林檎を売りに









「昔、孤児院の図書室で読んだ本の話なんだけどさ」



本の題名とか、詳しい内容は覚えてないんだけど。確か…こんな話だった。
子どもがさ、遊んでたんだ。お店屋さんごっこが流行っててさ。その日は肉屋さんごっこをしようって話になったんだ。店主役と、豚役に別れてさ。そうしたら、店主役の子どもが、豚役の子どもを包丁で刺したんだ。首を切って、血を抜いて、腹を裂いて四肢を切り分けた。子どもに悪意はなかった。殺そうと思ったわけじゃなかった。肉屋になりきって、目の前の豚を捌いただけだった。
だけど、人を殺したのは事実だ。だから大人たちはその子どもを裁判にかけた。けれど、子どもに何を聞いたって無駄だった。楽しく遊んでいただけだったのに、いつの間にか怖い顔をした大人たちに囲まれているんだ。子どもはわけがわからずぐずりだした。
埒が明かないと、一人の大人が言った。


子どもの目の前に、金貨と林檎を同時に落とそう。


子どもが金貨を掴めば有罪。


林檎を掴めば無罪とする、って。


裁判官が子どもの目の前に金貨と林檎を同時に落とした。
子どもは迷わず林檎を掴み、無罪となった。





カゴいっぱいに積み上げられた林檎を眺めながら、俺はダンテにそんなどうでもいいような話を振った。農園に住み着いた悪魔の討伐依頼があって、この大量の林檎は要するに戦利品だ。太陽の光を十分に吸い込んで、真っ赤に熟したその林檎を眺めていると。遠い昔に心の隅に根を張ったまま見てみぬフリをしていた芽が、グズグズと疼き出したのだ。そんなむず痒い疼きに促されるまま口を開いた所為で、話を振られた当人もむず痒い表情をしてなんとかリアクションをとっていた。俺が何故こんな話をし出したのか理解が出来ないからだろう。しかしこの男はいつだって、俺が着地点の見えない話を振ると、良くも悪くも180度ひっくり返して着地させるスキルを持っている。そんな男が目の前にいたから俺は、林檎を見て、むず痒い気分になって、昔から誰かに聞いてほしかったこの話をしたくなって、この話をすることができたのだ。



「まあ、金を掴むのは卑しいことで、林檎を掴むのは純粋なことって意味だったんだろうけど。その話読んで、俺思ったんだ」



その子どもはきっと、悪魔だったんだ、って。



「なんでだ?」

「だって、悪魔は人を殺しても、裁かれないからな」



悪魔は平気で人を殺す。それこそ腹の減った子どもが目の前の林檎に飛びつくみたいに。そんな悪魔を裁く術を、俺たちはもってなくて。悪魔なら人を殺しても許される世界。それが今、俺たちが生きてる世界なんだなって。幼いながらに、そう思ったんだよな。



「それで、俺。考えちまったんだ」



今、俺の目の前に。脂みたいに鈍い色でギラギラ光る金貨と、太陽みたいに真っ赤にキラキラ光る林檎が落ちてきたら。
俺は多分、林檎を掴むんだろうなって。
その瞬間は許されるかもしれないけど。俺は誰からも気付いてもらえないうちに、この身体を真っ赤な血に浸していくんだろうなって。そして、悪魔になっていくんだろうなって。



