ライブラ事務所のソファに深く凭れて、なまえ・みょうじは天井を仰いだ。
「・・・あー・・・」
その口から呻きのような息が吐き出されるのを、向かいのソファに座っていたレオナルド・ウォッチが珍しそうに見遣る。
「どうしたんですか、なまえさん。随分お疲れっすね?」
「いやまぁうん、身体は至って元気なんだけどね、何て言うか・・・精神的にね・・・」
ほとほと参った様子のなまえに、レオとソニックが顔を見合わせた。
あの爆弾発言事件以来、スティーブン・A・スターフェイズは隙あらばなまえをランチなりディナーなりに積極的に声を掛けて来る。
いや、よく考えてみればそれ以前にもそんな事は度々あったのだけど、改めて言われて考えてみればそれはもう、なまえにとってはなんとも重圧で。
最近ではとにかく、スティーブンから距離を置く事を第一に立ち振舞っている程だった。
それでもそんななまえの数段上を行くのがスティーブンで、その度にその経験値と余裕の差に振り回されるのは勿論なまえなのだけど。
「・・・レオ君は今、気になる人とか居る?」
「でぇっ!?ぼ、ボクですか!?居ませんよ!!なんで急に!?」
突然振られた話題にレオが分かりやすく動揺するのを見て、なまえは「あ、これは好きな子いるな」等とぼんやり考える。
「いいねぇ、青春だねぇ・・・」
「なんか年寄りっぽいっすよ、なまえさん・・・と言うか、そういうなまえさんの方こそどうなんですか?」
「なにがー?」
「スティーブンさんですよ。すっごい熱烈なアタック貰ってるじゃないですか」
レオの言葉に、なまえの顔がぐりんと正面を向いた。
その形相は、レオが思わず怯む程で。
ソニックすら脅えて、レオの後ろへ隠れた。
それに一拍置いて、なまえが長い溜息を吐きながら俯く。
「・・・やっぱり、そう見える?」
「いや、どう見てもあれはそれしかないっすよ」
「そう・・・なんで、」
再び溜息を吐いたなまえが何かを言おうと口を開きかけた所で、事務所の入口が開いて外回りに出ていた秘密結社ライブラのリーダーが帰って来た。
勿論、その番頭役も一緒に。
次の任務の概要であろう書類をそれぞれ受け取りながら、なまえはさりげなくスティーブンから一番遠い場所を陣取った。
「今回は「異界」側と通じて臓器売買をしている組織へ潜入、及び摘発が目的だ」
我らがリーダー、クラウス・V・ラインヘルツの説明を聞きながら、なまえも手元の書類に目を通す。
と言っても、事務処理専門のなまえが現場に赴いて実際に任務に参加することはほぼゼロに等しかった。
だから今回も、事務所の留守を守りながらみんなの無事を祈る事に徹する歯痒い立場だろうと、そう思っていたのだけど。
「ちなみに今回の会場は表向きは社交パーティーを装っている。基本的に男女一組でないと潜入出来ない。従って、」
そこで、クラウスがなまえを見遣った。
釣られて、ライブラのメンバーもなまえを見る。
一斉に視線を浴びてぱちくりと瞬きを繰り返したなまえに、クラウスが告げる。
「今回はなまえにも参加してもらう・・・すまないが、協力を頼む」
「あ、はい!」
うむ、と頷いたクラウスは再び概要説明に戻ってしまって。
勢いで返事をしたはいいけれど、なまえはその意味をよくよく考えてみる。
臓器売買、組織、任務。社交パーティー、男女一組。
あ、これはまずい。
脳裏をよぎった予感に、なまえは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。
「と、言う所だ。何か質問は?」
「はい!」
メンバーを見渡すクラウスの問いに、なまえが真っ直ぐに手を上げた。
そうして、なまえにとっての最悪の事態を避ける為のなけなしの主張をする。
「私はザップと組みます!ザップと組ませて下さい!」
隣のザップ・レンフロからは何やら文句が色々飛んで来たが、なまえはそれを無視した。
真っ直ぐに手を上げて真っ直ぐに自分を見つめ続けるなまえへ、けれどクラウスは無慈悲な一言を投げる。
「いや、それには及ばない。男女の組み合わせは主に能力等を鑑みてこちらでさせて貰った・・・私とK・K、ザップとチェイン、そしてスティーブンとなまえ、君だ」
ああ、神様。どうしてそこまであなたは私に受難をお与えになるのでしょう。
ばっちり当たってしまった予感と最悪の事態に、なまえは呆然と立ち尽くす。
よりによって、よりにもよって、スターフェイズさんと一組?しかも社交パーティー?
