「休暇?ダンテが?」



近状報告に訪れたクレドの言葉を聞いて、現在熱を出して寝込んでいるネロは思わず頭を上げた。医者は疲れが溜まっていたのだと診断したが、まあ、熱の原因は本人が一番わかっているわけで。珍しく大人しくしている矢先の出来事だった。
ダンテが休暇。そう言えば、この三年で一度も耳にしたことのない言葉である。



「知らなかったのか?てっきりお前が休暇をやったのかと思っていたが」

「いや……そんなこと、全然」

「珍しいな。ダンテ殿がお前に黙って」

「アイツなんて言ってた?」

「ああ、便利屋時代に住んでいた事務所が気になって、とか。さすがに三年も帰っていないようではな。ちゃんと引き払いに行くつもりなんじゃないか」

「……ダンテが今何処にいるかわかる?」

「ああ…そう言えば、あれから姿を見ていないな……。まさか、もう…」

「…………」



ネロはあの夜から一度もダンテに会っていない。
言いたいことがいっぱいあった。この17年間で初めて、宝物のような夜をくれた男に。目を覚ました朝、温かな笑みを浮かべて自分を見つめる彼に、言いたいことがいっぱいあった。しかし夢から覚めた後、隣に男の姿はなかった。たった一人で吸い込む空気に、ぎゅうと首を締められた感触がした。あの夜は本当に夢だったのではないかと、言い得ぬ不安に肺を押し潰された。もう二度と彼に会えないのではないかと、本気で呼吸が苦しくなった。今ダンテの姿を見てしまったら、周りに誰がいようが構わず飛びついてしまうだろう。好きだ、愛してる、もう俺を置いて何処にもいかないでと、ぐずぐず泣きながら喚き散らしてしまうだろう。そんなことをしたら困るのはダンテだ。会いたい。どうしても彼に会いたい。しかし、会ってはいけない。今の自分と彼の関係のままでは。
ネロは僅かな時間に散々な思いを巡らせて、静かに前を見た。脇に盛られていたフルーツの中から林檎を一つ手に取り、ずいっとクレドに差し出しながらネロは告げた。
ネロは、選択した。



「お願いがある。クレド」

「なんだ?」

「ダンテを、ここに連れてきて」

「ほう、それは……困難な命だな。素直に打ち明けるが、私は故意に行方を眩ませたダンテ殿を見つけられた試しがない」

「うん、知ってる。でも…」

「ああ、王から賜った命。全力を尽くして全うしてみせよう」

「サンキュ」



眉を寄せて笑みを繕うネロから、クレドはしっかりと林檎を受け取った。



















「風邪は治ったか、ネロ」



ダンテがネロの前に姿を表したのはそれから4日後のことだった。その手には、クレドから受け取ったのだろう真っ赤な林檎が握られている。
まるでなんでもないような素振りでネロの前に佇むダンテ。そんな男の顔を、ネロもなんでもないような素振りで見つめていた。



「まさか見つかるとは思わなかったな。わざわざ山越えて国を出ようとしたってのに。あの騎士団長様むちゃくちゃだな。千人も部下引き連れて山狩りだぜ?熊に襲われた方がまだマシだ」

「ダンテ」

「………」

「休暇なんてやった覚えない」

「おいおい王様、休暇くらい取らせてくれよ。ここはいつからブラックキングダムになったんだ?」

「俺はなにも、聞いてないよ」

「…………帰るんだよ」

「…………」

「俺の、便利屋の人生が始まった場所にさ。ほら、俺の帰りを待ってるベイビーちゃんだってそろそろ愛想を尽かせちまうしな」

「なあ、ダンテ」

「…………」

「俺たち、」

「……」

「そんなに、悪いこと……したのか?」



そう言って、必死になんでもないような素振りをしていたネロの表情が、ぐにゃりと歪む。あからさまに震えたネロの声を耳にして、必死になんでもないような素振りをしていたダンテの体が、ガクンと崩れ落ちた。床に両掌を付けた格好で、ネロに向かって頭を下げるダンテ。



