だから、もう言わない













掌に乗せたドロリとしたボディーソープの液体を眺めて、先程まで舌の上に乗せ、くちゃくちゃと味わっていたものを連想してしまった。これと良く似た白濁の匂いを思い出して吐き気を催しながらも、掌の液体に思わず鼻孔を近づける。
すん、と匂いを嗅ぐ。何の変哲もない、嗅ぎ慣れたボディーソープの匂いにも関わらず、う、と嗚咽を漏らしてしまった。胃の中からゴポリと込み上げたものを飲み込んで、震えながら掌の液体を太腿になすりつけた。
思い出すだけで吐き気のするひどい臭いだったはずなのに。興奮とは怖ろしいもので。自ら白濁の噴出口に鼻を近づけ、口を開き、舌を垂らして、ここに、ここに出して、と請うていたのだ。にわかに、信じがたい事実である。
あの無駄に青臭く、無駄に粘度があって、無駄に喉に絡まるあの液体が。あれやこれやの過程を経て立派に血の通った人間になるのだ。それを思えば、どうだろう。生き物とは中々どうして、悪魔より怖ろしい物体だ。



「………汚ねぇ」



シャワーのコックを捻り、生温い温水を頭から被る。その心地良い温度がまた、先程の濃密な触れ合いを連想させて、頭が火照った矢先に慌てて冷水に切り替えた。ただただ、排水口へと流れる水を目で追うだけの空虚な時間。身体を洗いにきたはずなのに、再びボディーソープを掌に乗せる勇気はなかった。






「坊や」



身体が跳ねる。
ばんばん、と少し控え目に扉を小突く音と少し柔らかい男の声が、シャワーの音に混じってバスルームのタイルに反響した。
途端に全身がぶるりと震えたが、これは冷水により身体が冷えた所為だろう。



「坊や」

「……………」

「大丈夫か」

「………」



彼の問い掛けに、答えることはできなかった。大丈夫ではない。大丈夫ではないけれど、ここで大丈夫ではないと答えれば、彼はこの薄い扉を開けて、俺の身体に触れるだろう。この煌々と照明が照りつける空間で、熱の逃げ切らないこの身体を触れられてしまったら。彼の水面の瞳を認識してしまったら。再度、おかしなことになりかねない。
俺は黙ることを選んだ。黙秘権と言うヤツだ。犯罪者に許されて俺に許されないなんてことはないだろう、などと考えながら。震える身体を両腕で抑えつけて、水の冷たさに耐えながら唇を噛みしめた。



「聞こえてるか?」

「………」

「シャワー、止めてくれよ」

「………」

「坊や」

「…………」

「悪かったな」

「…っ!」



シャワーを止めて、扉へと振り返る。
皮膚はすっかり冷え切ったけれど、ずくん、ずくんと疼く内蔵を冷ますことは叶わず。男の声に身体が再びジリジリと火照り始めた。その熱に急かされるように、扉の向こうにいる男の表情を想像しながら言葉を待つ。



「……ごめんな」

「………………なにを?」

「ん?」

「なにを、謝ってんだ?」

「あー……驚かせちまったことを、だな」

「…………」

「びっくりしただろ」

「………………」





コトに至った、これと言った理由はない。所詮はそんなものだろうと思う。それでも理由をつけるなら、雰囲気と勢いと興味。そんなものだろう。
それでも、理由はない、なんて理由で終わらせられる状況ではないことも確かで。
これが親身になった男女であるなら、なるようになった結果なのだろうが。俺とあの男は恋仲になった覚えもなければ、ましてや男同士なのだ。それなのに俺は。雰囲気でキスに応え、勢いで服を脱いで、興味で舌を出していた。何度も唇を合わせながら、互いのものを舐め合って、身体を擦って、掴んで握って、揉んで、飲んで、ぐらぐらと、頭を揺すった。こうしろと、教えられたわけでも命令されたわけでもないのに。自分から。望んで。
あの時の心境を、今更思い出せはしなかった。



