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公園とキッチン



喧嘩の原因はなんだっただろうか。
いや、本当は覚えてないこともないんだけど、要するに思い出して反芻するのも憚られるほどくだらないきっかけだったってこと。
カップルの喧嘩のほとんどはそういうものではないだろうか。

彼の部屋にあるいろんなものを取りに帰らないと。
喧嘩して彼の部屋を飛び出して数日、チョコレートが、部屋着が、お気に入りの下着が、などとグダグダと毎日仕事の後に彼の部屋のすぐ下にある公園に来て、考えている。
ぶっちゃけ寒い。

謝罪をする気はもちろんある、私はすぐに怒りが引くし、引いてしまうとどうでもよくなるタイプなのだ。

はやく仲直りしたいと思うのに、彼に言われた、「出てって」「俺は別に独りでいいんだから」「俺じゃないもっとお前のこと考えてくれるやつと付き合えばいいんじゃない」なんていう冷たい言葉の雨が、まだ、突き刺さって離れてくれないのだ。
その突き刺さった言葉たちが、彼に会いに行こうとする私の足を止める。
真冬の冷たい風が、奮い立たせようとする私の心を余計に挫いているような気さえしてきてしまう。

彼は今何をしてるのかな。
やっぱり私と彼は合わないのかな、なんて、喧嘩の度に悩んでしまう。
彼と付き合ってもうすぐ5年、こんな風に悩むのは何年目だろう。
何も考えずにこの人だけだと信じられるのなんて、

「最初の1年だけだよね…」

ため息とともに小さく口から溢れてしまった。
少し慌て目周りに誰もいないことを確認し、もう一度深くため息をつく。

こんなんじゃダメだ。
私から仲直りしに行かなきゃ。
LINEはずっと未読無視のままだけど、脚が震えているけど、相手は彼なのだ。
化物だとか幽霊だとか怪獣だとか、そんな恐ろしいものではない。
愛する人なのだから。

脚に力を入れて、彼の部屋に進んだ。


「連絡、しなきゃなぁ…」

喧嘩して数日。
最初はもう腹が立って仕方なくて、いつものように冷たい言葉で突き放した。
出てけ、と言ったような気がするが、まさか本当に出て行ってしまうなんて。
しかも、帰ってこないなんて。
そのことにも腹を立てた後に、自己嫌悪に沈んでしまって、早数日。

本当に俺はいつもいつも彼女を傷つけてばかりで、ダメな彼氏だ。

彼女が作ろうとしていたパスタ、自分で続きを作ったら、塩気が多すぎて美味しくなかった。
彼女が作って行った薄味のポテト、いつも味が薄くても美味しいのに、不味かった。
キッチンのタイマー、電池が切れてた。
彼女が頭が痛くなるからと、冬でもマメに換気をしていた窓、彼女が開けないからずっと閉めっぱなしだ。

いなくなってどれだけ自分の生活に彼女が浸透していたのか、じりじりと実感した。
ああなんで俺は「独りでいい」なんて言えたのだろうか。
そんなわけないじゃないか。
彼女を失えば後悔するのは確実に俺の方なのに。

彼女に出会う前、いや出会ってからも、弱い俺の心には昏い思いが時々湧いて出て、自らの命を捨てようとしてしまっていた。
彼女に出会って、愛してると言ってくれて、そんなことやめてと泣いてくれて、それにどれだけ救われていたことか。
部屋で2人で食事をする時間がどれだけ愛おしいことか。

俺の世界は彼女によって、まるごと明るくて優しいものに作り変えられたのだということ、たぶん彼女は知らない。

喧嘩をしても彼女が俺を見捨てることは滅多になかった。
1度だけ、何年か前に別れを告げられたことがあるが、結局別れたくないという俺の思いを受け入れてくれて、あれ以来は一度も突き放されたことはない。
必ず彼女の方から仲直りしたいと、謝罪というきっかけをくれた。
「出て行け」と言っても、「嫌だ」と居座ってくれた。
ああもう本当に俺は、甘えてばかりだ。

失いたくない。
だから彼女に会いに行かなくては。
時間を見て彼女の仕事が終わっていることを確認すると、すぐに着替えて彼女の元へ向かった。



がちゃり。
彼の部屋の前にたどり着き、一度深呼吸をして、チャイムを押そうとしたその瞬間。
(急いで彼女の所へ行こうと、バタバタと部屋の扉を開けると。)

彼が、(彼女が、)そこにいた。

「…あ、あの、あのね!私、悪くて、ごめんね…!」

我に返ってすぐに、用意していた言葉(私が悪かったよね、ごめんね、許してくれる?)を告げるも、テンパってうまく言えなかった。
(俺がフリーズしている間に、彼女はしどろもどろになりながらも謝罪した。俺が先に謝るつもりだったのに、という思いと、彼女に見捨てられていなかった安心感でいっぱいだった。)

「いや…俺が、悪かった。ごめん。来てくれてありがとう…」

彼はボソボソとそう言ったかと思うと、立ち上がって、そのままぎゅうと強く抱きしめられた。
(愛おしい思いが溢れて仕方なくて、無意識に彼女を抱きしめていた。彼女は酷く冷えていた、一体どれくらい外にいたのだろうか。)

その日は今日までの数日間のことを、そして2人のこれからの明るい未来のことを話しながら、2人で泣いた。

米津玄師さんのメランコリーキッチンより。


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