ここにいない少年の話
「おはよう苗字!昨日はよく眠れたか?俺は兄弟たちと少しばかり喧嘩をしてしまってな、あまり眠れなかったんだ」
「………そう」
「苗字、今日もサンシャインが輝いているな!」
「…今日曇りだけどね、外」


同じクラスの男の子である松野カラ松くんに告白されて、早くも一週間が経った。
松野くんはこうしてわたしが登校してくるとまるで飼い主に懐く子犬みたいに寄ってきてにこにこと笑うのだ。松野くんは聞いてもいない話を嬉しそうに話してくれ、わたしにはちょっと意味のわからないことも言う。窓の外の晴れてもない空を指差してサンシャインだなんて、松野くんには一体何が見えてるのだろう。


「苗字、俺は君の輝く美しい瞳に心を奪われてしまった…どうか、俺の人生に添い遂げるマイワイフになることを前提に、俺との愛を育んではくれないだろうか」


一週間前、彼は突然わたしの席にやってきては、わたしの手を取って上のセリフをペラペラと話して見せた。もちろんわたしは松野くんという存在の認識は、同じクラスの男の子ということ以外にない。
そんな松野くんに対してわたしの抱いた感情はただ一つ、「なんだこれ」だ。目をぱちくりさせてしばらくなにも考えることができずに思考停止していると、松野くんは続けて言ったのだ。「つまり、俺は苗字のことが好きなんだ!」と。わたしたちの様子を眺めていた他のクラスメートたちも驚きが顔全体に現れていて、開いた口がふさがらないとはまさにこのこと。

できることなら、はじめからそう言って欲しかった。たぶん普通に「好きだ」と言ってくれたなら、松野くんをちょっと男の子として、異性として意識したかもしれない。ちょっとドキッとして、お付き合いをしてみてもいいかと思ったかもしれない。
決して告白されたことに対して悪い気はしないけれど、突然の出来事とはるか斜め上を行く松野くん語に対する驚きと戸惑いのおかげで、松野くんを異性として意識するなんてあの時のわたしには到底できなかった。つまり、やんわりとお断りしたのだ。「松野くんのことをよく知らないから、ごめんなさい」と。


「そうだ苗字、駅前に新しいカフェができたそうなんだ」
「カフェ?」
「ああ、なんでも紅茶がすごく評判らしい。もちろんケーキもうまいみたいだ!」


松野くんはこの一週間、まるでわたしが絵に描いたような愛想のない返事をしたって全く懲りることなく、わたしに向けていろんなことを話してくれた。
駅をいくつか行った先に新しくショッピングモールができたこと、そのショッピングモールの近くにおいしいハンバーグランチが食べられるお店があること、学校の裏にある小さなカフェはかわいいラテアートを披露してくれるお店として隠れた名店だということ、今度赤塚区内の会館に有名な芸人が来ること、会館の隣のラーメン屋さんが絶品なこと、他にもたくさん。


「すごい、よく知ってるね」
「そ、そうか?」
「……あのさ、松野くん、」
「…そうだ苗字、その、課題があるのを忘れてたこら、俺は席に、」
「ちょっと待って」


どうしてそんなにたくさん知ってるのだろうと思うくらい、いろんな情報を持っている松野くん。そんな松野くんは、いつもにこにことその情報をわたしに披露しては、話し終えた途端に顔をこわばらせてそそくさと去っていく。今日のように「先生がそろそろ来るから」「用事を忘れてた」「課題がある」と言って、本当に突然去ってしまうのだ。
それが不思議で仕方なくて、わたしは今日思わず松野くんの腕を掴んで引き止めた。気が付いた時にはもうわたしの右手は松野くんの手首をがっちりと捕まえていて、もう引くに引けない状況といった方が正しい。


「どうして、いつも話し終えたら突然怖い顔してどこかに行くの?」
「えっ」


松野くんという、彼のことがよくわからない。朝いつも声をかけてくれて、たくさんのことを話してくれるのに、突然去ってしまう。
松野くんは朝から不思議なことばかり言うけれど、こうしてにこにこしながらたくさんのことを教えてくれるのは純粋に嬉しかった。それなのに。


「その……苗字、笑わないと約束してくれるか…?」
「…わかった」


観念したと言いたげな松野くんは、視線を泳がせながらちらちらと時々わたしの表情を伺っているようにも見える。松野くんの手首を掴んだわたしの手のひらに、だんだんと熱が伝わってくる。
松野くんの口からどんな言葉が飛び出すのか内心少しどきどきしながら、松野くんが話し始めるのを待った。


「…苗字のことを、デートに誘いたいと思ったんだ」
「わたしを?」
「苗字、俺に言ってくれただろう?俺のことをよく知らない、って。だから、俺のことを知って欲しいと思って、デートに誘いたくて、でもなかなか誘えずにいたんだ」


手のひらに伝わってくる熱が、どんどん熱くなっていく。松野くんはみるみるうちに顔を真っ赤にして、すぐにうつむいてしまった。髪の間から覗く耳まで真っ赤に見える。
いま目の前にいる松野くんはそわそわとして落ち着かなくて、朝にいつも見る自信たっぷりでかっこつけたような松野くんと同じ人だとは到底思えない。


「もしかして、カフェとかそういうのも、調べてくれた?」
「……雑誌と…あとは、弟が詳しいんだ。俺一人じゃ女の子が喜ぶような場所はわからないから、いろいろと聞いて教えてもらったんだ」


松野くんはこの一週間、たくさんの話をしてくれた。松野くんの兄弟のこととか、昨日は何してたとか、明日はどこへ行く予定だとか、新しくできたカフェのことだとか。
それは全部わたしに「松野カラ松くん」という彼の存在を少しでも知らせようとしてくれた行動。松野くんの告白に対して「あなたのことをよく知らない」と答えたわたしに、松野くんは諦めることをせずに真正面から向き合ってくれたらしい。
無責任な話だと言われてしまうかもしれないが、いまはじめて松野くんから本当に好いてもらっているのだと実感した。


「…す、少しずつでいいから、苗字に俺を知って欲しいんだ!」


一週間前とは違う、難しい単語を集めて塗り固められた、演劇の中の台詞のような言葉ではなくて、何も着飾っていない松野くんの本心であろう言葉が、顔を真っ赤にした松野くんからわたしに向けられた。そのときにはもうわたしの中の「松野カラ松くん」という存在は、すっかり異性に姿を変えていたのだ。

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