「話がしたいんだが」

「………いらない」

「俺はいらなくない」

「俺はいらない」

「……んー…」

「………」

「じゃあ、勝手に喋るから聞き流してくれよ。ただの、言い訳だからさ」

「………」



────コトに至った、とは言ったが。いわゆる、最後まではシていない。
散々舐めて、出して、それだけだった。
あと一歩、と言うところで、俺は男を拒んだのだ。殴って、突き飛ばしたのだ。
恐怖したわけではない。嫌悪感なんてものもなかった。興味を削がれたわけでもない。
どうしても、どうしても。両脚の付け根へと彼を許すことができなかった。


欲しくなったのかもしれない。こう言うことをする、理由が。
性欲処理のためだろうか。ならば、俺である必要はない。この男ならひっついてくる女がいくらでもいるだろう。愛しあうためだろうか。そんな、目にも見えない、手にも掴めない不確かなもののために、ただそこに居合わせただけのガキに手を出すだろうか。何にしたって、俺である必要は、ない。
むしろ、最後までやってしまっていたならば。あの勢いのまま、男と関係を結んでしまっていたならば、もっと楽だったのかもしれないのに。俺たちも血迷っちまったな、とか。冗談にしちゃ笑えないな、とか。たった一度の過ちとして、オトナの遊びとして、終わらせることができたかもしれないのに。それなのに、あんな中途半端に止めてしまった理由が。行為の延長線上にあったはずの、お互いの感情を有耶無耶にしてしまった理由が─────


理由、理由───理由だ。
俺である必要が、俺じゃなきゃいけない理由が、ほしかった。
愛してるなんて言ってほしかったわけじゃない。特別視されたいわけでもない。ただ。
ただ、男の身でありながら、この男の雌になろうとしていたのだ。そんな有り得ない状況をつくった理由が、誰でもよかった、なんてものだったら、俺は─────






「かわいいと思ったんだ」

「………」

「変な意味じゃない。そうだな…、美しいって思うのには理由があるが、かわいいって思うのには理由がないらしい」

「……」

「かわいいと思ったんだ。お前のことが。その……」

「……」

「いつも真っ白な肌が、真っ赤になって、汗でベタベタになってるところとか」

「…」

「暴力にしか訴えたことのないような手で、俺のを一生懸命撫でてるところとか」

「…、……」

「只でさえいつもより高い声が、イク瞬間に更に高くなったところとか」

「……もう、いい…喋るな」

「かわいいと思ったんだよ」

「……」

「理屈じゃないんだよ。かわいいって思うってことは。親が、自分の子どもに思うもんと一緒だ。ただ無性に、理由もなく、コイツは俺が守らなくちゃいけないって、どこから湧いてくるかもわからん使命感に駆られるのと、一緒なんだよ」

「……」

「俺の傍から離しちゃいけないって、そう思っちまうのと、一緒なんだよ」

「…………」

「だから、理由はない」

「な……ないっ、て」

「だから、もうやらせてくれとも言わない」

「……ぇ、…」

「びっくりさせて、悪かった」

「……………」

「悪かった」

「……………………」





その先、扉の向こうにいる男が口を開くことはなく。
俺はただ、ボロボロと熱い雫を垂らす瞼を冷やすために、また冷水を頭から被っていた。





理由なんて、なんでもよかった。
ただ取り繕っただけの理由と一緒に、言ってほしかった。
お前を愛しているからだと。
お前は俺の特別なんだと。
だからもう一度、お前を俺にくれ、と。
言ってほしかった。


二度はない。二度はない、と嗚咽を噛み締めながら。口の端に纏わりついた液体の、舌の上で泳がせた熱い白濁の、感触を、味を、匂いを。俺は忘れられないでいる。









end.



もうやらせてくれとも言わない……けど坊やがOK出してくれたらおっさま喜んで食べちゃうぞd(´∀`●)と言う部分を伝えきれなかった残念なおっさまのお話でした←ぇ
(14/0131)

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