華やかな会場、賑わう人波。
なるほど確かにこれは、表向きだけなら立派な社交パーティーだ。
あちこちから聞こえる楽しげな笑い声を聞くともなしに聞き流しながら、目立たない壁に背を付けてひとり溜息を吐いた。
慣れないヒールが、踵で擦れて痛い。
思わず俯きそうになる顔を何とか保って、私は少し離れた場所に居るスターフェイズさんを見てみる。
彼は先程声を掛けられた知り合いの女性と、談笑中だ。
卒のない仕草、完璧な振る舞い、浮かべられた笑顔。
こういう所を目の当たりにしてしまうと、ついつい考えてしまう。
(スターフェイズさんってやっぱり、すごい人なんだな)
再び落ちそうになった溜息は、スターフェイズさんが不意にこちらを振り向いた事で喉の奥で消えた。
笑顔で手招きをする彼に、私は少しだけ迷って、それでもそちらへ向かう。
「紹介が遅れたね、今日の僕のパートナーだ」
そう言って、よそ行きの笑顔でスターフェイズさんが私を紹介する。
目の前の美人さんはおどおどと挨拶をする私をちらりと見下ろして、それからすぐにスターフェイズさんの方へ向き直ってしまう。
甘えと媚を詰めた鼻に掛かった声が、私の耳にも届く。
「いやですわ、スターフェイズさん。姪御さんをお誘いになるなら先に、わたくしにお声を掛けて頂けたら良かったのに」
「ははっ、次は是非そうさせて頂こう」
姪御さん、ね。
K・Kとチェインの読みはばっちり当たってたよ。
まあ確かに、私とスターフェイズさんじゃどう見たってそんな風にしか見えないんだろうけど。
だけど、スターフェイズさんだってそれを否定することも訂正することもなく、ただ笑っているから。
私は心の中で唇を尖らせて頬を膨らませて、その場をそっと後にした。
そうしてまた、ひとり壁の花に徹する。
ぐるりと会場を見渡して見るけれど、他のメンバーの姿は見えない。
多分、それぞれが与えられた任務をこなしているんだろう。
せめてザップでも居てくれたら暇潰しにはなったのに、と、この場に居ない彼に八つ当たりをしながら手近なテーブルに置かれていたシャンパングラスを手に取った。
黄金色の液体をシャンデリアの明かりに透かしてから、一口。
甘いような苦いようなその慣れない味に眉を顰めていると、耳元に隠したインカムから突然響く低音。
「あまり飲むなよ、君にはまだ早い」
「・・・お心遣い、ありがとうございます」
全開にされる子供扱いについぶっきらぼうになる声、それにスターフェイズさんがインカムの向こうで笑った。
「そんなに拗ねないでくれ。さっきの相手はちょっと厄介で邪険には出来ないスポンサーだったんだ」
「別に、拗ねてなんかいませんよ」
ちっとも可愛くない私の言葉にすら、スターフェイズさんは笑う。
そっと上げた視線の先で、その穏やかな笑顔が私へ向けられている事に気付いてしまって。
ああ、もう。本当に、もう。
私は半ば自棄になってシャンパングラスを一気に呷ろうとした、その瞬間。
黄金色のグラスの向こうを通りかかる、一人の男性。
私は思わず目を丸めて、その姿を凝視する。
見間違えるはずない、何度だって確認した。
配られた書類にあった、今回のパーティーの主催者。もとい、臓器売買組織の幹部。
「スターフェイズさん!」
インカム越しの私の切迫した声に、スターフェイズさんが表情を一変してこちらを見る。
「見つけました!書類にあった幹部です!私の、目の前!」
「分かった、すぐ行く。君はそこを動くな」
絶対に、と言うスターフェイズさんの念押しは聞こえていた。
けれどそれより一瞬早く、その男性が人波に紛れるようにして歩き出してしまったから。
私は慌てて、その背中を追い掛ける。
たくさんの人に抗って、決して見失うものかと瞬きすら惜しんで。
だって折角、少しでもみんなの役に立てるかも知れないんだから。
インカムの向こうからは、低い舌打ちが聞こえたような気がした。
それでも私は、男性の背中を追い掛ける。
そうして伸ばした指がやっとの事で、その人のスーツの裾を掴んで。
振り向いたその人が、驚いた表情で私を見る。
その拍子に私の手からはシャンパングラスが滑り落ちて、けたたましい音を立てて床とぶつかった。
「・・・どうされました、お嬢さん?」
「いえ、あの・・・少し体調が悪くて・・・何処か休める場所をご存知ないですか?」
咄嗟に口をついて出た私にしては上出来の台詞に、その人がすっと目を細める。
それから、スーツを掴んだ私の指を、恭しく取って。
貼り付けたような笑みが、隠しきれない悪意を滲ませていた。
「それはそれは、静かなお部屋をご案内しましょう・・・こちらへ」
私は引かれる腕に従って、痛む足を引き摺りながらもホールを後にした。
階段を幾つか上がった先の薄暗い廊下で、突然耳元のインカムからノイズが走る。
