宵待ちのレイディ
いたいけな真夏の劣情の続き。

 

 
「君は…僕を犯罪者にするつもり?」

「もうこんなことはしちゃ駄目だよ」

 諭すように言われて、恥ずかしさが込み上げてきた。自分でもとうとうやってしまった、と思った。でも、折角のチャンスを逃したくはなかった。ここで聞き分けの良い子になるつもりはない。



 まだまだ残暑厳しい九月の二週目のある日。私はいつも通り、予約した時間の五分前にそこにいた。言わずもがなマッサージ店である。正確には整体院だ。ただ、いつもと違う事がある。当然のように行っていたあの儀式を行わずに来たことだ。

 紺色の日傘をたたんで、ガラスの扉を開けばカランコロンと来客を知らせる鈴のようなものが頭上で鳴る。それと同時に中から溢れ出す冷房の冷えた空気に火照った顔と身体が一瞬だけ冷やされた。

「こんにちは、あかりちゃん。いつも時間ピッタリね」
「こんにちは、暇ですから」

 受付の事務のおばちゃんともすっかり顔馴染みだ。まさか私が不埒な考えを持ってここに通っているとは思わないだろう。今日も暑いわねー、なんて、世間話をしている間も私の意識は引き戸を隔てた向こう側に向いているのだから。

 備え付けのウォーターサーバーから紙コップに水を注ぎ、待合室のソファへと腰掛けると、区切られた向こうの部屋から「はい、終わりましたよー」とあの先生の声が聞こえた。口に含んですぐに喉へと流し込んだ水が食道を通って深く落ちていくのが分かるほど、身体は中まで火照っている。それは、アスファルトの照り返しだけが原因とは思えなかった。

 前のお客さんが終わったんだな、と冷たい水と共に少しの緊張感を飲み込む。いや、本来なら緊張感を吐き出すべきなのだろうが、この落ち着かない感じもあの動画の再現のように思えてくるから不思議だ。

 何かがおかしい、そう思いつつも身を委ねていく画面の中の女の人。誤解を招きたくないので言っておくと、私の周りは何ら変なこともなく、いつもの綺麗な整体院なんだけれど、勝手に期待して胸を震わせてるのだ。やはり、あの儀式(そんな神聖なものじゃないのは理解している)は大事なんだな、と再認識できただけでも収穫と言えるかもしれない。

「あかりちゃん、お待たせしました」
「はい」

 先生が、同い年の男の子にはない落ち着いた声で私の名を呼ぶ。ちゃん付けがいつから始まったか、もう記憶にないけれど、子どもだと思われてるっていうのはだいぶ前から気付いていた。そこを突いて入り込めるほどのあざとさが私にはない。

 パリッとノリの効いた白い服の袖から出てる骨張った手に触れてみたいと何度も思ったけれど、実行できずにいる。

 友人にスキンシップの得意、というのは変か。兎に角スキンシップが多い子がいるけど、男女問わず嫌味なく触れる彼女が少しだけ羨ましい時がある。あの天真爛漫さは持って生まれたものなんだろうか。真似したくても私にはできそうにない。

「カーテン閉めるから、上脱いで、これ巻いて俯せになって待ってて」
「はい」

 多くの説明は不要だ。いつも通りやるだけだから。先生もそれを分かっているから薄いグリーンの目隠し用カーテンをひくと、すぐに離れていった。

 ノースリーブのシャツを脱いでキャミ一枚になり、渡されたタオルを巻いていたら離れたところから話し声が聞こえてきた。受付のおばさんの声は大きくて「じゃあ行ってくるわねー、ちゃんと仕事するのよー」とはっきり聞こえた。

 少し、思考が停止するも、平静を装って狭いベッドに横たわる。

 たぶん、今二人きりだ。

 そう意識したら自然と肩に力が入った。実行する絶好の機会だ。自分の重みで潰れた胸が緊張と期待でどくどくと血を送り出すのが分かる。

「お待たせ、開けて良いかな?」
「大丈夫です」
「それじゃ始めようか。どこか辛いところはある?」

 私の上にタオルを掛け上から下へと撫でつける手はやらしさの欠片もなく、ただいつも通り指圧してくるだけ。物足りなさを感じたけれど、この体制では何もできない。先生が時々話しかけてくれるけれど、しっかり話を聞いていないので適当に相槌をうつだけになった。

 それでも、最後の最後にチャンスは巡ってきた。

「はい。じゃあゆっくり起きてそっち側に脚をおろしてくださいねー」
「はい」

 言われるままに先生に背を向けてベッド上に座ると、首から肩、肩から背中へとあったかい手が強めに撫でつけてくる。ここがチャンスだ。幸い、受付のおばさんはまだ戻らないようだし、望んだ形ではないけれど実行に移すことにした。体を伸ばすのと同時、深呼吸をして無駄に力が入らないよう努めた。

