03 紙一重の愛と狂気
見つけた。
赤にまみれたつまらない記憶と未来を塗り替える、綺麗で愛おしいものを。
見つけて、捕まえた。その手で潰してしまわないように、あとは優しく愛でればよい。
そしてもう片方の手で次こそは掴むのだ。その形はなんにせよ、誰だって必ず得ることが許されている、幸せを。
自分が探し求め、得られぬことに絶望した最中に差し伸べられた手を掴んだ。どれだけこの時を望んでいたのか、自分自身にもわかりはしない。
渇望していた幸福の為。彼はそのための――…。
"出会わなければ今まで以上の悲劇など知らずに済んだのに"
幸せを許されなかった彼が、ましてや愛してはいけない人を愛したその末路。
たとえ 禁忌を犯す行為で いずれ裁きを下されると わかっていても。
「高校生がいい大人をナンパとは世も末だな。しかも女相手ならまだしも同性」
「いやナンパじゃないって。俺焔先輩のその髪に惹かれたの、綺麗な赤色。思わず声かけちゃった」
「それをナンパって言うんだよがきんちょ。んな事してる暇ありゃもっとやるべき事あるべや」
少しだけ人通りが落ち着いてきた街中を並んで歩く。景山は「だからがきんちょじゃないってば、名前で呼んでよ〜」と幼い子供のようにやはり頬を膨らませた。25歳の焔からすれば18歳の高校生など7歳の差でしかないのだが、実際はそれよりも遥かに違いすぎるのだ。何が、とは今は言わないが。
学生がすることと言えば勉学に励むことなのだが、彼の身だしなみだけを見れば真面目な学生と言うよりは年相応にはっちゃけた雰囲気の学生。医療提供者故に容姿や数回の会話で大体の事はアセスメント出来る。焔が導き出した答えは、
(…まぁ、頭はそんなによろしくねぇだろうな)
教科書など開いても堂々と寝てるタイプだろう。ただ学生服をそれなりに乱さず纏い、そんじょそこらで転がる不良のようなじゃらじゃらぎらぎらとしたものでもないから、勉強が苦手なそこらにいる健全男子高校生、そんなところだろう。
「いやね、今日学校だったんだけどさぁ。なんか最近物騒じゃん?それで学校早めに終わったんだよね」
「だったら真っ直ぐ帰れよ、何の為に学校が早帰りの判断したか分かんねーべ」
「最初は帰ってソッコー寝ようと思ったよ?でもさぁ…焔先輩見たら目が覚めちゃった」
景山がぺろりと舌なめずりした気がした。そして焔の手を引き「こっちだよ」と人気が途絶えた路地裏へ入った。太陽の光が圧倒的に少なくなり、昏く少しひんやりした空気が二人を迎え入れた。
「急に人通りの少ない場所に来たな」
「そ、結構ひっそりした場所にあってさ。もうちょっとだよ」
こつこつと、静かな路地裏に足音が響く。ふと、「ねぇ」と景山が焔に声を掛けた。
「俺、こう見えてアートとか好きでさ。いろんな芸術品作ってんの」
「芸術品?」
「そう。その為に毎日登校中とか学校帰りとか、いろんな人見てアイディア練ってさ。そんで、必要なもん手に入れに行くの」
「ふーん。んで、それがなんだよ」
もう一度景山が、焔の少し後ろで舌なめずりをした。その手に、煌めく銀色を持って。
「今回のテーマ、赤に決めてたんだ。そしたら丁度いいモデル見かけちゃって。ぜひ欲しいなってさ、ねぇ」
焔先輩。
――深く、焔の背にナイフが突き立てられた。深く穿ったそれは瞬く間に白衣を汚し、赤く染め上げる。
「…ッ!?」
「あは、その真っ赤な髪も瞳もすげぇいい。久しぶりに良い作品できそ」
背中に突き立てたナイフは引き抜かれ、ふらついた焔を壁に押し付け今度は心臓へ突き刺す。どっと脈動を打つたびに溢れ出す赤い血がナイフを伝って景山の手を汚し、突き刺した勢いで跳ねたものは彼の白いワイシャツを点々と彩った。
これで死なない人間など居ない。死体はさっそくバラして、作品作りの為に使っている空き家に運んでしまおう。景山がそう考えていると、
「……ってぇな、いきなり何すんだ」
「…え?」
「前触れもなく二か所も刺してきやがって。白衣汚れただろうが」
焔は微かに吐血はしているものの、別段苦しそうにもなく景山を見下ろした。ナイフは間違いなく心臓部に刺さっている。出血の量も致死レベルだし心臓が脈打つたびに血は溢れ出している。
それなのにこの余裕で白衣の心配をするなど、どういう神経してるのか…というかそれ以前の話。
「なんで!?なんで生きてんの…!?」
「うるせぇよ痛ぇんだからさっさとナイフ抜けや」
「え、あ、うん」
ナイフを引き抜けばまた血が溢れるものの、そのあとの光景に景山は目を疑った。血で真っ赤になっている為分かりづらいが、確かに傷が塞がっていた。
「あーこれはもう使えねぇな」などとぼやく焔が白衣を脱ぎ、更には下にインナーとして着ていたタンクトップも脱いだ。路地裏だから平然と脱いでいるのだろうが。
「傷が、塞がってる」
「……いろいろあんだよ俺にも。選んだ対象が悪かったな、俺は殺せねぇよ」
「さっき痛いっつってたよね、痛覚はあんの?」
「あ?一応な。死にはしねぇが痛覚あるから意識飛ぶくらいは」
鍛えてるからそう簡単に意識飛ばしたりもしねぇけど。なんて焔は言いながら傷があった部分に触れる。なぜ傷が治癒するのか、どうして死なないのか。その体質の原因は?焔は人ではないのか。いくつもの疑問が目白押しに脳内を埋め尽くすが、景山は頭を軽く振って焔の身体をまじまじと見た。
細いが程よく筋肉のついた身体は陶器のように白い。紅を塗ったらとても映える事だろう。赤色の髪に赤色の瞳、なるほど彼には赤色が良く似合う。
全身を赤色に染め上げてしまったら、どれだけ美しいのだろうか。それこそその辺の芸術作品なんかよりも遥かに良いものになるかもしれない。
そう思った景山は、脳内を埋め尽くす疑問を「そんなことどうでもいい」とすべて一蹴して焔に近づいた。
「ねぇ焔先輩」
「あ?」
「俺の作品にならない?」
焔はきょとんとした。しかし状況などからその意味をすぐに飲み込んだ焔は「断る」ときっぱり言い切った。
「ちぇ。まぁいいや…でもさぁ焔先輩、その体質のせいで死ねないんでしょ?それってさぁ、辛くない?」
「…別に」
「疎まれそうじゃん」
「だからなんだよ」
焔の決して明るくはない、閉した光が宿る瞳を見た景山がそっと微笑んだ。
つきり、と。焔の胸のうちを揺るがす感覚が再び襲う。
「そこらの人みたいに、真っ赤に血塗れなんてなったらすぐ動かなくなっちゃう人形よりも、焔先輩はすげぇよ。綺麗、俺は好き」
「わけ分かんねぇことほざくな」
「じゃあわかりやすく」
俺なら、焔先輩を愛してあげられる。
狂気を孕んだ言葉は、間違いなく焔が最も欲していた言葉であって差し伸べられた手を掴まない理由など見当たらなかった。
――next...
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