妨害電波か、と悟って、仕方なくそれを耳から外して羽織っていたボレロのポケットへ気付かれないように滑り込ませた。
連絡手段は無くなってしまったけれど、今更ここで退くなんて出来ない。
ぎゅっと両手を握り込んで、震えそうになる身体を叱?した。
不意に、数歩先を歩いていた男性が足を止めてこちらを振り向く。
「時にお嬢さん、あなたは見る限りご健康そうですが、持病などは?」
不気味なほど、瞳孔が開いていた。
濁ったその瞳の色がぎらり、光る。
「いえ、ありませんけれど」
「そうですか、それなら」
上々だ。
吐き出された言葉と共に、一瞬で伸びて来た男の手が、私の首を掴んで。
容赦なく加わるその力に、ぎりぎりと絞まっていく私の気道。
苦しい、痛い、苦しい。
けれど、私にも出来る事があるなら、それが僅かだって、役に立ちたい。
例えそれで私が、いなくなってしまうとしても。
瞳孔の開ききった男の目を真っ直ぐに見つめて、私は掠れた声を絞り出した。
「・・・逸らすな」
頭の中できん、と高い音が鳴って、そうして私の唯一でなけなしの力が発動する。
動揺した男は、それでももう私から目を逸らせない。
続いて、もう一言。
「動くな」
ぴたり、男の身体が何かに縛られたように固まる。
私の首はぎりぎりと絞めたままで、男が怒りに顔を歪めた。
「貴様、能力持ちか・・・!」
「もう、遅い・・・」
あとは私が目を逸らさない限り、この男は動けない。
ゆるゆると絞め続けられる首に、少しずつ酸素が足りなくなっていく。
徐々に霞む視界で、それでも私は男を見据えたまま。
「はっ、それでもこうして首を絞め続けていれば、お前もいずれは死ぬだろう!」
そう、それはごもっともなんだけど。
だけど、それよりも先に必ず助けてくれる人がいる事を、私は知っているから。
緩く微笑んだ私を見遣った男の目が、その背後を見て恐怖に染まった。
その、一瞬。
「・・・エスメラルダ式血凍道」
《絶対零度の剣》。
響いた低い声と共に、ぱきぱきと音を立てて周りの空気の温度がぐっと下がる。
白む意識にやっと目を伏せた私は、あっという間に氷漬けになった男の手から解放されて崩れ落ちる。
それを支えるのは、しっかりとした優しい腕。
「君は本当に馬鹿か!?動くなって言っただろう!よりによって単独行動なんてして、あっという間に居なくなるし!インカムが切れた時には本当に焦ったんだぞ!」
怒鳴る声にゆるりと持ち上げた瞼の向こうで、いつもよりずっと険しい顔のスターフェイズさんが居た。
「・・・スターフェイズさん、怒ってます?」
私の肩に自分のジャケットを掛けながら、スターフェイズさんが私を軽々と抱き上げる。
「・・・ああ、怒ってるよ。そりゃもう、かんかんだ」
「ごめんなさい・・・私、みんなの役に少しでも立ちたくて・・・でもやっぱり、迷惑掛けてしまいました」
ごめんなさい。
もう一度繰り返した謝罪に、スターフェイズさんが溜息を零した。
冷たい空気の中でそれは、白く色付く。
「なまえ、君は俺がどうして怒っているのか分かってないな」
未だにひりひり痛む喉から声が出ずに、代わりに私は首を傾げてスターフェイズさんを見上げた。
こつこつ、私を抱き上げたままでスターフェイズさんは薄暗い廊下を歩く。
「君はそうやって、自分を投げ打ってでも何かをしようとする。もっと自分を大切にしてくれって、それを怒ってるんだ」
酸素の足りない私の頭に、その言葉はぐるぐると回って。
それはまるで、私にいて欲しいと言っているように聞こえてしまって。
ああ、単純な私の思考回路は、言葉の意味を考える暇もなく口に出してしまう。
「じゃあ、スターフェイズさんが大切にしてくれませんか」
白く色付いた言葉に、スターフェイズさんが足を止めて私を見下ろす。
丸くなるその瞳に苦しそうな、けれど微笑む私が映り込んでいた。
何かを言おうと薄く開きかけたスターフェイズさんの唇は、結局何も零さずに閉じられた。
代わりに、私の額にその唇がそっと寄せられて。
ほんの一瞬、まるで壊れ物を扱うようにして触れたそれは、少しだけ冷たかった。
「俺以上に君を大切にしてる奴なんて居ないと、自負しても構わないよ。なまえ」
ねぇ、スターフェイズさん。
その言葉は、私の都合の良いように取ってしまってもいいんですか?
もしかしたら、傷付かなくてもいいのかも知れないなんて、自惚れてしまってもいいんですか?
沈んで行く意識の中で、閉じた瞼の奥で。
いいよ、と、あなたが笑った気がしたから。
次に目を開けた時にはもう私はきっと、迷わない。
迷子の気持ちを捕まえた
(多分そう、この感情に名前を付けるなら)
潜入捜査ネタ本編、颯爽と助けに現れるスターフェイズ氏が書きたかった
お嬢さんがやっと決意を固めたので、そろそろ大詰めです