「あーあ、撮っちゃった」


カシャリ。我ながら勝負に出たと思う。考えるよりも先に体が動くとか、自分の身をもっと大事にした方がいいなと自戒する。近くに及川くんがいたらきっとエセおかんやられて面倒なことになってただろう。

事は通学電車の中。いくら田舎といえど満員電車は存在していて、あたしの通学時間はいつもそれに巻き込まれる。わりと遅刻ギリギリなのに。社会人はこの電車に乗ってて間に合うのか?はやく家出ろよ(ブーメラン)と思い続けて早二年と少し。今日も満員電車に揉まれ最寄り駅を目指していた。一度マネージャー代わりを頼まれ、唐突に駆り出され東京に行った時はもっと酷い満員だったから動く隙間があるだけまだマシだと思えるが。

立ちながら寝そうになるのをなんとか堪える車内で聞いた声は、小さくか細い女の声。


「やめてください…」


振り絞っているのが伝わってきた。声は震え、涙声。朝からお盛んなことが起こってるようで、それはこの声が聞こえることから近くにいることを示している。付近の人は顔を背けるばかりで誰も動こうとしない。冷たい世の中だ。痴漢は犯罪なんだぞ。

自分の中の変な正義感は、その女がうちの学校の制服じゃなければ出てこなかっただろう。周りが顔を逸らす中心を見遣ればそれは青城の制服を身にまとっていた女子の恐怖する顔。後ろにいるのは…小太りの、ごく普通なサラリーマン。会社員たるものが何をしているんだ、まったく。

人をかき分け、中心へと身を寄せる。…そして冒頭に戻る。


「おっさんさぁ、これ会社の人が見たらどうなるかなぁ?」


カメラロールから今撮ったばかりのその写真を相手に見せ付ける。幸いもうすぐ停車する。最寄り駅ではないけど、少しの遅刻くらい許して欲しい。あたしがしているのは人助け。自分で言うのはおこがましいが。この写真を持って停車駅で駅員まで辿り付けば、いや、声出せば道を開けてくれるだろう。

それよりも、このサラリーマン。そんなに顔面蒼白にして冷や汗ダラダラ流すくらいなら最初からやらなけらばいいのに。心底同情する。ストレスがあったとして、捌け口がこんなことなんて。知られてしまえば自分の地位も立場もなくなるというのに。考えなしなところだけはあたしとの共通点だろう。


「っ…寄越せ!」
「うわっ」


ピー。ドアが開く音が聞こえると同時に自分の身が後方にぐらりと傾く。あ、これ倒れる。そんなことを考えた時には既に遅く、鈍い衝撃が背に走った。痛ぇ。コンクリに倒れ込むってこんなに痛いんだ。一つ勉強になったわ。

…って、そんなことを考えてる暇はない。


「誰か駅員さん呼んで!痴漢です!」


あたしを跨るような形のサラリーマンと大声のコンボで駅中の視線がこっちに向いている気がする。さすがにそこまで確認をできる状態じゃないからわからないけど、あたしならこの異例をつい見てしまう…からきっと誰かしらが見てるはずだ。助けに来る人は居なくとも。視界の端に青城女子が映る。きちんと降りてきたあたり偉いと思う。そのまま乗られてたらだいぶ困るからね。

焦るようにあたしの上から退くサラリーマンの顔は青いままで、急いで逃げようとする。


「い、てぇ!」
「どこいくつもり?逃がすわけないでしょ」


咄嗟に腕を掴んで捻りあげる。おっさん一人をあたし一人で押さえ続けるのには限界があるし誰か助けて欲しいものだ。

おっさんの抵抗もあって、わりとすぐ手がプルプルし始めた。ああ、本当に考えなしだ。ただの女子高生が痴漢をどうにかできるわけない。もう手が離れそうだ。


「くそが…っ」


手を振り払われ尻もちをつく。逃がす。ここまでしたのに?きっと逃げる方向を睨み付けた。
あたしが大人の男だったなら逃がさずに済んだだろうか。無力だな。そんなことを一瞬考えた刹那。


