ああ、失敗した。
擦り切れてひりひりと痛む踵を机の下でそっと撫でながら、心の中で溜息を吐いた。
失敗した、このヒール。可愛いけど靴擦れしちゃう、しかもよりによって仕事中。
幾ら座り仕事の事務処理専門だからと言っても、それでも事務所内を歩き回る事は勿論ある訳で。
クラウスさんに書類を手渡しながら、痛みを堪えて無理に笑顔を浮かべる。

(ああ、もう!本当に失敗した!)

昼休みに入ると同時に私は、誰にも気付かれないように頭を抱えた。
今から新しい靴を買いに行く?
いやいや、そんな。決して貧しくはないけれど、そこまで生活に余裕がある訳でもない。
そもそもが、この靴で、この足で、外に買い物になんて出られる?無理だろうな。
じゃあいっそこの靴を脱いでしまう、とか?
いやいやいや、それはそれでおかしい。絶対おかしい。
お昼ご飯を食べる事も忘れてさてどうしたものかと考え込む私をよそに、颯爽とジャケットを片手に事務所の入口へ向かうスターフェイズさんが横切った。

「ちょっと出てくるよ。何か必要なものはあるかい?」
「いえ!大丈夫です、お気遣いありがとうございます」

突然掛けられた声にはっと我に返り慌てて返事をした私を一瞥して、スターフェイズさんは事務所を出て行ってしまった。
お昼ご飯かな?また駅前のサブウェイかな?
そんな事をぼんやり考えながら、私はひりひり痛む踵を恨めしく睨んだ。

「なまえ、この書類なのだが」
「あ、はい!今行きます!」

こんな時に限って、クラウスさんは自分の机で難しそうな顔で書類を見ながら私を呼ぶものだから、私は半ば足を引き摺るように、けれど決してばれないようにしてクラウスさんの元へ向かう。
そうして書類の説明をしている内に、立っているのもやっとな程に足が悲鳴を上げ始めた。
それでも、クラウスさんの真面目な顔を目の当たりにしてしまったら、中断することも出来なくて。
ああもうこれ、明日は絶対絆創膏貼りまくっておこう。
そう諦めた私の後ろで、事務所の入口が開く。
振り返ればそこにはつい10分ほど前に出て行ったスターフェイズさんが居て、でもその手にサブウェイの紙袋はなかった。
代わりに、シンプルだけど上品な装丁の箱をひとつ、持っていて。

「お帰りなさい、スターフェイズさん」
「ああ、なまえ。クラウスとの話は終わったかい?」
「うむ、今終わった所だ。なまえ、昼時に済まなかったな。休憩に入ってくれ給え」
「そうかい、それならちょうどよかった。なまえ」
「はい?」

返事をして見上げたスターフェイズさんが、思ったよりもずっと近くに居て。
思わず固まる私を何故かスターフェイズさんは軽々と、抱き上げてしまった。
突然の事に頭が真っ白になりながらも、私は精一杯の質問を口に出す。

「ああああ、あのスターフェイズさん!?なんでしょうかこれは!?」

戸惑い叫ぶ私を意に介さず、スターフェイズさんは片手に私、片手に箱を持って事務所の中をこつこつと靴音を立てて歩く。
そしてたどり着いたソファに私を降ろして座らせると、自分はその足元に跪くように屈んだ。
驚きの連続で、最早声も出せない。
そんな私の足をするり、持ち上げたスターフェイズさんは。

「やっぱり。靴擦れ、痛いだろう」

ぽとりと、私の足からその慣れないヒールを落として、踵の傷へ長い指が触れる。
瞬間、ぞわりと背中を走った何かには、気付かない振りをした。
スターフェイズさんは傍らの箱を開けると、おもむろに中の物を取り出した。
目の前に並べられたのは、その箱に見合ったシンプルで上品で華奢で、そして恐らく私ではおおよそ手が届かない値段であろう、美しい靴。
それを事もあろうにスターフェイズさんは、私の足にそっと履かせたのだ。
唖然とする私の足にそれは、まるで誂えたようにぴったりと嵌ってしまう。

「よし、ぴったりだな」
「え、スターフェイズさんこれは、」
「慣れない靴である事に変わりはないが、痛いよりはマシだろう?とりあえず今日の所は、履いておくといい」

そう言って当たり前のように、靴が入っていた箱に私の靴擦れの原因であるヒールを仕舞って。
スターフェイズさんは足元に屈んだまま、私を見上げる。
その真っ直ぐな瞳とばっちりかち合ってしまって、私の心臓は無駄に早鐘を打った。

「で、でも、こんな良い靴、私お支払い出来ないです・・・!」
「ああ、俺が勝手に買って来たんだからそれはいいよ。気にしないでくれ」

こんな高価な物を一方的とは言え頂いてしまって、気にしないでくれと言われて気にしないで居られるのはどこぞの度し難いクズだけだと思いますけどね!
私の叫びは、心の中だけで響く。
だけどスターフェイズさんは、その靴の嵌った私の足を触れるか触れないかでなぞって、それから落とす様に笑って言うから。

「似合うよ、なまえ。俺の目は確かだったな、なんて」

その顔が酷く自然に、笑っているから。
ああ、この人はとても。こんな事に、慣れてるんだな。
私のようなちんちくりんの小娘にさえ、こんな風に自然にこんな事が出来てしまう程に。
そう思ったら何故か、擦り切れた踵よりも先に、胸の奥が鋭く痛んだ。
それと同時に、私はひとつだけ、その心に決める。
だから、一度そっと目を伏せて、それから瞼を上げて。

「ありがとうございます、スターフェイズさん」

きっとその笑顔は、今までのどんな顔よりも完璧に装えていたはずだ。
痛む踵も、痛む心も、全部全部隠して。完璧に。
私はふと、自分の足に嵌ったその美しい靴を見下ろして。
勿体無いけれど、これを履く事はもうないんだろうな、とぼんやり考えた。



花の足枷
(私には不釣合いな、それは)








シリーズ中に出て来た、伊達男スターフェイズ氏のお靴プレゼントの話
この一件からお嬢さんはスターフェイズ氏と距離を置くようになりましたとさ





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