家事が一段落付いた時間を見計らい、支度をして買い物に出る。
家を出る前に縁側に座る漆黒に一言声を掛けるが、何時も通り柩に対して返事はない。

さして気にも留めず、そのまま玄関に向かおうとすると、柩の後を慌ただしい足音が追い掛けて来た。
草鞋を結びながら音がする方向を横目で見ると、上着の端を掴まれた。



「ちょっと待てよ柩っ、オレも行く!」

「…橘?」

ここまで走って来たのか、軽く息を切らした橘がそこにいた。
玄関で屈んでいた柩が立ち上がってもまるで手を放せばさっさと行ってしまうと思っているのか、着物の裾はしっかり握ったままだ。


「行くとは、買い物にか?」

「ああ!たまにはオレも忙しい柩の手伝いでもしてやろうと思ってさ!心配すんなって、買い物ぐらいならオレにもできるっ」

「別に必要ないが。家で大人しくしていろ」

「ええー!なんでだよ!小銭の区別だってつくし、オレにだって買い物くらいできる!」

「…そこからなのか」

「いいじゃんかよー!着いて行ってもいいよな!?おとうさまー!」


どう撒いていくか思案していると、橘が庭に居る漆黒の方向に叫ぶ。
意外にも間を置いて「連れていってやれ」と返事が返ってきた。



「…っ、行くぞ、橘」

「おう!」


動揺した顔を橘に見られない内に、着物を掴まれた手を引いて歩き出した。


夜が近付く花鶏の市は活気があり、様々な物資が集まるので買い物に出ればなかなかいい物が揃う。
さりげなく成果店やら魚屋やらに目を向けて値段を値踏みする柩と違い、普段あまりこういう場所に足が向かない橘は珍しそうにきょろきょろしていた。


「なんつーか、オレが前に見た時より店が増えてる気がする」

「そうだな、住人が増えれば集まる物も変わってくるんだろう」

「へー…あっ!柩、菓子屋があるぜっ!オレなんか食いたい!」

「駄目だ。今の灯屋には余裕がないんだから、無駄な買い物は控えろ。それにもうじき夕飯だ」

「ちぇー…。だよなー、夕飯のために我慢すっか」


柩がたしなめると、真新しい露店を見ては指を指してはしゃいでいた橘が思案顔でがっくり肩を落とす。
橘は我が強いように見えて物わかりがいい。

意気消沈する橘を見ているとどこか落ち着かなくて、毅然と前を向いたまま慰める。


「…菓子はまた次な。後で寄る八百屋の主人はお前のことを気に入っているから、行けば多分何かおまけを付けてくれるんじゃないか?そんな顔するな」

「そっか?じゃあ八百屋のおっさんになんか野菜貰っておかずを一品増やそうぜっ!」


柩が言うと、ぱっと顔を上げて橘が笑う。
放っておけばその内機嫌が直るのは分かっていても、橘の調子が戻ってほっとする。

どうにも、柩は橘に甘くなりがちだった。


その後も歩きながら橘はあちこち見てはしゃぎ、柩は淡々と言葉を返しながらたまに橘をたしなめるという会話が続く。

歩き続けて店に並ぶ品物が変わってきたのに気付いて、橘は柩を振り向いた。


「柩、野菜とか魚は買わねぇの?」

「先に米と日用品を買う。夏は生鮮食品は悪くなりやすいからな、生物は後だ」

「あー、そっか。魚持って歩き回ったらくさっちまうもんな。オレだったら思い付いたもんからかっちまいそうだけど、さっすが、柩は主婦だから慣れてんなー」

「これくらい普通だ。それに、橘を一人で買い物には絶対行かせないから安心しろ。変な物を買って来そうで任せられない」

「ひでー!オレだってな、買うもの紙に書いて渡されればちゃんと買ってこれるんだぞー!」

「どうだかな。それだけじゃない、夕方にお前を一人でこんなところに出歩かせるなんて危ないからな」


橘は軽く拗ねてすぐに興味が別に移ったようだが、柩は言った後で自分の今の台詞を疑問に思っていた。
実年齢はまだ幼いとは言え、橘は小さい子供という訳ではない。村の子供達と遊んでいて夕暮れ過ぎまで帰って来ない時もあるのに、心配をし過ぎではないのか。

