指でなぞるように鍵盤に触れた。
動かす指先と、それにより生まれる音を確かめる。
集中する感覚。
曲調に合わせて、拡がる波紋のように音を重ねる。
楽譜は必要がない。自分で作った曲だから、音のイメージはすべて頭の中にある。
次に来る音と、あの子のことを頭に描きながら、できるだけ甘い音になるように弾いた。
優しい音は君そのまま。
軽快な曲調はどこかとらえどころのない奔放な笑顔。
その小さな体の内にある大きな心、明るさ、暖かさ。
目をとじていると、隠れた僕の気持ちまで聞こえてしまいそうになる、僕の中の、君。
手をとめて、聞こえる筈のない拍手の音に振り返った。
「は、はっちゃん、いつから…?」
「昼休みどこにいるのか探しに来たんだけど、ピアノ弾いてたから」
ごめん、聞かせてもらってた、と笑うはっちゃんにぎこちなく返す。
内心ではこの曲だけではっちゃんに込められた気持ちまで伝わってしまうことはないのだけれど、気付かず聞かれていたことに動揺していた。
「すごく優しい感じの曲だったけど、クラッシック?」
あまり詳しくないから、とはっちゃんはそう言うけど、いつも鋭くて人の感情に聡いはっちゃんの言葉にまたドキリとする。
ゆったりした曲だから、聞いた人がそう答えるのは特別な事ではないのかもしれないけれど、僕の心臓は煩い。
「えっと、ちゃんと名前がある曲じゃないんだ。僕が、作ったから……。」
「もしかしてかまちの羽ペンが駄目になった時に言ってた?あの時のもうできたんだー!」
「覚えていて、くれたのかい…?」
「もちろんー。羽ペンで作曲してるの本格的ですごいなーって思ってたから」
「…そうかな?僕が困っている時にはっちゃんがくれたんだよね」
この学園では普段は自由に外出できないから、購買の境さんに無理を言って仕入れてもらおうかとも考えていたけど、何気なくはっちゃんに持ちかけたら持っていた羽ペンを譲ってくれた。
持っていた事にも驚いたけど、何だか僕が強要したみたいで申し訳なく思っていた。
だけど、はっちゃんがくれた羽ペンが嬉しくてその日のうちに書き上げてしまった。
できた曲がちょうどはっちゃんをイメージした曲になったのも、だからかもしれない。
「何も手に入らない所なのに、はっちゃんはすごいね」
「そうかなー。それが俺の特技みたいなもんだしね。」
笑って言うはっちゃんに僕も微笑む。
やっぱりはっちゃんと話していると心が落ち着くのが分かる。
(はっちゃんは、すごいよ)
「かまち!俺、かまちのピアノもう一回聞きたいな」
「え……?」
「あ、もう終わりにするなら無理にとは」
「そ、そうじゃなくて…、僕の曲でいいの…?」
「かまちの曲がいいの」
「でも、せっかくはっちゃんに聞いてもらうならもっとちゃんとした…」
「かまちはいつもそういう風に言うけど、かまちはすごいんだよ。そういうクセ直さないとだめだ」
君の、君にとってはなんでもないかもしれないことが、僕にとってこんなに嬉しい。
何の不思議もないように言ってくれるから、そうなのかもしれないと思う事ができる。
はっちゃんは気付いているのかな?
はっちゃんがピアノの側にあったイスを持ってきて僕の横に座る。
足をパタパタさせてにこにこしながら待たれているのに気恥ずかしくなりながら、僕ははじめからまたひき始めた。
さっきより音がきれいになったように聞こえるのは、はっちゃんが横で聞いていてくれるからだと思う。
「俺かまちのピアノ大好き」
はっちゃんの言葉が胸に染み入るようで、平常を装っているのが難しかった。
君の言葉は優しくて、いつも心の隅の弱みを埋めてくれるから、皆はっちゃんが好きで必要なんだと思う。
僕にとっても、それは同じで。
(だけどきっと、愛とか、そういう類いの想いではないんだと思う。)
あとわずか、卒業するまではこの学園に居てくれたら、
遠くも近くもない距離で見ていられるだけで、それだけで。
君がここに居ると思えるだけで幸福だと思う想いは、
この気持ちは恋にならない
(この音の意味は、伝わらなくていい)
*
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九龍が好きだという感情は、ずっと引きずっていたお姉さんのしがらみから解放してくれた人だから依存しているだけだと思い込んでいる鎌治。
本当に心から九龍が存在してるだけで幸せだと思ってる慎ましい恋愛をしてる鎌治が好きです。(※当サイトの取手鎌治は攻です)