弱りきっているこのときに。
最も、会いたくない奴が来た。
「彼からフラれたんだってねぇ、なまえ」
いつもの黒いコートに身を包み、嘲るような微笑をたたえて現れたそいつ。
「……なんで、貴方がここにいるの?」
弱さなど、人には見られたくない。
ましてや嫌っている人間になど絶対に。
だから無理矢理に声を出し、睨みながらに問いかける。
「偶然だよ。偶然。
偶々君がフラれた話を聞いて、偶々此処に来ただけ」
表情を変えないまま私の隣に座ってくる。
私は、言っても無駄なことなんてとうに分かりきっているので何も言わないまま睨みつけるだけ。
「…あれ?何も言わないんだ」
「言っても、無駄でしょう」
「勿論」
「…………帰ってよ。私はあなたの傍になんて居たくない」
そのまま膝を抱えて蹲る。
てっきり何かを言い返されるのかと思って身構え(言葉構え?)をしていたのだけれど。
「……何?」
「本当に君は良い子だよね。俺なんかとは大違い」
ゆっくりと頭を撫でられる。
調子を狂わされることなんていつものことだが、今回はいつもと違う狂わせ方。
「なんだかんだ言っても毎回俺につきあってくれるてるし、それだけ『彼』を恨んでも結局はそいつの幸せを願って諦めるし」
「………」
「そうやって君は色々と諦めて周りの幸せを願って…君のためになることなんて無いと分かりきっているのにね」
「何にもならない。けれども人の幸せなんてものを願って自分の幸せを捨てる」
「何事もなかったように誰かにあって、話して、笑って全部隠して。……人が自分のために悲しまないように」
「でもさ、偶には……」
泣いてもいいんじゃない?
つらつらと、淡々と語っていたのに最後の最後、耳元で優しく囁かれた。
予想だにしていなかった言葉に、もう、どうしようもなく涙が出てくる。
どれだけ陳腐な言葉であろうとも、この時ばかりは―――。
泣いて、落ち着いた頃。
未だに隣に座って私の頭を撫で続けている男がふと、何かを思い出したらしい。
「仕事か何か?」
「いいや、君に言いたいこと。
聞いてくれる?」
顔を上げると眼をあわせられる。
夜の闇に良く映える赤い目。
それから、ゆっくりと目を合わせたまま聞かせられる。
口元には悪戯っぽい笑みを浮かべながら。
「ねぇ、なまえ。俺のものにならない?」
「………まさかこのタイミングでそんなことを言われるなんて思っていなかったわ。
やっぱり貴方には最低以外の言葉が見つからない」
さっきまでとは打って変わって今日初めに逢ったときの様にまた笑みを浮かべそんなことを言ってきた。
そこで、ようやく、からかわれていることを忘れてしまっていたことに気づく。
こいつが善意や同情なんかで何かをすることなど一度も無いのに。
「最低だなんてとうの昔に自覚してるよ」
「……それは、一体、何の嫌がらせ?」
「本気なんだけどな」
ははっ、と軽く笑うそいつ。
けれどすぐに真剣な表情になる。
「本気なのは嘘じゃないって言ったら信じるかい?」
「信じると思っているの?」
「今は、無理だろうね」
含みのある物言いをしてから、こちらを見てまた笑う。
実に嫌な笑い方で。
「安心してよ。今、君を奪う気は無いから」
「これからも貴方に惹かれることなんて無いわ」
「………ま、今はそれでいいかな」
そういった瞬間私を引っ張り自分の口元に私の耳を寄せて、甘ったるく最低な言葉を囁きやがった。
「必ず奪いに行くから覚悟しててよ」
(偶然なんて馬鹿馬鹿しい)