アンダンテ | ナノ

朝を繋いでいく

“Ti piace di piu’il pandoro o il panettone?”

今朝は肉になる動物を狩ることが出来ず、がちがちのパンを鍋で暖めたミルクに浸して食べるという簡易的な朝食になった。それが食べ終わったというとき、「なあジョニィ」と呼ばれて同行者に顔を向けると、謎の言葉をかけられた。明らかに英語ではないそれは、恐らく彼―ジャイロの母国語だろう、というのは察せられたが、ジョニィには彼が教えてくれた簡単なイタリア語しかわからない。おはようやおやすみといったあいさつとか、あとはジャイロがたまに無意識に発している言葉だとか。雰囲気や文脈から何となく読み取れるものはいいとして、さきほどのはまるで意味がわからなかった。ので、
「……は?」
としか返せないのも無理はない。ジャイロはその反応に不服そうだったがそんな顔されても困る。

「何だよ、ジャイロ」
聞きたいことがあるなら英語で言ってくれ。というか何で急にいきなりイタリア語なんだ。

「…パンドーロとパネットーネはどっちが好きかって聞いたんだよ」
「…はあ?」
わかる言語で言われてもやはりその意味はわからず、ジョニィは同じ反応を返してしまった。

「そもそもそのパン…何とかってのが知らないんだけどぼく」
「まあ、だろうな」
さも知らなくて当然、という物言いにムッとする。

「……何なんだよ、一体」
「どっちもイタリアのナターレ…ああ、こっちではクリスマスって言うんだったか?それの、伝統菓子だ。オレの祖国でも食べられてる」
「クリスマス……」

存外乾いた声が漏れ出た。それは本来もっと楽しそうな、あるいは神聖な響きを持っているはずなのに、そんな気分にはなれない。なれるはずがなかった、今は。

「もう、クリスマスなのか」
「正確な日時は街に着いてからじゃねえとわかんねえけど、もうすぐだろ」
「そうか……」

そういえば昨日通り過ぎた街の至るとこにツリーが設置されていた気がする。緑に飾られた金色に光る星も白く輝くオーナメントもそれを見ながらどこか浮き立つ人々も、確かに視界に入っていたのに認識していなかった。クリスマス。すっかり頭から抜け落ちていたイベントだ。といっても兄を亡くしてからクリスマスに楽しい思い出などなかったし、足が動かなくなってからは独りで過ごしていたその日に特別な思い入れなんてない。敬虔な気持ちも持てない、…今は。

「で、お前さんはどっちが好きだ?」
「…いや、好きも何も食べたことないし、名前すら今初めて聞いたんだってば」
「ははあ、もったいねーな。あんな美味いもんを知らないなんてよォ」

それからジャイロは“ぱんどーろ”や“ぱねっとーね”がどんなものかをべらべら語り出した。見た目から味から作り方から、名前の由来まで!突然始まったお菓子講座にジョニィはまったく意図が掴めず言葉を返せなかった。奇想天外で大胆不敵なジャイロの行動は、一応、ちゃんと意味があるものだ(少なくとも本人にとっては)。そういったことがまるでわからずにいた最初の頃に戻ったようで、腹が立つよりも何故か寂しくなってしまった。
何だよ、ジャイロ。ここ数日、…ゲティスバーグでの戦いからは、ちっとも口を開かなかったくせに。
それは、自分の方もだが。むしろジョニィの方が口を閉ざし、表情を曇らせ、心を重くしていた。当然だ。あのとき、自分の希望たる遺体がすべて大統領に奪われてしまったのだから。
ひとまず7thステージのゴールへと向かっているが、足取りは重たい。愛馬たちは何の不備無く今日も軽やかに走ってくれているのに、と思うとまた不甲斐なくなった。どうしてぼくはこうなんだ。どうしてあのとき易々と取られてしまった。まだ行ける?いいや今度こそもうだめだ、次の遺体への手がかりが何もない。奪うことも集めることも、もう術はないのだ。そう考えれば考えるほど苦しかった。そしてジャイロも何も言わなかった。彼とてレースの順位のことで追いつめられているのだ。遺体のことを、ぼくのことを気にしている余裕もないだろう。そう思えば思うほど、やるせなくなった。