夜の森と夜の町ではかなり違いはあるが。


早く早くと急かして駆けて行ってしまう橘を追い掛けて、あまり深く考えるのはやめにした。
過保護だと分かっていても、橘に対してはそのくらいで丁度いい。


重い物くらい持てると言い張る橘には軽い方の日用品の袋を持たせて、食品を買いに来た道を引き返そうとした時だった。
上から落ちてきた雫がぽつりと地面を滲ませたかと思うと、瞬く間に勢いを増したそれに濡らされる。


「つめてっ!柩、雨だ!!」

「こっちだ橘、早く来い!」


素早く橘の手を引いて、買い物袋を抱えてすぐ近くの屋根まで走る。
道まで品物を出していた露店が慌てて店の中に入れていく間をすり抜けて、丁度目に入った茶屋の店内に飛び込んだ。


「うひゃー、びっくりしたなー。急に降ってきた」

「橘、濡れてないか」

「おう、雨が降ってきてから急いで上着の中に入れたから、買い物袋は無事だぞ」

「そうか。橘、髪が濡れている」


懐から出した手拭いを広げて、橘の柔らかい髪を拭く。家を出るまでに雨が降る予兆は全くなかったので、傘の類いは持っていない。
夕立だからすぐに止むだろうが、まさに晴天の霹靂というやつか。

うわー、と騒ぎながらされるがままに頭を拭かれていた橘が色の違う大きな瞳で見上げてくる。
手を止めると、持っていた手拭いを貸して、と取られて、柩の頭を拭かれた。


「柩も結構濡れてるぜ。お前の方が空と頭が近いから、集中攻撃くらったんじゃねーの」

「何だそれは」

「よっし、今度はオレが拭いてやる」


精一杯手を伸ばして、橘の両手でわしわしと髪に付いた水滴を拭われる。正直に言えば先ほどの柩の手付きとは違い、動物を撫でるような煩雑さで髪が乱れる方が心配になったが、不思議と払いのける気にはならない。

橙色と金色の瞳を縁取る睫毛が、瞬きの度に揺れるのがきれいだとただぼんやり見ていた。
きょとんとした声色で柩?と名前を呼ばれて、反射的に橘の手から手拭いを受け取った。
外の雨はさっきより激しくなったようで、音は途切れない。


「しばらくは雨宿りするしかないな。…寒くないか?」

「ん?平気。早く止まねーかなー。何かオレ、腹へってきちまった」

「じきに止むだろ」

「待つしかねーかー」


雨空を見上げた橘が手持ちぶさたに枡席に座って伸ばした足をばたつかせた。
その脇にはゆるく煙を立ち上らせる湯飲みが置いてある。

店主は二人にお茶を淹れると奥に引っ込んでしまって、柩と橘以外に店内は客がいない。
橘が足をばたつかせるのをやめて、隣に座る柩を見て言った。


「なぁ、ありがとな、柩」

「何だ、急に」

「今日は柩に着いてきてよかったなと思ってさ。買い物くらいならまた手伝ってやるよ!あ、なんなら次は橘様がお使いしてきてやるぞ!」

今回でいくらか買い物の知恵を身に付けたらしい橘が、胸を張って申し出てきた。
こうして雨で足止めを喰っているというのに、着いてきてよかったと言うところが橘らしい。
思わずふっと笑みが溢れる。


「買い物が多い時はまた、頼むな」

「おう!任せろ…うわ、あちっ」

「橘!?」

「うーくちやけどしたぁー…」


叫んだかと思うと、橘が唇を抑える。どうやら会話に集中していてまだ熱い湯飲みに気付かず一口飲んで火傷したらしい。
お茶が冷めるまで、湯飲みを橘から離れた所に置いておけばよかった。
「見せてみろ」と短く言い痛そうに舌先で唇を舐める橘の顎を引く。
たしかに口の端を火傷したようで、一部分だけ赤くなっていた。

そこまで酷くないのに安堵し、赤く濡れる橘の唇をなぞる。
灯屋に帰って、夕食の後に薬を塗ってやった方がいいだろう。


そこだけ色が一段濃くなったのが痛ましくて、柩は思わず顔を寄せて橘の唇を舐めた。
自分の唇で労るように撫でて、顔を離してからそっと指でなぞる。

気付いて顔を見た時には、溢れるのではないかと思うほど目を見開いて唇よりも顔を赤くする橘がふるふると身体を震わせていた。



これも、過保護のうち、なのだろうか。



雨上がり
(首まで真っ赤にした橘がまだ土砂降りだというのに走り出す。雨上がり、その場に残されたのは、買い物袋とどこか呆けた俺だけだった)

2011.11.14
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