書架
- ただわたしにだけ優しい
あなたに愛の花を
田舎の昔気質な実家を出て、東京の片隅に部屋を借りた。お風呂やトイレ、台所は共同だが、一日二食ついて月二万五千円の家賃はお安い。親には女性なのにセキュリティーが云々と言われたが、背に腹は代えられない。大学で神道学を学ぶ傍ら、近くの神社で雇われ巫女として日々バイトに励んでいる。
「ミョウジ」
『あ……長曽根先生。お久し振りです』
さて授業も終わったことだし、今日もバイトに励むかと研究室を飛び出したところで声をかけて来たのは、年齢不詳のいけおじ先生と名高い長曽根先生だった。名前聞いたことがない。長曽根先生は人文学の准教授をしておられて、神道学の学生は、その興味深い内容からか、お世話になることが多い。無論、私もそのうちの一人だ。
「そんなに急いでどこに行く。走ると危ないぞ」
『すみません。これからバイトの時間なので、気合が入ってしまって』
「やる気があるのは大いに結構だが……。そういえば、ミョウジはいつも授業が終わると急いでいたな。何のバイトをしているんだ?」
『神社で巫女のバイトをしてます』
一瞬長曽根先生の眉間に皺が寄ったのを見て、ああ何度かほかの先生にもされた顔だと考える。神道学を学ぶ生徒は、その後、実家の神社を継ぐ生徒がほとんどで、例えバイトなどであっても、そういった神職に就くものは少ない。私も一応は田舎の実家に古い神社を持っているため、そこを継ぐ予定なのだが……自分では、これは社会勉強の一つの手段だと思っている。今の研究室の教授も、その考えに納得して賛同してくださった。長曽根先生は違うのだろうか、と思いながら顔を上げれば、長曽根先生は感心するなという言葉をくださった。
「だが、巫女と言えば妙な輩に目を付けられることもあるだろう。十分、気を付けるように」
『はい先生』
―――と、笑顔で長曽根先生と別れたのが、今日の昼頃の話だ。
巫女というのは確かに各方面に需要があり、はたから見れば、妙な人間がいるのも確かなことで、長曽根先生の心配もごもっともな話だった。この神社で巫女のアルバイトを初めて、ひと月も経たないうちに妙な視線を感じたり、明らかに盗撮と思われる写真を受け取ったりしている私からすれば、それも少し遅かったなというところだが。
こつこつ。こつこつ。
やっぱり足音がひとつ多い。
今日は長曽根先生とそんな話をしたからか、いつもと同じことなのに、どうしてか、いつもより過剰に反応してしまう。もうずっとこの足音はついて来ていたし、もうだいぶ慣れていたはずだったのに。今日はどうしてか、手のひらに妙な汗をかく。
何か、嫌だな。
こんなことなら、実家の神社から受け取った守り刀を持っていればよかった。
すぐそこの角を曲がれば、家に着く前に小さな交番がある。やましいことをしている人物ならば近づきたくない場所のはずだし、そうすればもう安全なはずだ。曲がり角に足を踏み入れようとしたところで、背後に来た人物に、がっと肩をつかまれた。
「ミョウジ」
ひっ、と空気が口から洩れた。未だに心臓がばくばくとしているが、その声は聞き慣れたものだ。段々と暗闇に目が慣れてくる。
なんだ、長曽根先生だったのか。
途端にほっとして、長曽根先生、と挨拶をしようとして、ふと気づいてしまった。
『……な、がそね、せんせい……ど……』
どうして、と言う前に腹部に衝撃が伝わった。
とても熱い。
力が抜ける。
指先が冷たい。
ずるずるとその場に崩れ落ちていく私を支えてくれるのは、やはり、長曽根先生ただひとりだけだ。あと少しで交番なのに。
苦痛に顔を歪める。
なんで、どうして、長曽根先生がそれを持っているのか。
「言っただろう。ミョウジ」
うちの神社から受け取った、守り刀。
「妙な輩に目を付けられることもあるだろうから、十分、気を付けるように、と」
腹部から引き抜かれた日本刀に、艶やかな血の色がよく映える。
長曽根先生が落としたらしい鞄からは、霞んでいく視界でも、十分に私の盗撮写真が確認できた。
「長曽根虎徹は、よく斬れるだろう。昔から、ずっと、俺で君を斬りたかったんだ」
ようやく叶ったよと笑った長曽根先生を見て、やっと、ずっと私をストーカーしていた人物が彼だったのだと確信した。でも今さら知れたところで、後の祭りだ。
最期に目に映ったのは、だらりと緩む体を恭しく抱き上げる、嬉しそうな長曽根先生の姿だった。ひと皮剥けばけがれてる
今夜の罪と滅亡
ルパン三世からの置き土産