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『 何だって 誰にだって』


「康平くん、そのまま動かないで……」
「う……」

息がかかりそうな距離で、武村さんが囁きかける。
俺は視線を動かすことができず、彼がわずかに首を傾げた時、くすぐるように鎖骨に触れる柔らかな毛先を感じていた。
細い指が顎を持ち上げ、いいように角度を変える。

「…………はい。もう動いていいよ?」

ポン、と肩を叩かれ、視線を戻した正面には鏡。
そこには、ドレスに身を包んだ、見るもおぞましい自分の姿が映っていた……。


――ここナイトメア・バーでは、月に一度、店長考案のイベントが催されることになっている。
例えば不思議の国のお茶会風バーだったり、例えばスタッフ全員がツナギに身を包んだエンジニア風バーだったりとテーマは様々で、毎回イベントの日には、バーは大盛況となるのだ。
店長のアイデアにはずれ無し。
その実績はスタッフの誰もが理解している。している――のだが、それでも今回ばかりは、はいそうですかと受け入れることはできなかった。

「女装バーってどういうことですか……!?」
「なにか問題?」

楽しそうにニコニコと笑っている武村さんのネクタイを絞めあげて、俺は彼から告げられたイベント名に声を荒げた。
ちなみに彼は、店長ではない。俺が勤めるナイトメア・バーのオーナーであり、一応、恋仲でもある人物だ。
俺はぺちぺちと手を叩かれてネクタイを解放し、どかっとソファに腰を下ろした。

「いや、問題もなにも、やりませんよそんなの」
「はは、そう言うとは思ったけど、店長命令だしねえ」

武村さんは喉をさすりながら、ネクタイを弛めて俺の隣りに腰掛ける。その顔は至極楽しそうだ。俺に好きだと囁く割に、コイツは俺に安寧を与えてくれはしない。

「なら休みます」
「でも、浅葱くんもオーケーしてくれたのに」
「ええ?」

同じくバーで働く浅葱くんは、俺以上にそういうイベントを嫌う子だ。
疑わしげに武村さんを睨むと、用意していたのだろう、彼は俺に一通のメールを見せつけてきた。
差出人は浅葱くん。そこには、来週のイベントを了承する旨がハッキリと書かれていた。
俺の眉間にますます皺が寄る。メールを見ながら盛大な溜息をつく俺に、武村さんはじりじりと体を寄せてきた。

「ね、君も参加してくれるでしょう」
「…………」
「そんな怖い顔しないで。僕にできることなら、なんだってするから」
「……なんでも?」

俺はその言葉にぴくりと反応する。
ずい、と顔を近づけ、俺はにっこりと微笑んだ。

「だったら……」




「――まさか、君が僕の女装姿を見たがってるとは思わなかったよ」
「曲解しないでくれませんか」

口紅を小さな筆に取りながら、武村さんはスカートから覗く脚をすらりと組み替えた。“中身”が見えてしまいそうで、思わず顔をしかめる。
――俺が提示した条件は、「武村さんも女装イベントにスタッフとして参加すること」だった。断じて彼の女装姿が見たいわけではなく、いつも高みの見物でニヤニヤと愉しそうにしている態度が気に入らなかったからである。

だが、案外武村さんは、女装を嫌がってはいないようだった。
彼もバッチリと化粧をしており、ロングヘアーのカツラも着け、肩幅や声こそ男のものであるものの、知らない者が見れば女性だと思ってしまうだろう、そんな姿をしていた。
……垂れてくる髪を耳に掛ける仕草が色っぽい。そんな感想がふと脳裏をよぎり、俺はブンブンと頭を振った。

「ほら、あと口紅塗ったら終わりだから、大人しくしてよ」

そんな俺の前に、赤い口紅のついた小さな筆が差し出される。
唇に筆が触れ、ゆっくりと、紅く色づけていく。
筆が離れるのを待って、俺は口を開いた。

「なんでアンタ、化粧の仕方なんて知ってるんですか」

武村さんは、また筆に紅を取りながら、少年のような、どこか照れくさそうな表情で微笑む。

「きみは嫌がるだろうな、と思って」
「何を」
「たとえば、モーナちゃんにメイクしてもらうこととか」

屈んだ彼の顔が正面に。筆が、今度は上唇を撫でた。

「だから練習した。僕の手で君を変身させられるように」
「……アンタ、本当になんでもするんだな」

武村さんはその言葉に一瞬目を丸くし、それからふっと目を細めてみせた。

「なんでもするし、誰にだってなるよ。……君のためなら」

――手首を、掴んで。身体を、引き寄せ。小筆が床に赤を散らす。
紅い唇で、貪るようにその唇を奪った。
噎せ返るような、白粉の香り。歯列を割って、その中まで蹂躙して。
離した唇に透明な糸。紅が、移っている。
解放された武村さんは、拗ねたような目で俺を見つめていた。

「どうしたの、突然……」
「まだ時間、あるよな」

椅子に座ったまま武村さんを膝に乗せ、俺はもう一度、彼に口づけた。
スリットから覗く脚に手を這わせると、ぴくりと反応した。長い睫毛が、伏し目がちに影を落とす。
武村さんは観念したように溜息をつき、そして呆れた表情を浮かべた。

「……せっかく可愛い康平くんが見れると思ったのになァ。どうしてそう、男らしくなっちゃうかな」
「あいにく、アンタみたいに器用じゃないんで」

クスクスと笑い合って、どちらからともなく口づける。
触れ合う度に肌を撫でる髪がくすぐったいが、まあ、たまにはこういうのも悪くない。……と思ってしまうあたり、かなりこの人に絆されているのではないかと思う。


そしてこの時の俺はまだ知らない。
出勤してきたスーツ姿の浅葱くんに、そしてほかでもない店長に、今日のイベントは「女装」イベントではなく、「仮装」イベントだと知らされることを――……。


-END-


……………

『水道水〜流れ☆』手動販売機様より。
8周年記念企画で「女装姿でいちゃいちゃする武和」をお願いして書いていただきました。

書いてくださって、ありがとうございました!
8周年、そして9周年おめでとうございます!



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