始まりとエピローグ

「映画を観に行ったんだ」
「えいが?」
「この前言ってた、最新作のやつ」

カラン、とグラスの中の氷が鳴った。グラスを口に運んで、十四松くんの顔を覗く。お酒には強いらしいが、顔はほんのりと赤い。子どものような表情を見せる彼に、いつも強張っている唇が、ゆるゆると締まりを失っていく。

十四松くんは、世にも珍しい六つ子の五男で、なんとそのご兄弟全員がホストだという。この店最大のセールスポイントがその六つ子ホスト達で、彼らはそれぞれの特技を活かしてナンバーワンを争っている。

私はこの店に来てから、十四松くんしか指名したことがない。初めて来た時は右も左も分からなかったので、とりあえずメンバー表で一番に目に飛び込んだ十四松という名前を選んだのだった。
初対面は、落ち着きのない態度や、とても成人男性には見えない振る舞いにただただ驚かせられぱなっしだったが、お酒の扱いや客への気遣いはさすがホストと言うべきか。ただの会社員にはとてもスマートに見えたのだ。

そんなギャップを持つ十四松くんだが、やはり私が彼を気に入った一番の理由は、何にでも明るくポジティブなところだった。

「でもね、ハズレだったよ。すごい嫌な終わり方で」
「バッドエンドだったんすか!」
「うん。だからね、観に行かないほうがいいよ」

あはは、と笑いながらグラスを口に運ぶと、十四松くんも隣で笑ってくれていた。
きっと明るい十四松くんのことだから、彼も暗い雰囲気の映画は嫌いだろう。きっと、あまり映画を観に行くことはないんだろうけれど。
会った回数は数え切れるほどなのに、私は十四松くんの全てを知っているような気でいる。
そのくらい、ホストの十四松くんに夢中になってしまっていた。

鞄からスマートフォンを取り出してホームボタンを押すと、そろそろ終電の時間。大きく映し出された時計が、帰りなさいと警告している。

「ねえねえ名前ちゃん、次はいつ来てくれるの!」

スマートフォンを弄りだした私に向かって、ぱあと大きな口を開けて、楽しそうに十四松くんが言う。仕事の疲れも上手くいかない人間関係も、なにもかも、この笑顔一つで吹き飛んでしまうのだった。

これも全部、マニュアル通りなのだろう。だって彼は、それがお仕事なのだ。
けれど、私にはどうだっていいことだ。それを仕事だと分かっているからこそ、ホストさんて素敵だな、と思えるのであった。
人をああだこうだと一生懸命励ましたり、笑わせたりするお仕事は、きっと十四松くんにとって天職なんだろうな、とまた勝手なことを考えてしまう。

「近いうちにまた来るよ。私、十四松くんの笑顔、大好きなんだあ」

すっかり気の抜けた声で言うと、十四松くんがあからさまに喜んでくれたので、私は調子に乗ってしまう。
今、私の生活は十四松くんのおかげで成り立っている。






「映画、観た!バッドエンドだった!」
「えいが?」
「この前、名前ちゃんが言ってたやつ!」

ぼうっとする頭で、この前言ってたやつとやらのことを思い出す。そう言えば、そんなハズレ映画の話をした気がする。
十四松くんが映画を観に行ったことにも驚いたし、わざわざバッドエンドの映画を観たことにも驚いた。
どこかのテーブルで、ドンペリください、という一言に盛り上がる声が聞こえる。

「名前ちゃん、今日元気無いね!」

静かに冷たいグラスを口に付ける。お酒の味が分からない。
十四松くんに会うのもこれきりにしようと思っていたのに、隣で心配そうに大きな口をぱくぱくさせる彼のせいで、その決心が緩む。

「もうここに来るの、やめようと思って。私、多分ダメになる。十四松くんに甘えてばっかりで、ダメになっちゃいそう」

十四松くんはホストだ。それを知っていながら、どうやら私は彼に恋をしてしまったらしい。客が優しくしてくれるホストに惚れることなんて、よくあることなのだろう、きっと。

だからこそ、もうこれきりにしようと思ったのだ。不毛だろう、こんな恋は。誰に聞いたわけでもないけれど、この先はバッドエンドしかないと、そう思えてしまったのだ。

「なんでなんで?僕、寂しい。名前ちゃんに会えなくなるなんて、やだ」

子どもみたいに、駄々をこねるみたいに、私の袖をそっと掴む。
どこかの女性客が、ホストの一挙一動にきゃあきゃあと喜んでいる。私もああいうふうに馬鹿みたいに喜んでいたんだろうな、と思うと、無性に十四松くんに腹が立ってしまう。

「そういうこと、誰にでも言ってるんでしょう」

言ってから、ハッと口を閉じた。十四松くんに最低なことを言ってしまった。
そもそも、ホストなのだから当たり前だ。彼は仕事を全うしているだけなのだ。私の言っていることこそ、気が狂っているに違いないのだ。

だから私は、彼に会うのをやめないと。

ぐ、と彼の口が私の耳元に寄せられる。驚いて、しかしその男の顔を見ることはできなかった。お酒のせいで熱い息が、はあ、と耳にかかる。
十四松くんは子どもなどではない。

「名前ちゃんにだけだよ。ほんとうだよ。だから僕、映画観に行ったんだ」

好きな人が観たものは全部、観たいんだあ。

十四松くんは小さな声で言って、そして私の世界を簡単に支配する。
馬鹿な私はその甘い言葉に騙されて、全身を熱くさせてしまう。

けれどきらきらに輝いたこの男の目を見ていると、この世界には二人だけなんだだなんて、そんな錯覚を起こしてしまうものだから、そっと涙を流した。

テーブルの下で秘密裏に握られた掌の温かさを、私は信じても良いのだろうか。
頷く代わりに十四松くんがあの大きな口で、あは、と太陽のように笑った。
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