「先生」
「ん?どこか痛い?」
「そうなんです、手を貸して下さい」
「どの辺りかな、言ってくれればやるよ?」
「こっちです」

 肩に乗せられた手に触れるのを躊躇ってはいけない。

 自分とは異なる温度の先生の手を両手で掴んでそのまま下へと引っ張った。案外、やってみればどうって事無かったなと、そう思ったのは一瞬で。

「せんせい、手あったかい」

 ぎゅっと先生の手を使って押すとそれに合わせて潰される胸に自分で興奮した。胸を触られて気持ちいいっていう感覚とは少し違う。先生の手が自分の胸に触れている、その事実に気持ちが高ぶっている。これはきっと他の人では駄目だと、大きな手で隠された胸を見下ろしながら思った。視覚効果もあるんだろう。

 だって、これだけで疼いたもの。

「っ、あっ、あかりちゃんっ!何してるのっ!」

 背後から突然大きな声で言われ手を離しそうになった。こちらからは先生の顔が見えない。怒ってるのか焦ってるのか判断に迷うけれど、私が掴んだままの手を引っ込める気配はなくてどう答えるか迷った。本音はこのまま触って欲しい、それにつきる。

「マッサージ、してくれないんですか」
「いいいやっ、こっ、こういうところはしないからっ」
「だめですか?私、先生の手好きなんですけど」
「…っとっ、兎に角一回離そうかっ」
「お断りします」
「あかりちゃんっ」

 分からないけど、凄く困ってるのは声から伝わってきた。でも、私より力が強いであろう先生がずっとされるがままになってるから、口で言ってるほど拒否をするつもりもないのではないかと、都合の良い方に解釈してみた。実際手放しがたい。

「せんせいの手、おっきいですよね。私がやってもこんなに隠せないし……っ」

 もっともっと触ってもらいたくてお風呂上がりにバスタオルを巻くような感じで巻いたタオルの上に先生の手を更に押し付けたら、予期せぬ感覚に身体が跳ねた。

「やっ、あ、せんせい…っ」
「駄目だよ、こんな事したら…君は…僕を犯罪者にするつもり?」

 私の意思ではない。
 先生の手が下から掬い上げるようにして触れてきたのだ。先程の深呼吸はとっくに意味を失って、自室のベッド上にいるときみたいになってきた。いや、それ以上だ。

「まさか、そんなつもりは」
「なら、…もうこんなことはしちゃ駄目だよ」
「…は、い、…や」

 叱っているつもりなのだろうか。駄目だよと優しく諭されているのに、驚くほど優しい手つきで胸を揉まれて頭が沸騰しそうだ。矛盾してるんじゃないかと思ったけれど、何かが溢れ出してしまいそうでそんな事は一瞬にして思考の端に追いやられてしまう。

 懸命に脚を閉じている私の後ろで、先生が一体何を考えているのか気になってしょうがなかった。さっきまではあんなに慌てていたのに、今は何か違う。

「さぁ、もう阿部さんが戻ってくる時間だから、服を着てね」
「きっ、着ます、からっ…」

 いつの間にか添えるだけになっていた私の手をゆっくり解いて、先生の大きな手は離れていった。でも、当然私の中には熱がくすぶったままで、どうにかして欲しくてたまらなかった。

「せんせい」
「……そんな声で呼ばれるとは思わなかったよ」
「?私の声、何か変ですか?」
「いや、変ではないよ。悪い意味じゃないんだ、気にしないで」

 無理な話だ。この状況で先生から発せられる何もかもが私を揺さぶってやまないのに。カーテンを手で避けて出ていこうとするその背中を止めたくて、咄嗟に手を伸ばして服の裾を引っ張った。

「せんせい、もっと触って欲しい」

 こんなに自分が積極的になるなんて思いもしなかった。短く息を吐き出してから振り返った先生は、私という物わかりの悪い子どもをいかに説得したものかと悩んでるようだった。

 そんな視線にでも胸がうるさく鳴る。嫌なら早く手を払いのければ良いのに、今もさっきもそれをしないから諦めきれないのだ。

「私、誰かに言ったりしません。だから」
「…そんな、物欲しそうな顔をしないで。君は、まだ高校生だし、僕みたいなおじさんより年の近い子と」
「胸揉んだくせに」

 う、と言葉に詰まった先生は何か良い切り返しはないかと私から視線を外した。心なしか頬と耳が赤くなっている。なんだ、乙女か。

「お仕事、終わるの何時ですか?また来ますから」

 最大限の譲歩だ。我慢とか理性とか恥じらいとか、そんなものたちを一切合切捨て去った私を止められる人なんていない。あと少しで手に入る状況を逃すつもりなんてないから。

 迷った挙げ句、先生が小さな声で漏らした「八時」というたった三文字に、私は暫く縛られることになる。


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