“熱出たから休むって伝えて”
メッセージアプリで岩泉にそうチャットだけして再び布団に横たわる。
昨日の花巻くん事件から一夜明け、メンブレしてゲームすら手につかないと思ったらいつぶりかもわからない熱を出した。自慢の健康体だったのに。
うちの家は基本放任主義で、卒業さえできれば好きにすればいいけど、その代わり学校への連絡とかは自分でしろって家だから本当にこうして熱出したり体調を崩した時がだるい。…普段の行いが悪いのがいけないと言われちゃそれまでなんだけど。こういう時同じクラスに連絡取れる人がいると助かる。岩泉って凄いな。良い奴だ。具合悪いといつも思わないことを思うのは何故なのか。
何が一番面倒かって、こんなに辛いのに腹は減ること。お陰で普段から治りは早いんだけど。
さっき冷蔵庫見たけど何も無かったし、買いにいかなきゃいけないんだけど、体は重くて動かないし。…考えたくないけど、考えないといけないし。
“すぐに答え出してもらおうなんて思ってないよ。ただ全然眼中にないし、少し意識してもらおうと思って”
そう言われたことを思い出して深いため息が出る。なにがどうしてそうなったんだ。賭け事をしてる方がまだわかる。でも、そうじゃなさそうだなっていうのは何となく伝わってきて、だからこそ困る。
二年と少し、そういうことにならないよう気を付けてたし、大丈夫だったんだけどな…。嫌なこと思い出しそうだ。
「あんな思い、もう二度としたくない」
ぽつり、誰に対するでもない言葉を吐いて夢の中へと現実逃避した。
*
無機質な機械音で目が覚める。鳴り続けるスマホの画面を見れば“岩泉”の文字。向こうから電話なんて珍しい。
「もしもし…」
『まじで生気ねぇな。今家の前居んだけど開けられるか?』
「なんで居んの…降りるから待ってて」
暗い。寒い。岩泉が来る時間ってことは、部活終わりってことで…いや、何時間寝てたんだ。引くわ。さすがにここまで寝てないわいつも。
そのへんに投げてあった上着を適当に羽織って玄関を開ける。
「よお」
簡易的な挨拶に返事をする間もなく岩泉が家へと上がり込む。慣れたことだしなんの違和感も抱かない。互いの家に上がるのなんて慣れっこだ。
ただ、岩泉は高校の近くに住んでるから、態々ここまで来たことになる。
「まぁ座れよ」
「座んのはお前だボケ」
とん、と押されリビングのソファに座らされた。…何?病人に対する扱いじゃないと思う。
「ん」
雑にテーブルの上に袋を置かれ、ぽかんと岩泉を見上げる。今日の岩泉は言葉足らずだ。いつもならあれよあれよと言い返してくるのに。
いつものように冷たい目で見られる。いくら春とはいえ、まだ夜は冷えるわけで。岩泉の鼻が少し赤い。手も何度もぐーぱーさせていて、もしかしたら外で結構待っていたのかもしれない。
あー、と居心地悪そうに後頭部を掻きむしって口を開いた。
「どうせ杲のことだから何も食ってねぇだろうと思って食いやすそうなもん買ってきた」
袋に手を入れると、ゼリーだとかヨーグルトだとか、するっと口に入りそうなものが大量に入っていて、それ以外は何故かがっつりめの食品も入っている。
部活終わりで、一刻も早く帰ってご飯を食べて風呂に入って明日の朝練に備えて寝たいだろうに、そんなところを態々電車に乗ってコンビニに寄ってまで家に届けてくれたのだ。
この男はどこまでも不器用だけど、根は優しい奴だ。ただ一緒にいて楽ってだけでつるんでいるわけじゃない。こういう一面を知っているから心まで許してこれだけ長く付き合っていられるのだ。
「…ありがとう。でもこのがっつりしたのはさすがに今は食べれな…」
「あ?それは俺が食うんだよ」
食っていくんかい。口に出さないツッコミを飲み込む。きっとこれも岩泉なりの気遣いだ。口ではタイムロスがうんたら、と言ってるけど、風邪引いた時ってなんとなく寂しいような気がする時があったりするもんで、うちは特に共働きでほぼ両親が家に居ないとか、そういうのをよく考えてくれたりしてるんだろう。真相は教えてくれないだろうけど。
「食ったら薬飲んで寝ろよ」
「ん、わかってる。てかあんま居ない方がいいんじゃないの、伝染るよ」
「伝染んねぇよ、余計な心配してねぇでさっさと食え」
「バカは風邪引かないもんね」
「バカのお前が引いてんだろうが」
ごもっともで何も言い返せずに黙々とスプーンを口に運ぶ。普段ならぺろりと食べれるものがどうしてこうも入っていかないんだろう。お腹はしっかり空いているというのに。
もたもたと食している間にも岩泉はすごい量を平らげてテキパキと水と薬を用意してくれて、それはまるでおかんだった。口が裂けても言わんけど。だって後々自分に返ってくるのわかってるし。今じゃないだけマシだけども。
「…お金渡す」
「今更要らねぇよ、いつも集ってんだろ」
そりゃそうなんだけどさ、と口ごもる。無駄に優しくされると何かあるかも、って昨日のことで感じている自分がいて、目の前にいるこいつは何も悪くないし、わかっているからこそそんな事を考えてしまう自分に嫌気がさす。身をもって知っているというのに、あたしときたら。だからこいつはモテるんじゃんか。
…だとしたら、岩泉もこのモヤモヤを知ってる?どうしようとか、考えるとかめちゃくちゃ似合わないこの男が?相談してみようか。
口を開きかけてハッとする。そうだ、岩泉と花巻くんは同じ部活なんだ。いくらあたしと岩泉が仲良い友達だとしても、彼らには彼らの仲があるし、それがどんなものだかあたしにはわからない。それをあたしの一時の悩みの為に壊す権利なんて、ない。
モヤモヤをぐっと飲み込んだ時、側に置いていたスマホが通知でちかりと光った。及川くんだ。
杲さん風邪だって?大丈夫?