クラウスさん、能力よりも先に見た目で鑑みて欲しい。どう見たって私とスターフェイズさんが釣り合う訳がないんだから。
絶望に打ちひしがれ無言になるなまえへ、ザップが更に追い打ちをかける。
「なんだなまえお前、スターフェイズさんとじゃ不満か?随分とお高い女だなぁ、おお?」
「ちが、違うの!そうじゃなくて!私そんなパーティーに出れるような服持ってないし!」
「じゃあ一緒に買いに行こうか、なまえ。選んであげる」
「ありがとうチェイン・・・違う!そうじゃなくて!私なんか行ったらお荷物になるだけでしょう!だったらレオ君を女装させて行った方が何倍もマシだと思います!」
「なまえさんそれ僕の人権は無視っすか・・・」
「レオには別の任務を頼んでいる、すまないななまえ。危険な目に合わせてしまうが・・・」
「いえ!クラウスさんが仰るなら何処でも行きますけど!・・・じゃなくて!そうじゃなくて!」
私じゃどう見てもスターフェイズさんと釣り合いません!
なまえの心の底からの叫びに、一同に一瞬の沈黙が流れる。
肯定とも取れるその沈黙に、更にザップが一言。
「まあ、こんなちんちくりんじゃそもそも会場に入れるかすら怪しぐふっ!」
瞬時飛んだチェイン・皇の膝を顔面に思い切り食らって、ザップが撃沈する。
それをまた流して、K・Kがなまえの肩に手を掛けた。
「大丈夫よなまえ、私とチェインでばっちり可愛くしたげるから。スカーフェイスなんかにはもったいない位にしたげるから」
「任せて」
倒れたザップの顔面を尚も踏み付けて親指をぐっと立てて見せたチェインに、なまえはいよいよ観念したように溜息をひとつ小さく零した。
それを合図にしたかのようにそれぞれが準備に入る為、ぱらぱらとその場を後にし始める。
未だに肩を落とすなまえの隣に、不意にスティーブンが立っていて。
「楽しみにしてるよ」
ばっと勢いよく上げたなまえの顔の先で、いつもより格段に輝いた笑顔とかち合った。
そしてひやり、冷たい汗を背中に伝わせる一言と共に。
「君がどうしてそこまで俺と組むのが嫌なのかも、ゆっくり聞かせて貰おう」
その笑顔はまさに、絶対零度だった。
「うー、えー・・・やっぱり嫌だよー、絶対似合ってないよー、変だよー・・・」
「そんな事ないわよ、なまえ。ばっちり可愛いわ」
今にも泣き出しそうな顔でぐずぐずと言い募るなまえの髪に、カサブランカを模した髪飾りを差してK・Kが励ます。
その正面ではチェインが、なまえの頬へチークを丸く入れて。
「可愛いよ、なまえ。ばっちり」
「うえー・・・私なんかより全然可愛いチェインと全然綺麗なK・Kに言われてもあんまり説得力無いよ・・・」
普段ですら、この二人と並んだら自分の平々凡々さが際立ってしまうのだ。
それがパーティーの為に着飾ったチェインとK・Kと並んだら、尚の事惨めになってしまう。
ぎゅっと握ったなまえの手の中で、上等なサテンのドレスがくしゃりと音を立てた。
「まあ、スカーフェイスと並んだら親子とか叔父と姪とか、下手したら犯罪っぽいけど」
「っすね」
さらりと酷い事を言ってのけるK・Kと、それに同意するチェイン。
それすらも耳に入らず、どうにかしてこの任務に参加せずに済まないか、いやでもそれではクラウスさんやみんなに迷惑を掛けてしまう、と悩むなまえ。
その時ふと女性陣の身支度用にと用意された部屋の外、事務所の方でザップの「おい遅ェんだよ早くしろクソ犬女!」と言う声が響いた。
それにすっと目を細めて立ち上がったチェインがその場から煙のように消えて、そして外で響くザップの悲鳴。
いつも通りのそれに少しばかりなまえが心を落ち着けたのも束の間、控えめなノックの音にK・Kが返事をすれば扉の先には礼服に身を包んだクラウスとスティーブンが立っていた。
K・Kは「クラっち〜!」と声を上げて駆け寄り、部屋から出る寸前で一度振り返ってなまえへと意味深なウィンクをひとつ投げて行ってしまった。
ひとり取り残されたなまえは、慣れないヒールで椅子から立ち上がろうとして軽くよろめく。
それをすかさず支えるのは、スティーブンの腕。
「あ、ありがとうございます・・・」
俯いたままで、なまえが小さく呟く。
目を合わせるどころか、その顔さえ見ることが出来ない。
ああもう今すぐに消えてしまいたい!チェインの能力が羨ましい!
