拙い口づけで世界は廻る

「わあ・・・・・・」
 扉を開くと、キラキラの世界が待っていた。
「ようこそ、お待ちしておりました」
 なんて感動している間にホスト達がズラリと並んで出迎えていて、思わず「わあっ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。

 すると、
「も〜、そんなに緊張しなくていいのよ名前ちゃん」
 隣にいる私の上司――アイカさん――がけらけらと笑って緊張を解そうとしてくれた。
「は、はあ・・・・・・」
 しかしそれだけでは足りなくて、まだ引きつった顔で掠れた返事をする。

「お! アイカさん、この子はー?」
 その刹那目の前から黒髪で少し光沢のあるスーツ、そして目立つ真っ赤なネクタイを身に付けた男性が颯爽と歩み寄ってきた。アイカさんと私を交互に一瞥した後、じっと私のことを見つめてくる。恥ずかしくて顔を逸らしてしまった。

「ああ、この子は名前ちゃん。私のかわいい後輩よ。ホストクラブに行ったことないみたいだから、体験させてあげようと思って」
 そう。それが、今私がここにいる理由だ。
 それを聞いた彼は「へえ〜」と興味深そうに相槌を打ち、「初めてなんだ? こういうとこ来るの」と優しく私に問いかけてきた。ちらちらと彼を見上げながら、こくりと頷く。

 すると彼は「いやあ、丁度よかった」と笑い、手をパンと叩き合わせた。
「うちにもさ、最近新人入ったんだよ。アイカさん、今日はそいつも一緒でいい?」
「ええ、もちろん!」
 どうやら今日は、アイカさんお気に入りの彼――おそ松というらしい――に加えてその新人さんが相手をしてくれるらしい。
 そして私はアイカさんと彼に引き込まれるように、賑やかなテーブルが並ぶホールへ向かっていった――。





 やがて私達が席に着いた少し後、おそ松さんがその新人さんを呼んだ。すぐに奥の方から「は、はい!」と、ややびっくりしたような、少し震えた大きな返事が聞こえた。
 その新人さんがこちらへ来る間に、
「あいつ実際にお客さんの相手するの初めてだからさ、ちょっと何かやらかしても大目に見てやってください」
 とおそ松さんが私達に苦笑してそう断りを入れた。

 ――と、その時。

「お、お待たせ、しました・・・・・・」
 突如、緊張気味に若干裏返った声が間近で聞こえた。
「ん、あれ、え・・・・・・?」
 私はパニックになった。
 その彼とおそ松さんが、あまりにもそっくりだったから。思わず私の左隣に座るおそ松さんと現れた緑のネクタイを身に付ける彼をきょろきょろと見比べてしまう。
 ――やっぱり、似てる。似てるどころじゃないくらいに。

「遅ぇよチョロ松! アイカさんと名前ちゃん待ちくたびれてんぞー?」
「悪かっ――あ、すみません・・・・・・」
 からかうようなおそ松さんに、彼は少しカッとしたようだった。しかし抑えて、おそ松さんと私達にぺこりと頭を下げる。きっと裏で何か別のお仕事をしていたのだろう。

 でも、それよりも、私は気になっていた。
「あ、あの・・・・・・」
「ん? どうしたの、名前ちゃん?」
「お二人って、双子・・・・・・なんですか? その、あまりにもそっくりで・・・・・・」
 すると、「ああ、そうだよ?」とけろっと返されて拍子抜けする。
「まあ実際は六つ子なんだけどね」
「六つ子!?」
「ちょっ、声大きいよ!」
 しーっ、と口元で人差し指を立てるおそ松さんを見てハッとする。恐る恐る周りを見れば、近くにいたお客さんやホスト達がちらちらとこちらを見ていた。赤面しつつ、小さな声で「ごめんなさい・・・・・・」と謝った。

「ま、皆で楽しくお喋りしようぜ!」
「そうね。じゃあチョロ松くんは名前ちゃんの近くの席で」
「あっ、は、はい!」
 アイカさんに促され、チョロ松さんがぎこちない動作で私の右隣に腰掛ける。
「え、えっと――僕、チョロ松っていいます。今日はよろしくお願いします・・・・・・名前、さん」
「! は、はい・・・・・・」
 その時の彼の、恥じらうような、はにかむような笑みにドキッとした。何だろう――入店した時もドキドキしていたけれど、それとは全然違うような・・・・・・。

 間もなくして、彼はワインを注いでくれた。
「あ、えっと・・・・・・僕もいただいてよろしいでしょうか?」
 どうやら、ホストもこうやってお客さんにオーケーをもらってから自分の分を飲むのがルールらしい。
「はい、勿論!」
「ありがとうございます」
 お礼を言うと、彼はほんの一口だけワインを飲んだ。その時に動いた彼の喉仏にさえドキドキしてしまう。

 その後はおそ松さんが彼独特の明るい元気なトークで盛り上げてくれた。チョロ松さんも時々ツッコミを入れたりして楽しそうだった。二人は良いコンビだと思った。双子――ではなかった、六つ子だからだろうか。

