台風だと思う。こんなの梅雨で済ませたらいけない。おまけに今私は絶賛風邪っぴきだ。風邪引いたとき音に敏感になるのは何故なんだろう?外の音が凄く煩わしい。でも何か音がないと不安に飲み込ませてしまいそうになる、なんて矛盾しているんだろう。この不安定は、風邪のせいか、それともそうじゃないのか。考えても頭痛が悪化するだけで何一つ解決しやしない。不安を紛らわせるためにテレビをつけてもどのチャンネルも速報ばかりで何も変わらない。




―ピシャン!




「―――ッ!」


ベッドに体育座りをしたまま掛け布団を頭から被り耳を塞ぐ。…雷なんて嫌いだ。嫌でもあの人を思い出してしまう。あの温もり、優しさ、声、全てを。あの人はまだいるんじゃないか、って。自ら作った不完全な暗い世界で寂しさを覚える。


「―――名前」


一筋の光。


「人見…っ!」


いつの間に涙を流していたのか。勢いよく布団を抜け出すと知らぬ間に点けられた明かりと涙目のせいでぼやけた視界に人影が映る。指でそっと涙を拭われるとようやく目の前の相手の顔が見えた。


「何泣いてるんですか」
「…平家」


抱いた幻想は儚くも消えた。目の前にいたのは期待した人見ではなく、平家と、よく知った顔の知らない女の子。


「…名前なんて呼ばないで。そう呼んでいいのは人見だけよ」
「何度苗字さんと呼び掛けても返事なさらないからですよ。…それに、人見はもう―――」
「いなくなんてない。私たちが覚えていれば、人見はいなくなんてならないんだよ。人見がそうしていたように、ね」


もっとも、最初からこの世に存在していたとは言えないけど。
そう言って笑うと二人はなんとも形容し難い表情を浮かべた。


「君は。桜小路…桜ちゃん?」
「な、なぜ私の名前を…?」
「よく似てるから。君の母―――」
「苗字さん」


怖い顔の平家に静止される。そうか、この子は何も覚えていないのか。


「…苗字殿は、人見殿を知っておられるのですね」
「まぁ、ね。同じコードブレイカーだったし。…二人は私を処分しに来たの?」
「なっ、処分…!?」
「桜小路さんがあなたの話を聞いて会いたいと仰ったので様子を見に来ただけですよ」


様子見、なんて理由で勝手に入ってこられるなんて本当に私たちに人権なんてない。平家にとっては鍵を開けるなんてきっと容易いのだろうけれど。


「苗字殿は…人見殿とどのようなご関係だったのですか?」


桜ちゃんが申し訳なさそうな顔で問う。この子は、きっとこの先全てを思い出して全ての鍵となってしまうのだろう。母親によく似たその姿で。一目見ただけでわかる人柄の良さ、いくら鍵だとしても、私たちの問題にこの子を巻き込みたくないなんて、そんなことを思ってしまった。


「…付き合ってたの」
「お、お付き合いを」
「うん。突然いなくなるまではこの部屋で一緒に住んでた」


いなくなってから、当然彼との連絡は途絶えてね。ほら、私たちはエデンに縛られてるからさ。それでもいつか私に会いに来てくれるかなって期待して、いつもよりハードな仕事も全部こなしてこの部屋で待ってたけど、一度も彼は私の前に姿を表さなかった。


「…人見が死んだって連絡が来たのは丁度一ヶ月前。死んで、一日経ってから。処理も終わってて、亡骸にすら会わせて貰えなかった」


雷が好きだった。人見が放つ電撃が美しくて、綺麗だった。その雷が嫌いになったのは、怖くなったのは。


「…私も嫌気が差したの。かつての人見とは違った理由だけどね。あんなにも上の期待に応えてきた私が、好きな人の亡骸にすら会わせて貰えない。仕事を頑張れば、コードブレイカーを続けていれば、いつかまた人見に会えると思ったのに、それすら叶わなかったんだもの。…もう一ヶ月、仕事してないの。辞めようって思ったのに、彼が残していった彼らを手放すこともできなくて…っ」


彼がいなくなった今。コードブレイカーを守っていくのは私の仕事だと思った。でも、仕事だとはいえ人見を傷つけた人たちをどこかで許せなくて。


「人見がした事が悪い事だって、わかってる。でも、それでも、好きだったの」
「…苗字殿…」
「上から与えられた住処じゃなくここに留まっているのも、雷が怖いのも、全部人見に縋りたいだけなの」


次々と溢れてくる涙は止まってくれない。


「処分、されれば。死んでしまえば、地獄で人見に会えると思って…!」
「…苗字さん…」


今まで言えなかった。でも、何かでいるのを諦めた今なら、言える。


「人見に…人見に会いたい…!」




ロンリーガール202号室


平家も桜ちゃんも、酷く悲しい顔をしていた。
もしも力なく生まれていたら、私たちは違う運命を辿れたのだろうか?
外ではまだ雷が止まない。
人見が傍にいるかのようでいない現実を深く私に刻み付けるようにそれは鳴り続けている。

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