「そう、思ったんだよ」

「…………………」



ほんの3秒ほどの間に、ダンテの次の台詞を想像した。後ろ向きな発言をする俺に対して、この男はどんな励ましをするんだろうか、と。俺が隣にいる限りお前を悪魔になんてさせやしない、とか。そんな世界にならないために俺たちは悪魔を狩っているんだ、とか。そんな単純な言葉でも、この男の口から発せられるだけできっと俺は救われる。幼い頃から周りの人間に容姿の違い、価値観の違いを指摘される度に。俺はいつ、食肉用の豚と間違えて人間を捌いてしまうのだろうと恐怖した。俺はいつ、この人間の皮を破って悪魔になってしまうのだろうと。現に、俺の右腕は肌色の皮膚を破って悪魔の鱗と化している。朝、目が覚めて右腕を見る度に安堵と不安に胸が揺れるのだ。ああ、まだ悪魔化しているのは右腕だけだ、と。ああ、次に目を覚ました時、全身が悪魔になっていたらどうしよう、と。いつ、いつ俺は、悪魔になってしまうのだろう、と。成長する度に、自分の心を守るように忘れようとしていたこの恐怖の芽。自分の手ではどうしようもない不安の根。彼なら、ダンテなら摘み取ってくれるだろうと期待したその3秒後。



「じゃあ俺は金貨を掴もうかな」

「………は?」

「俺は林檎よりストロベリーサンデーが食べたい」

「……………」

「その金貨で坊やをデートに誘って一緒にストロベリーサンデー食って、うまくいけば坊やを口説けるかもしれないしな」

「…………………」

「断然、俺は金貨を掴む」



全くリアクションに困って仕方がない解答が返ってきた。俺の期待に応える気など毛頭無いらしい。期待をしたのは俺の勝手だが若干の怒りが込み上げる。本当に悪魔になりそうだ。いや、180度話の腰を折ってくるのはこの男の日常だった。ある意味期待通りではある。



「だから……、金貨掴んだら有罪だって」

「はははっ!その辺のおまわりに捕まるほど俺はマヌケじゃないな!うまく逃げてやるさ。その時はお前も一緒にな」

「そう言う問題じゃ…」

「よし、坊や!」



ガン、と椅子を引き倒しながらダンテは勢い良く立ち上がった。積み上がった林檎が一つ、バランスを崩して転がり落ちる。男は無駄にスタイリッシュにその林檎をキャッチすると、俺に突き付けてこう言った。



「この林檎、売りに行こうぜ。市場まで」

「は?」

「果樹園のもぎたて林檎だ。うまく捌けば高く売れる」

「……ヤダよ。めんでくせぇ」

「この林檎売った金でストロベリーサンデーを食いに行こう!な!デートだと思って!」

「………………」

「坊や、さては“わらしべちょうじゃ”を知らないな?ガキの頃に読む本を間違えたんじゃないのか?」

「わらし……?なんだそれ?」

「自分にとってはなんの価値もない物が巡り巡ってすげぇもんに化けるって話だ。だから、もしかしたらこの林檎が…」

「……」

「坊やの心に化けるかもしれない」



つまり彼が言いたいことは、こうだ。
林檎を売って、小遣いを稼いで、二人でストロベリーサンデーを食べて、ちょっといい雰囲気になって、甘い気分になって、そのまま夜を楽しもう、と言う魂胆だ。
全く、自分が何を悩んでいたのか忘れてしまう程の切り返しだ。お陰で、さっきまで俺の不安を煽る悪魔のようにしか見えなかった林檎が、今は今日と言う日を最高に楽しませてくれるキューピッドに見えて仕方がない。忙しなく出掛ける準備に取りかかる男の後ろ姿が俺に告げた。“相も変わらず今日もお前を愛しているよ”と。それが、これ以上ない彼の解答だった。



「電車で行った方が早そうだな。坊や、これ、切符代だ」



男の手から放られたコインと、カゴから転がり落ちた林檎が俺の方へと向かってくる。
俺は迷わず右手でコインを掴み、こう言った。



「こんなもんで俺の心が買えると思うなよ」





俺が悪魔になって、真っ赤に染まった両手を見て絶望していようとも。彼は何食わぬ顔でこう言うのだろう。相も変わらず下心丸出しのニヒルな表情をして。一緒にストロベリーサンデーを食べに行こう、と。








end.



昔読んだ本のお話しでした。あれはなんの本だったんだろう…(・ω・;)
(16/0428)


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