Ms.
貴女の胎盤に抱かれていた日々は、私にとって夢のような時でありました。
貴女の羊水に包まれながら、貴女の胸に抱かれる日を想像しておりました。
とくとくと巡る貴女の血流から、私は貴女の瞳の色を教わりました。貴女の髪の色を知りました。貴女の肌の色を聞きました。
幻想の中で見た光景は、とても美しい世界でした。
とてもとても美しい貴女と、貴女にそっくりな容姿をもった私が、笑いながら手を繋ぎ、草原を歩いているのです。
世界はとても美しい。そんな世界で私は、貴女に与えられるものを食べ、貴女が語る事柄を覚え、貴女が奏でる歌に涙を流すのでしょう。
そんな幻想に胸を踊らせていた日々は、惜しくも短い時でありました。
少し大きくなった私は、より強く、貴女の心を知ることとなりました。
くらくら揺れる貴女の心音から、私はこの世の残酷さを学びました。生きるということは、痛みに耐えることだと教わりました。父が、いないことを知りました。
貴女の苦鳴を子守歌に眠った私は、まだ幻想を夢に見ておりました。
そこはやはり美しい世界。その世界で背を伸ばす私は、やはり貴女とよく似た容姿で。貴女が選んだ服を着て、貴女のお気に入りの歌を口ずさみ。貴女が切り揃えた、貴女と同じ色の髪を靡かせながら、貴女のことを呼ぶのです。
きっと、世界は美しい。
それを、貴女はまだ知らないだけであると。
私は産まれ出た瞬間に、貴女の肌に触れながら、ありがとうございます、ああ、ありがとうございますと叫ぶでしょう。
貴女に良く似た小さな私を見て、貴女はきっと、世界は美しいのだと信じて下さるでしょう。
痛みと苦しみに耐えた分の幸せを、感じて下さることでしょう。
父などいなくとも、この私が。この私が愛する貴女を幸せにします。ありとあらゆる世界の残酷から、貴女を守り抜きます。
ああ、あなたは
わたしのこのいのちを
あいしてくださいますか
しかし、世界はやはり、残酷でありました。
私は、貴女に似ることができませんでした。
貴女と同じ髪の色を。
貴女と同じ瞳の色を。
貴女と同じ眉の形を。
貴女と同じ鼻の形を。
それらをもって生まれることが、できませんでした。
できなかったのです。
貴女の腕に抱かれた秒数は、いったいどれほどのものでしたか。
くしゃくしゃに濡れたこの毛髪の色を、初めて貴女を見つめることができたこの瞳の色を、貴女はどう思いましたか。この色を目にした瞬間に、貴女はどんな表情を私に向けられましたか。たった一度でも、微笑みを下さいましたか。驚いて、私を床に投げ捨てましたか。
今となっては、思い出すことも叶いません。
膨らんでいくお腹に、貴女は嘸、恐怖したことでしょう。
私の身体が真っ黒な布で包まれていく最中。私が貴女へと伸ばしたこの掌を、貴女は果たして、握り返して下さいましたでしょうか。
きゅっと手を引っ込めて、早々に手放されたのでしょうか。美しいそのお顔を歪めながら、真っ黒な私に向かって、呪いの言葉を、吐かれた、のでしょう、か。
醜い姿で生まれてきたことを悔やみました。
貴女が望んでいないことを知ってさえいれば、私は生まれてなどこなかったのに────
この瞳の色をもって生まれたことを、この髪の色をもって生まれたことを、この肌の色をもって生まれたことを。ただ一言、ごめんなさいと。ごめんなさい、と。謝りたかった。謝りたかったのです。ごめんなさい、と。ただこの一言を貴女に伝えることができるまで、貴女の腕に抱かれていたかった。傍に、置いてほしかった。
他の誰でもない貴女に。
貴女に名を付けてもらいたかった。
貴女に髪を梳いてもらいたかった。
貴女に服を選んでもらいたかった。
貴女からの誕生日プレゼントが欲しかった。
貴女の誕生日にプレゼントをあげたかった。
老いた貴女の背中を支えながら、椅子に腰掛けるのを手伝いたかった。
他の誰でもない、貴女に。
貴女に愛してもらいたかった。
「ネロ」
「………」
「ん?おーい。坊や?」
「………」
「ネーロー」
「……ダンテ、あのさ」
「ん?なんだ?」
「もし、俺の名前が、ネロじゃなかったら」
「……………」
「アンタは俺を、愛してくれてた?」
「………んー……」
「…………」
「……お前が、」
「…………」
「お前が、生まれてさえいれば。俺たちは、どんな形であれ、出会ってたんじゃないかな」
「………」
「考えてみろ。最低最悪の出会い方をしたって、俺とお前は今、こうしているんだ。だから」
「…………」
「出会ってさえいれば、俺はお前を愛したよ。どんな名前で生まれたお前だって」
「…………………」
「なんだ?不満か?」
「いや、」
「………」
「ありがとう、ダンテ」
「どういたしまして」
──────おかあさま
貴女の命と、貴女の意志が産み落としたこの私は今も、誰かを愛することのできる人間に育っています。
たったそれだけではありますが。どうか。たったそれだけでも、誇って頂きたい。
end.
おっさまがキング・オブ・マザコンなのは存じの通りなので、坊やのマザコン風味を考えてみましたww愛すべきマザコンww
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