 と、暫く話し続けた後、おそ松さんがこんなことを提案してきたのだ。
「チョロ松、結構できるんじゃない? 名前ちゃんといい感じだし。――そうだ! 名前ちゃん、こいつと二人っきりで話してみたくない?」
「二人っきり・・・・・・!?」
「ええっ!? でも俺はまだ――」
「大丈夫だって、俺達隣のテーブルに移動するだけだから。ねー、アイカさーん」
「私も賛成! 何かあったら呼べばいいからさ」
 ね?、と有無を言わせないキラキラした瞳で私とチョロ松さんを交互に見つめてくるアイカさん。私達は同時に「は、はい・・・・・・」と小さな返事をした。



 結局、その流れで二人っきりに。てっきりホストは皆お客さんに甘い言葉を囁いたり慣れた手つきで触ったりするのかと思っていたが、そうではないらしい。
「名前さん、どんなお仕事をされているんですか?」
 こんな風に緊張気味に聞いてくる間も、私には触れない。甘い言葉も混じらない。彼は真面目で誠実な性格のようだ。そういう人がタイプだったこともあって、私はリラックスして彼とお話ができた。
「普通の会社員ですよ。今年入ったばかりで、失敗続きなんですけどね・・・・・・」
 そこで、しまった、と思った。
 私は今までこんな弱音を吐いたことはなかった。親にも「順調だよ」と笑って、友達にも「いい感じ」と誤魔化した。――けど実際は・・・・・・。
 アイカさんは本当に優しいからあまり怒らないけど、普通はこっ酷く叱られるところだろう。
「・・・・・・名前さん?」
「あ――ご、ごめんなさい、急に、こんな・・・・・・」
 撤回しようとしてももう遅い。一度弱音を吐くと止まらなくなってしまうのだ、私は。声が震えて、目に映る景色がぐにゃりとねじ曲がっていく。

 その時、
「!」
 膝の上で泣かまいと堪えて固く握りしめていた手が、彼の大きな手のひらに包まれた。
「無理しなくて大丈夫ですよ。僕でよかったら、話してみて下さい」
 優しい声のする方を振り向けば、彼の花のような微笑み。
 私はついに涙を流しながら、全てを隠さず話した。その間彼はそっと私を抱き寄せて、「それは大変でしたね」、「すごいですよ、名前さんは」と受け止めながら頭を撫でてくれた。
 まるで魔法にかけられたようだった。何故か彼には、全てを曝け出せたのだ。
「実は僕もまだまだで・・・・・・。まだ掃除もろくにできないし」
 そして眉を下げ、あははと笑う彼。
「・・・・・・似てますね、私達」
 呟くようにそう言うと、彼も「そうですね」と笑ってくれた。

 それから、ほんの少しの沈黙。
 もう涙は零れない。
 ドキドキしながら彼の言葉を待っていると、ついに彼が口を開いてくれた。
「あの、名前さん」
「は、はいっ」
「約束・・・・・・しません?」
「約束?」
 何のだろう。首を傾げると、
「お互い、一人前になる約束」
 彼はにこっと笑い、そう答えた。
「はい――約束します」
 そしてどちらからともなく小指を立てた手を差し出し、指切りをする。
 でも何だか子供っぽくておかしくて、お互い同時に笑い出した。

「名前ちゃーん」
「うぇっ、あっ、アイカさん!!」
 突然アイカさんの声が聞こえて体がびくんっと飛び跳ねる。
「あはは、すっかりチョロ松くんと仲良くなったみたいね。――あともう少しで帰ろうと思うんだけど、いい?」
 私は勿論こくこくと頷く。
 でも内心はそうではなかった。もっと、彼と――チョロ松さんと一緒にいたい。
 ともあれ、私は後ろ髪を引かれる思いで帰りの支度を始める。
「チョロ松さん、今日は本当にありがとうございました。すっごく楽しかったです」
「いえ、僕も名前さんと話せてよかったです」
 そこで、アイカさんが「行くわよー」と私を呼んだ。
 私は「はーい!」と返事をして、もう一度チョロ松さんに向き直る。
「じゃあチョロ松さん、また来ま――」

 その続きは言えなかった。

 彼の唇が、私のそれを塞いだから。

 不器用なキスだった。少し震えていて、触れていたのはほんの一瞬だけ。
 でも確かに、温かい感触が残った。

「・・・・・・チョロ、松、さ・・・・・・」
 唇を離された後に見上げた彼の顔は真っ赤で、目も決まり悪そうに右へ左へ動いている。
「す、す、すみません、急に・・・・・・」
 彼はこれまた震える声で謝った。
 しかし何回か深呼吸すると落ち着いたようで、
「次会う時にはもっと上手にできるように、頑張ります」
 そう、はにかむように微笑んだ。少し下がった眉、緩やかなV字を描く口。
 唇にはまだ彼の熱が残っていた。





「どうだったー? 結構楽しいでしょ?」
 その後、アイカさんとタクシーで家へと向かった。
「はい、とっても・・・・・・」
 そして窓から見える眩しい夜の街をぼうっと眺めながら、
「また行きたいです。これからも、できるだけ毎日――」
 私は呟くようにそう言った。そっと、自分の唇をなぞりながら。思い出すだけで顔から火が出てしまいそう。でも、とても幸せ。

 チョロ松さん――貴方のまだ下手っぴな口づけを受け取ったのは、私だけ。
back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -