「なまえ、そこに段差があるから気を付けて」
そんな言葉と共にごく自然に差し出される手を見つめて、私は瞬時戸惑う。
ここ最近、スターフェイズさんは何だかおかしい。
私に対する様子が、おかしい。
些細な段差には手を差し出して、道を歩く時には常に私を庇うように車道側を歩いて、少しでも何かに躓いてバランスを崩せば即座に長い腕が伸びて来てそれを止める。
過保護、と言うよりは、子供扱い、に近いだろうか。
どうして急にそうなったのか分からずに、そしてまた目の前に差し出されているその手を見つめて私は心の中で首を傾げた。
その手は、取らないままで。
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
そうしてヘルサレムズロットの煙る霧の中を歩き出す私の後ろを、スターフェイズさんは軽く首を竦めてから着いてくる。
足の長さの違いですぐに縮まった距離、隣に並んだスターフェイズさんはやっぱり車道側。
さりげなく、すれ違う人波からも私を庇って。
「・・・スターフェイズさん、」
「なんだい?」
私を見下ろすその顔はいつもと全く同じ笑顔だから、結局「なんでもないです」と返して街を歩いた。
私の唯一と言っていい外出任務である先方へ書類を届ける今日も、お目付け役を自ら買って出てくれたのはスターフェイズさんだった。
今までなら、文句を言いながらもなんだかんだで着いて来てくれるザップや、まるで女子会のようなノリで付き合ってくれるチェインやK・Kがその役割だった。
それが最近になって、まるで図ったかのように私が外に出るタイミングでスターフェイズさんが居合わせて、そのまま一緒に来てくれるようになっていた。
なんだか少し、心の奥がざわつく。
これじゃあ、まるで。
浮かんだ万が一にも有り得ない可能性を頭の端から追い出して、私は帰りの満員電車の中で流れる車窓をぼんやりと眺める。
だから次に停車した駅で、私が眺めていた反対のドアからたくさんの人が乗って来た事に気付くのが遅れて。
あっという間にぎゅうぎゅうになった車内で、隣に入り込んで来た人を避けようと身を捩って振り返ったら、その正面にはスターフェイズさんが立っていた。
いや、スターフェイズさんは私の後ろにずっと居たし、それを私は時折反射するガラスで見ていた。
けれどいざ向かい合ってみたら、思ったよりもその距離が近い事にはたと気付く。
ドアを背にして所在なく視線を彷徨わせる私を意に介さず、スターフェイズさんはさっきまでの私のように車窓の外を眺めている。
不意に、揺れる電車。ぐらつく車内、動く人波。
重力に押されてよろめいた私の背中を咄嗟に支えるのは、やっぱりスターフェイズさんの腕だった。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫、です・・・ありがとうございます」
「大分混んでるなぁ・・・掴まる所が無ければ俺に掴まっていて構わないぞ、なまえ」
スティーブンさんの言う端から、再び電車が大きく揺れて。
さっきよりもよろめく私の背中を強く支えたスターフェイズさんは、吊り革を掴んでいた方の手を伸ばして私の背後の扉へ付けた。
つまり私は後ろの扉と前のスターフェイズさんに挟まれて、囲まれた格好になる。
私の視界はスターフェイズさんの仕立ての良いスーツだけになってしまって、さっきの何倍も距離が近くなってしまった。
「あ、あのスターフェイズさん、私大丈夫ですので、その」
「うん?」
こんな時ばかりスターフェイズさんは「何の事か分からない」という笑顔で私を見つめるのだから、狡い。
普段なら、気付いて欲しくないような事まで目聡く察する人なのに。
多分恐らくきっと、これはわざとだろう。
けれどそれがわざとだと分かっていても、結局の所私には顔を逸らしてその場をやり過ごすと言う選択しかないんだけれど。
早く駅に着かないだろうかとそればっかり必死に考えていると、ぐらりとまたしても大きく車体が揺れた。
バランスを崩した私は思わず、本当に不慮の事態だけど、目の前のスターフェイズさんのスーツへ縋るように掴まってしまう。
「あっ!す、すみません!」
慌てて謝って見上げた顔が何故か、酷く満足そうに笑っていた。
私は瞬時頭が真っ白になって、それから顔を伏せる。
出来れば不可抗力で赤くなってしまった顔に気付かれていませんように、と願いながら。
だってそんな不意打ちのような表情、卑怯だ狡い。
「・・・スターフェイズさんは、」
「なに?」
スターフェイズさんから降り注ぐ視線に耐えかねて呟くと、騒音に邪魔されないようになのか、スターフェイズさんがその長身を屈めて私の方へ顔を寄せる。
それにすら息を詰めながら、私はたどたどしく言葉を出した。
「どうして最近突然、私を子供扱いするようになったんですか?」
私の言葉に、スターフェイズさんが目を丸くする。
それから、呆れたように落とされる溜息ひとつ。
何か悪い事でも言っただろうかと、私は焦って言い訳のように続ける。
「私もライブラに入って二年経ったんですけど、やっぱりまだそんなに頼りないですか?確かに何も出来ないですし、みなさんの役には立てないけど・・・自分の事は自分で出来るつもりでした」
「君は本当に、ことごとく斜め上を行ってくれるよ」
「え?」
苦笑混じりのスターフェイズさんの言葉に首を傾げると、不意に背中を支えていた手が離れた。
けれどその手はすぐに、私の髪をさらりと梳かして。
「子供扱いしてる訳じゃないさ、俺なりに本気を出してるだけなんだけどな」
「本気?」
ぽかんとする私にスターフェイズさんは笑って、更に距離を詰める。
吐息すら分かりそうなその距離で、低い声が囁く。
その音は電車の騒音に紛れることなく、私の耳へ真っ直ぐ届いた。
「そう、本気。本気で君をレディ扱いしてるんだ、なまえ。全力でね」
忘れた呼吸は、そのまま脳に酸素の供給を止める。
だから私の思考回路はぷつり、止まってしまって。
至近距離でぶつけられた笑顔に、ただただ目の奥がちかちかと爆ぜた。
「な、んで」
掠れた息のような私の声に、スターフェイズさんが笑う。
「とあるクズに助言を貰ってね。一歩踏み出してみたらいいんじゃないかと思って」
あなたの一歩は随分大股で大袈裟ですねスターフェイズさん!?
思わず浮かんだ一言も、音にはならなかった。
ただ私は、つい握り込んでしまったスターフェイズさんのシャツに皺が刻まれてしまったのをぼんやりと見つめながら。
とにかく早くこの後ろの扉が開いて開放される事だけを、考えていた。
開かない扉
(「ザップ!ザップ・レンフロ!何処だ出て来なさい!ちょっと!」「どうしたのなまえ、あの銀猿になんかされた?殺す?」「直接的ではないけど間接的にあいつのせいだ!殺してチェイン!」「わかった、任せて」)
スターフェイズ氏のターン!
ザップを生贄にお嬢さんに自分の存在を意識させる事が出来る!