「すまないネロ!俺はもう、お前の傍にはいられない!」

「なんで、そんなこと、言うんだ、よ」

「俺はもうお前を求めずにはいられない。俺とお前のこんな関係が誰かに知られてみろ!お前の身にどんな危険が及ぶか知れたもんじゃない!大臣だって貴族だって兵士だって世間だって黙っちゃいねぇ!俺はもうお前を守るどころか危険に晒しているんだ!こんな、こんな俺が、お前の傍にいられるわけがないんだ!」



地面に向かって叫ぶ男に、ネロは飛びつく勢いでその胸ぐらに掴みかかった。
同じ色の青い瞳が、お互いの青い瞳の中にしっかりと映し出される。



「じゃあ、俺も、この国、出るよ…!王様なんて辞めるから!アンタと一緒に、絶対一緒にいる!」

「ばっ…バカなこと言うなッ!この国の王はお前だ!そんな無責任なこと口にするんじゃねぇ!!」

「無責任なのはどっちだよ!!アンタが、アンタが言ったから俺は王様なんてわけわかんねぇことしてんじゃねぇか!アンタが、ずっと守ってくれるって、アンタが言ったから!!」

「それはっ」

「なんだよ、また忘れてくれとでも言う気か?間違いだったって言うのかよ!ふざけんじゃねぇ!!」

「…ネロッ…!」



逃げるつもりだった。もう二度と戻らないつもりだった。しかし、自分を探しに来たクレドから林檎を受け取った瞬間、もう一度、ネロに会わなければと決心した。
突き放すつもりだった。さよならを言うつもりだった。しかし、目の前に迫る青い瞳の甥を、この腕は構うことなく抱きしめていた。
あの日、確かに誓ったのだ。約束したのだ。父に、兄に。この国を、この子を、あなたたちに成り代わり必ず守り抜くと。しかし自分は間違った。もう、取り返しなどつかない。この国が、この子が守られるなら、それは自分の手である必要などない。誰かがきっと守ってくれる。だから、自分は逃げてしまえばいいと思った─────なのに、




「アンタと一緒に行くよ、ダンテ」




この手はもう、この子を離せなかった。
それは、満月から降ってきたこの子をこの両手で受け止めたあの夜から、あの瞬間から、もう決まっていたのだ。


ダンテはゆっくりと、ネロのクセのある銀糸を撫で、涙に濡れた長い睫毛を撫で、頬にキスを落とす。ネロはたっぷりと涙を溢れさせながら俯くと、勢い良く男の頬に右掌を打ちつけた。突如の張り手に面を食らうダンテの顔を、更にネロはがしりと掴む。二撃目に備えて思わず身構えると、ダンテを襲ったのは柔らかな唇の感触だった。拙いながらも、深い深い愛を含ませたキス。雨とムチもいいところだ、とダンテは苦笑いを零しながら、仕返しとばかりに熱いキスでネロの唇を覆ってやった。この暴君は、やはり自分でなければ手に負えないのだ。



「国のことは…どうするつもりだ…?」

「クレドに頼んだ。よく考えたらさ、俺なんかよりアイツの方がよっぽど統率者に向いてると思うんだ。それにクレドは俺の兄貴だし。関係性で言ったら全然問題ない。皆も納得してくれるさ」

「クレドは、なんて?」

「王の命に従うのが騎士の務め。そして、弟の幸せを願うのが兄の使命だって、言ってくれた」

「お前はそれで……いいのか?」

「ダンテがいてくれればいい」

「ネロ…」

「アンタは俺に言っただろ。“世界は広い”って」

「………」

「俺に世界をくれたのは、ダンテだから」

「………」

「アンタと二人で、アンタが見てきた広い世界を見たいんだ」

「………ネロ」

「ん?」

「俺と一緒に来てくれるか?」

「はい」



許されないことかもしれない。許されないことだろう。けれど今度は、独りではない。たった独りで背負うべき罪から逃げ出したあの時とは違う。今度は、一緒に罪を背負ってくれる、愛おしい子が隣にいる。
ダンテは床に転がしてしまった真っ赤な林檎を拾い上げ、申し訳程度に袖で拭うと目の前の天使に差し出した。天使は瞳を細めて美しく微笑むと、男の手に自分の両手を添え、二人同時に禁断の果実にかじりついた。


そして男は二度目の亡命を果たす。
隣に一生を懸けて背負う罪を連れて。










end.



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