Prologue.
夜風がふわりと、頬を撫でる。
天を覆うような暗い色、『夜』と名付けられた風景に目一杯に散らばるのは『星』と呼ばれるものと、夜を照らす『月』と呼ばれるもの。
月が満ち、それが欠けて弧を描き三日月になる。
誰もいなかったその場所に、暗闇の中にふつと現れた誰か。
「やはり殺しておけばよかった」
ぽつりと呟かれた声色は、鈴を一度だけ鳴らしたような、繊細で細くも凛とした『音』。
夜空とは正反対の色で一際目立つ、純白の髪を揺らして女性はこう言った。
「…無知でいられる事を願い、そして無知としてあることを祈りなさい」
紫苑の瞳はただ、前を見つめている。その視線の先に誰がいるわけでもなく。
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ここはどこだろう。自分は誰だろう。
ぼんやり考えても、答らしき答えは浮かばない。
真っ黒だ。髪も身に纏う衣も、黒。
ふと覗き込んだ水面に映る自分の瞳だけは、金色に輝いている。
まるで月のような金色は、夜のような己の黒に浮き出るように目立っている。
孤独のようだ。
言葉にならない寂しさがなぜかこみ上げてくる。自分は今ここに一人しかいない。
けれど、そのすぐ前まで。前まで誰かと一緒にいた気がするのだ。
「−−−。こんなところにいたか」
「またいつもみたいにぼうっとしてるのね、−−−らしい」
「…!!」
声をかけられて我に返る。そうだ、今は二人と一緒にいる。
なぜ、こんなにも寂しさを感じるのだろうか。不思議だ、不思議で仕方がない。
「−−−は真っ黒だから。こんな夜じゃ分かりにくいわね」
「…そう、だろうか」
「けどその目はきれいだ。夜でもとても輝いている」
「………アダムと、イヴに言われると照れるな」
始まりの二人。
黒い蛇。
「主さまってもう結構酷いことするわよねぇん…」
そう思わない?と膝の上に乗せた小さな少女に話しかける中性的な顔の人物。
その人物の膝にちょこんとまたがっている小さな少女の背には、ふんわりとした翼があった。
「…お姉様のいう、愛って どういうものなの?」
「んん?そんなのあなたが一番知ってるじゃないのよん。でも」
敵対しあうのも、視界にいれたくない程に嫌うのも。
殺しあうのでさえも
「これも愛じゃないかしらん…」
「どうして?」
「だってよぉっく考えてごらんなさい?なんにしろ…相手に自分の思考が支配されるじゃないの。それが一瞬の事でも、ふと思い出してしまうくらいには…ちゃあんと想ってるわ」
だからこそ罪深いのよねん、と その人物は少女の太腿をやんわり撫でながら微笑んだ。
少女はそれを嫌がるわけでもなく、「ふうん」と声を漏らす。
「ま、アタシたちはただ見てましょ?白と黒なんて正反対。でもそれは裏を描けば表裏一体。切っても切れない間柄なのよん」
だからこれから起こる悲劇も喜劇も惨劇も、あの二人がどうあがいても変えられない。
余程の"無知"でも ない限りは。
Prologue...
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