行方不明の優しさ


行方不明の優しさ



鬱血した手首に湿布を貼りながらテレビをちらりと見る。
そこには数時間前まで自分を組み敷いていた男の姿。
ブラウン管の大半を黒で塗り潰して彼は笑う。

昨夜。繰り返される夜。
「おかえりなさい、亮」
「あぁ…」
靴を脱ぎ捨ててすぐに彼は私を求める。
始めこそ戸惑ったが嫌がれば彼は喜び、酷くなる。
「…ん、亮……」
「………お前は俺のもの、だ」
そう言った顔は消された電球で見えなかった。

もう、恥ずかしそうに額に唇を落としてくれた彼はいない。



ヘルカイザーとテレビの中から聞こえて意識を戻す。
湿布を貼り終えた手は手持ち無沙汰にテーピングを転がしていた。



「………ん?」
ふと爪の先に何かがついているのが目に入る。
黒い……いや赤い。
「……………血?」
こびりつくように爪の間に赤黒いそれは紛れも無く血だった。
自分の腕をみやっても何の傷もない。
あるのは左手首と右の二の腕にある手形。そして薄くなった痣たち。
中で切れた血管達によってくっきりと刻まれた彼の支配。
痛みが消える前に新しく毎夜上乗りされていく見えない鎖。

「…………もしかして」
これは私の血ではないのかもしれない。



そして迎えた夜。繰り返される夜。
「おかえりなさい、亮」
「……あぁ」
頭を掬い上げられ、唇に熱が落ちてくる。
深く、やがて溺れるかのような口づけに移り変わって、私はついていけなくなる。

縋るように彼の黒いコートに爪をたてた。



「……ん、ぁ………ん…………ね、…ごはん、食べるよ、ね?」
「あぁ」
腰砕けになった私を置いて彼は着替えに私室へ入っていく。
それをにじむ視界の端に私は見送った。


食事中一言も喋らず彼は平らげてシャワーへ向かう。
その皿を洗いながら名無は爪を見る。
今はもう血らしきものはない、洗い流されてしまった。
綺麗な、爪。
リセットされる、夜。





目覚めると私は必ず彼に抱きしめられている。
男にしては細い、それでいてがっしりした腕の中で私は目覚めるのだ。
起こさないように抜け出すのは骨が折れる。
別に彼は起こしても怒りはしない。
ただそのまま離してもらえなくなるだけだ。

「…………んと…よっ………」
その真綿のような束縛からなんとか抜け出して、私はいつものように床の服に手を伸ばしてーーー止めた。

また、爪が赤い。
昨日見たよりも鮮やかな赤色。
ふと振り返れば少しだけ昔を思い出させるような寝顔の亮。

これは、彼の?…でも…………………………もしかして……

ベッドを軋ませないように亮の背中を覗きこんでーぎょっとした。
背中には何十にも重なった爪痕が。古いものから新しいもの、長いものから短いもの。手当てがされた様子はーーない。
「ーー!?」
短く息を呑む。
これは、やはり彼の血?!見てるだけでも痛々しい。
(ど、どうしよう…えと消毒液は……!)
救急箱は確か昼間使って棚へ戻したから…床に足を着きかけた瞬間腹に腕が回された。
「!?」
「……どこへ行く」
掠れた寝起き声の亮の温もりがまた私を包む。
眠たげで、しかし腰に回った腕は力強く引き寄せてそのままがっしりと離さない。
「あ、その救急箱を……」
「……救急箱だと?」
「えと、ごめん………い、痛いでしょ?」
「…………何がだ?」
「…………………………………その、背中の…………………………引っかき傷」
「………………」
「………」
沈黙する亮。気まずさと
恥ずかしくて俯いて顔をあげれない。ふぅとため息混じりに彼は言う。
「…別に、痛くはない」
「で、でも!」
思い切って顔をあげると目の前に深緑の瞳。上半身を起き上がらせた彼に抱き寄せられる。
「…亮?」
「気にするな、こんな傷とるに足らん」
「でも………………」

「これはお前を抱いた証拠だ。傷ではない、痕だ。気にする必要はない」




それにーー(俺はもうお前に優しくできない)ーーからーー(愛してるなんて言えない)ーーからーー




「え?」
「……………なんでもない」
聞き逃した言葉は、ベッドに沈められて二度と口からでることはなかった。
再び絡められた指と重なった身体。
熱っぽくうなされた亮の声が耳をくすぐる。
「名無、お前は、俺の、ものだ」
「………………」
「名無…」
「…うん、亮…わかってるよ」
まだ私には亮の言いたいことがわからない。私も何を伝えたらいいのかわからない。
けれど互いに背中に回した手があるだけで、今は充分だった。
痛みで伝わる言葉もあるのだから。


(いかないで、大好きだよ)
(すまない……愛してる)





Up、08/8/9


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