蒸し暑い深夜。静かな空気を揺らす呼び鈴の音に腰をあげると、少しだけ熱を冷ますような夜風と共に酷く暑苦しいほど顔を赤らめた男が満面の笑みでドアの向こうに立ってこちらを見つめていた。


「…何時だと思ってんの」
「日付回る前」


久しく見なかった顔ではあるものの、この男の甘いマスクにうざったらしい笑顔は懐かしいよりも先にうざいという感情が込み上げてしまう。
断りもなしに部屋へと上がり込んではあつーい!とか言いながら勝手にエアコンをつけるものだから溜息しか出てこない。まず、一体いつ帰国したのだ。
広くない部屋に及川の纏う酒の匂いが風の力を借りて素早く充満する。明日の帰りに切らしている消臭剤を買って帰らなければ。

とはいえ、風呂上がりの火照った体にエアコンは心地よく、ひとまずいつものように缶ビールを飲もうと、座りたいと叫ぶ足をなんとか動かして、二缶手に取ってソファのある対面へと腰を下ろした。一缶は及川のものだ。酔えば酔うほど酒を欲しがるのはこの男の悪いところ。わかっているのに甘やかしてしまうのは自分の悪いところ、だ。

わかってるじゃん、と言って手だけ伸ばして缶ビールを開ける横顔にこぼすから座って飲んでと注意をするのはまるで母親のよう。老けたなという気持ちをカシュと音を立てた缶からの一口と共に飲み込む。さすがにまだ若いはずだ。気持ちだけはどんどん老けていくのに、不思議。出会ったのはもう何年も前の話なのに、まだ出会ってすぐなような気がしてしまうのは時の流れが早すぎるせいだ。


「帰ってきたのにあんたは他に行き先はないわけ?」
「もう行ってきたよ。岩ちゃんとー、マッキーとー、まっつん!あとね、マッキーの彼女?」
「ははは、一生そっちと飲んでればよかったのに」
「明日も仕事あるからって帰られた!酷くない?及川さんが帰国したっていうのにさ」


ぷくっと頬を膨らませ語尾を伸ばす成人した男のなんと可愛くないこと。私とて明日も仕事だわ。かちりとライターを鳴らしてタバコに火をつけると、そんな興味無さそうに吸うのやめて!ときゃんきゃんと吠える小型犬のごとく騒ぐ及川を、ここ私の家だから、と制すと次はぐびぐびとビールを口にした。相も変わらず騒がしい男だ。というか、岩泉も松川も吸うだろうに。花巻は彼女にやめろって言われたからやめたらしいけど。喫煙者と飲んできたくせに私には文句をつけるとは、これ如何に。

卒業してまさか海外まで行くとは思わなかったけど、こいつらのバレーを三年間見届けた私にとっては、まだこいつらのバレーは終わってないんだなと柄にもなくじんと熱くなる思いがあった。こうして家にまでくるあたり、“こいつら”の中にはどうやら私も存在しているらしい。


「髪、濡れてる」
「風呂上がりだからね」
「ちゃんと乾かさないと風邪引くよ」
「及川が来なきゃ今ごろ乾かしてた」


そっか。にへらと破顔したまま身を乗り出して、肩にかけたままのタオルで、時折ぽたりと垂れる髪の水滴をぽんぽんと優しく拭き出した。本当に距離感がバグってる。酔った及川に何を言っても無駄だとわかってるから好きなようにさせてやろう。

及川って誰にでもこうなのかな。ずっと漫画に出てくるようなファンもいるし。そりゃこの顔にこんなことされたら大抵の女はコロッと落ちるよな、と疲れた頭でぼんやりと考える。だからといって、私に限ってこの男とどうこうなるのは想像もつかないほど有り得ないことで。友人としての信頼関係をしっかりと築いているからこそである。
この男と並んでいる女はどう考えても、同じようにいい顔をした女であることに間違いない。いとも簡単に想像がつく。いい感じの身長差で、守ってあげたくなるような、ふわっとした女の子。
絶対可愛いな。友達になりたい。次に彼女ができたら紹介してもらおう。


「何笑ってんの?」
「んーん、なんでもない」


いつの間に顔に出ていたのか。頭から離れない想像上の女の子の顔を、目の前の男の横に並べたら更に口角が上がって、下がらなくなってしまったじゃないか。きっと結婚するとしたら、絵に書いたような素敵な式になるに違いない。


「ねえ」
「ん?」
「彼女できたら紹介してね」


ぴたりと動きが止まる。飽きたのだろうか。うん、と短い返事が来て、同じようにうんと返す。
五人の中で一番早く結婚をするのは誰になるだろうか。もしかしたら私は、ずっと結婚することもないままでいじられてるかもしれないな。
遠い先の未来にまであいつらがいることに自分でも驚いたけど、そんな未来も悪くないなと思った。


「ねえ」
「ん?」


さっき聞いたようなやり取りだ。でも今は及川から話しかけられている。


「今日、何の日か知ってる?」


今日?平日だけど何かあったか、とカレンダーに目をやると、視界に映った時計の針は丁度日付が回ったところを指していた。この時間に来るってことは今日は泊めないといけないみたいだ。どうせそのつもりで来ているんだろう。というか、この酔っぱらいを一人で帰すわけにはいかない。そんなんで財布とか盗まれても責任は取れない。


「誕生日なんだけど」
「え?ああ…そうだった?おめでとう」
「忘れてると思ってた」
「ごめん」
「今日は誕生日プレゼントを貰いに来た」


忘れてると思ったと言いながら、プレゼントを貰いに来たという矛盾した発言に対する、え?という声を発す間もなく。タバコを持つ手を掴まれて、触れたのは及川の唇、と、私の唇。
離れても尚、理解の追いつかない頭で、え?は?と口から漏らす私のアホっぽさときたら。


「俺の彼女です」
「…は?」
「…ってみんなに紹介したいんだけど、どう思う?」


ちょっと待って。ただでさえ処理が遅れている頭に次々と情報を入れないで欲しい。

さっきまでへらへらとしていた及川の顔はいつの間にか真剣そのものになっていて、何も言葉が出てこない。いつもの余裕そうな及川の影はそこにはなく、ただ赤面してこちらを見据えている。それが酒にやられ帯びた熱なのか、恥ずかしさからくる熱なのか、私にはわからなかった。

いつからなのか、とか、他の三人は知っているのか、とか、まさかこれを言うために帰国早々ここに来たのか、とか。そんな考えが頭をぐるぐると回っているあたり、遅れながらも脳は正常に処理をしっかりとしているみたいだ。かっかと熱を孕んでいく顔は、きっと彼のように真っ赤になっているだろう。


「余計なこと考えてるでしょ」
「だ、って」
「…嫌だった?」


逃げられない。そう思った。

真っ直ぐ、もしかしたら涙でも零すんじゃないかと感じる潤んだ瞳に見つめられたら、なんだかこちらまで泣きたくなるじゃないか。

嫌だったか。嫌だったら、どんなによかっただろう。残念なことに、嫌じゃなかった。

私はそんな女だったのか。そう思うと恥ずかしくて、声にもできずただ首を横に振るしかできない。


「よかった」


小さな声でそう言って少し笑った。私はこの男のこと、何も知らなかったんだなあ。とんでもない奴と今まで友人を、いや、友人だと思い込んでいたんだ。

勝手なことしてごめん、と、頭に触れた手は大きくて、優しくて、暖かい。胸がきゅうっと締め付けられた気がした。



2020.07.25 happy birth day to Toru.O

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