心の中でさめざめと泣くなまえの手を取って、スティーブンがその姿をまじまじと見る。
けれど、その口からは何の言葉もない。
ほら!もう!絶対似合わないって!呆れられてる!
「す、スターフェイズさん私やっぱり、」
行けません、と、続くはずだったなまえの言葉は喉の奥に引っかかったままで出て来なかった。
するりと伸びて来たスティーブンの指が、なまえの流れる髪をひと束掬って。
まるでそれが当たり前のように、自然に口付けた。
これでもかと目を丸めるなまえにスティーブンはふと、笑い掛ける。
「よく似合っているよ、なまえ。綺麗だ」
「は、」
なまえの口から溢れた息は、意味を成さない音だった。
瞬きも呼吸も忘れて、なまえはぽかんと立ち尽くす。
そんななまえの手を優しく引いて、スティーブンが歩き出した。
こつこつと、慣れないなまえのヒールと、スティーブンの独特の靴音だけが響く。
出遅れてしまって、最早誰も居なくなったライブラの事務所を通り過ぎて。
時折足がもつれるなまえを、その度にスティーブンがさりげなく支える。
「・・・参ったな」
「え?」
突然、スティーブンが独り言のように零した。
手を引かれて一生懸命に着いて行くなまえは、後ろからそのスティーブンを見上げる。
その表情までは、窺えない。
「君はいつも素敵だけど、今日は特別魅力的だ」
このまま、攫って仕舞おうかと思った。
ぽつり、落とされる言葉に、なまえの思考はいよいよ回転を止める。
ざわざわと、騒ぐのは心の奥。
いつからか仕舞い込んでいた、心の奥の、何か。
なまえは開きかけた唇をぎゅっと引き結んで、何故か緩みそうになる涙腺を必死に堪える。
ふらり。よろめいた身体をしっかりと確かに支えるその腕が、いつだって力強くて頼れる事を本当はとっくに分かっていた。
目の前の大きな背中が、いつだって自分を守ってくれる事を本当はとっくに知っていた。
慣れないヒールに合わせてくれるその歩幅が、いつだって優しいその理由を本当はとっくに。
だけど臆病な心がまだ、傷付く事を恐れている。
だから、半歩分空いたこの距離はまだ、詰められないままで。
「スターフェイズさん」
振り返ったスティーブンに、なまえは繋がれた手に少しだけ力を込めてみた。
一瞬驚いたような表情を浮かべたスティーブンは、それでも苦笑を零して。
「なまえ。そんな顔をされたら、本当に攫って仕舞うよ」
「そ、」
「ああ、そうだ。このまま攫って仕舞って、君がどうしてそんなに俺と組むのが嫌なのかをみっちりゆっくり聞くのもいいなぁ」
まるで自分までをも誤魔化すようなスティーブンの言葉に、なまえは目を伏せて、それから睫毛を揺らして笑う。
「この任務が無事に終わったら、シチューでも食べながら如何ですか?」
「・・・本当に、君には敵わないよ」
その約束、覚えていてくれよ。
そう言って強く引かれた腕に、まるで踊り出すようにしてなまえが歩く。
かつかつ、こつこつ、ふたつの足音がリズムを刻みながら。
臆病者のてのひら
(手放すなんて、まっぴらごめんだ)
ありがちな潜入任務ネタのはずが準備段階で長くなり過ぎて、任務本編は別になってしまうという無計画さ
わちゃわちゃしてるライブラメンバーが書きたかったという無謀さ