暖かくしてゆっくり休むんだよ
岩ちゃんが用事あるってさっさと帰ったから
今頃杲さん家に居ると思うんだけど…
ていうか居るよね!?
なんか岩ちゃんが杲さんが風邪ひいた原因が
自分にあるかもって悩んでたから
気になって連絡したんだけど何かあったの!?
男女のそれなら俺が黙ってないけど
そうじゃないなら岩ちゃんのためにも
ちゃんと話し合ってみてね
及川くんとのお約束だぞ☆
開くとそこそこの長文に絵文字でいっぱいのメッセージが届いていた。ただでさえ長いのに読みづらいそれに顔を顰めたのは言うまでもないけど、彼は彼なりに色々気にしてこれを送ってくれたんだということはわかる。今日のあたしはいつもより大人な思考をしているんじゃないだろうか。
最後の一口を噛む必要も無いのに何度も何度も噛んで食べ切り、苦手な薬を一気に飲み干した。粉末は口の中にまとわりつくのが苦手だし、錠剤はいつだって飲み込むのに時間がかかる。健康故に慣れていないのも相まって、この苦手が治る時はきっと来ないんだろうなとぼんやりと思った。
「悪かったな」
薬を飲んだ後の苦い顔のまま小さなあのさ、と出した声は岩泉に掻き消された。予想外の言葉に文字通り口をぽかんと開けたあたしの顔は酷くアホ面だろう。
「昨日。ここんとこあいつのせいで顔死んでただろ」
「あー…やっぱ顔に出てた?」
「隠す気もないだろ、お前は」
長々と言葉を紡がないところがまたこの男らしい。ただ、それでも言わんとすることは伝わってくるから、こちらもあんたのせいじゃないよと返して、そのまま寝転がる。二つ並んだクッションを一つは枕に、もう一つは何となく両手で抱えてみた。
置きっ放しにしたヨーグルトの空の処理をする岩泉の背に、今度は掻き消されないよう声を掛ける。
「あんたに言うことじゃないのかもだけどさ、及川くんから話し合えって謎のメッセきたから言うんだけど」
「前置きが長ぇ。なんだよ」
「花巻くんに、その…告白とやらをされた」
しゃがんで丸まった背中が一度ぴたりと動きを止めて、もう一度動き出すまでに若干のタイムラグが生じて、それと同時に少し離れたところからいつも通りの声が返ってきた。
「決めるのは杲だろ」
素っ気なく聞こえる淡々とした返答は、すとんと腹に落ちる。岩泉は想像以上によくあたしのことを知ってくれていて、そんな男の言葉はこの一日ずっとつっかえていたものを見事に流した。いつもそうだ。望んでいる答えをくれるわけではない、でも、いつだって飾らずに投げられる言葉は酷くあたしを安心させるのだ。適当にその場限りの言葉を投げられるより余程いい。
暫しの沈黙の後、でも、と自分の口から音が漏れてはっとした。先程噤んだはずのものがこんなにもすぐに外に出てしまうなんて。文字に起こせばたった二文字の単語に含まれた意味は岩泉には届かない。
答えは決まっている。ノーの一択だ。というのも、別に花巻くんが嫌いだとかそういうものではなくて、かといって好きかと言われるとそれも違うから。それだけのこと。ただ、そのノーという二文字、丁寧に言い換えてもごめんなさいのたった六文字には収まらない何かがあって、それこそが飲み込んだモヤモヤの彼らの仲で。自分で紡いだ言葉を続けることはなく、きっと背を向ける岩泉の表情はさぞ不機嫌なものだろう。そう思ったのもつかの間。
「そんなんで変わるような仲でもねぇべ」
さらりと続いた岩泉の声はまたしてもすとんとあたしの中に落ちて、響いた。
それがあたしとの仲なのか、花巻くんとの仲なのか、はたまたどちらもなのか。意図は掴めなかったけれど、今のあたしには十分すぎる程に十分な言葉だった。