「おい、何してる!」


胸をなでおろした。逃げた方向から駅員さんが飛んできてサラリーマンを押さえ付ける。よかった、誰かが呼んでくれたんだ。

付近にいる青城女子に声を掛ける。


「大丈夫?」
「は、はい…」


返答する声は未だ震えている。怖かったよね。そりゃそうだ。


「証拠はあるし、この後どうするかはあんたが決めることだよ。取り敢えずあの駅員さんのとこ一緒に来て」


腕を掴んで駅員さんに歩み寄る。掴んだ青城女子の手は震えていて、これが自分の立場だったらと考えるとゾッとする。外から見ていたから動けただけかもしれない。こんな話岩泉にしたら金的食らわすだろとか言われて女子扱いされなさそうだ。

複数人の駅員さんが来て完全にサラリーマンを押さえ付けた。周りの人が遠巻きに見ているせいでまるで島みたいになっている。

スマホを構えているバカを撮るんじゃねえと睨みつけて駅員さんに声をかける。


「被害者この子です。えっと…指紋とか、照合できれば証明出来ますか?一応スマホに証拠も残ってるんですけど…あっ」


取り出したスマホはバキバキに割れていた。倒れた時にやらかしたんだな…悲しい。変えたばっかりだったのに。辛うじて液晶は見えるようで安心した。また交換に行かなければ。


「怖かったよね、ありがとう。警察も呼んでるから、二人共この後大丈夫?」


駅員さんの優しい声に、青城女子はついに泣き出してしまった。





「ふー、長かったね。この後学校とか面倒くさ」
「あの、本当にありがとうございました」
「いいよ別に。明日からスカートあんま短くしない方が身のためかもね」


警察が態々校門まで送ってくれた。昇降口までの道を軽く話しながら歩く。


「お礼…お礼したいんですけど!えっと、お名前…とクラス教えて貰ってもいいですか?」
「三年五組、杲月彗。そういうのいらないからいいよ」
「でも」
「いいの。次から気を付けなよ?昇降口そっちってことは二年か。んじゃね」


手を振って二年と別れる。この時二年があたしの背中をぽーっと見ていたことは知らぬまま、向かうは職員室だ。普段は遅刻すると言い訳を考えるのが大変だから理由がちゃんとあるって素晴らしい。いつもは電車が目の前で一分早く行っちゃったとか、自転車の人とぶつかりそうになって揉めましたとか。よくそんなに言い訳思いつくなってくらい使ってきたからなぁ。


「失礼しまーす」
「杲!まーた遅刻かァ!」
「今日はちゃんと事情あるんだけど!」
「はぁ…聞くだけ聞いてやる」
「痴漢されてた二年を助けてた」
「…お前、言い訳のプロか?」


はぁ!?事実を言ってこんな対応ある!?こんのクソ教師…!


「事実だって言ってんじゃんこの…」
「先生、本当だぜ、その子が言ってること」


後ろからの声に振り向く。ピンク頭の長身があたしの真後ろに立っていた。どこかで見た覚えはあるけど、すぐには思い出せそうにもない。


「俺が乗る駅でさ。勇敢だったよ」
「そ、そうか。すまなかったな」
「次はない」
「次がないように遅刻するなよ」


無理なお願いすぎる。意識して遅刻してるわけじゃないからそれはその日にならないとわからない。我ながらなんて反省心のないこと。

先生にノートを提出して職員室を出た広い背中を追い掛ける。


「ありがとう!」
「んー?だって本当の事じゃん、お礼言われるようなことしてないよ」
「だとしてもあたしだけじゃ信じてもらえなかったから」
「そっか。いい事したんだしいいんじゃね、かっこよかったよ」


かっこいい。ちゃんと見ていてくれた人がいてくれてよかった。その人はその後三組の教室に消えていった。本当にありがとう、とても助けられた。

人を助けて、人に助けられる。
そんな珍しい一日の幕開けだった。





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