ジャイロが淹れたコーヒーも飲まずジャイロの話を聞く様子もなく俯いたままジョニィに、ジャイロはというと、
「…よし、決めたぞ、ジョニィ」
「…え?」
何やら、決意した声をこちらに向けた。そこでようやく顔を上げる。

「今年は無理そうだが、来年は食べさせてやる」
「……は?」
「ははう…おふくろが作るケーキは、言っとくがうめえからな!」
胸を張って妙に生き生きしているジャイロに突っ込まずにはいられない。本当に最初の頃に戻ったようだ。
「いやちょっと待って何の話だジャイロッ!」
「だから、来年のナターレにうちに来いって言ってんだよ」
「何でぼくが君の家に行くことになってるんだ!?」
「何だよ行きたくねェのか?」
「だって、そんな、そんなの、」

―考えたこと無かった。そんなこと、一度たりとて考えたことはない。ジャイロの家、ツェペリ家。そこで何百年も受け継がれてきた技術は、このレースで何度も自分たちを救ってくれた。そもそもこの旅の始まりはジャイロの回転の技術を知りたかったからだった。そういうのとはまた別の、ジャイロの家。父があり母があり弟妹たちがいる。父親が厳しいのはジョースター家とも変わらないかもしれない。それでも決定的に違う、こちらとは違う、あたたかさとやさしさがある家。行ったことはないけれど知っている。ジャイロが時折話してくれる家族の話はまるで別世界のようだった。遠く離れていてもお互いを思いやる家族がいる。そんなところへぼくが行くなんて、そんなこと。そんなことは。

「遠慮するなよ今更。うちの家族はどうせ歓迎してくれるぜ。親父は…まっ何とかするさ」
「……」
「で、来るのか来ねえのか?」
「…いいのか、本当に」
「だからそう言ってんだろ」

ほんと人の話を聞かねえ奴だなおめーは。そう笑って小突かれてもジョニィにはまだ現実感はなかった。おとぎ話でも聞いてるかのようだ。だから、野暮なことを突っ込んだ。

「…でも今年もまだなのに、来年のクリスマスの話って気が早くないか、ジャイロ」
「う、うるせーな!いいか、“約束”だからな!」
「“約束”……君の家に行って、クリスマスケーキを食べる?」
「ああ」
「パン…何とか」
「パンドーロとパネットーネな」
「それを、食べる」
「そうだ」
「来年の…約束」
「おう、忘れるんじゃあねえぞ」
「……」
「じゃ、そろそろ行くか」

ジョニィはまだ、今し方交わされた約束が飲み込めない。だが、ジャイロが本気なのはわかった。軽い言い方をしながら軽率な雰囲気を出しながらジャイロは本気だった。
目の前でこれからの準備を始めた男をじっと見つめながら、ふとジョニィは遺体のことを考えていない自分に気づいた。この数日、呪いのように朝から晩まで囚われていたというのに。いいや、今でも、諦められたわけではない。それでも、今このときだけでも忘れられた。動揺しながらも、呼吸が苦しくない。冬の澄み切った空気が肺を満たす。空が青い。愛馬たちが鳴いている。
ジャイロは何てことはなさげであった。彼はいつだってそうだ。7thステージが始まったばかりのときに交わした会話を思い出す。

―いつの間にか、12月始まっちまったな 
―そういえばそうだな 
―ナターレまでには帰るつもりだったんだがな… 
―ナターレって何だ? 
―え?…ああ、あれだ、12月25日、聖誕祭 
―ああ、クリスマスか…予定行程よりもだいぶ長引いているからな… 
―まさか異国で過ごすことになろうとはよォ〜。ははう…お袋に怒られちまうぜ 
―…すまない 
―…は?何がだ? 
―だって、家族でも恋人でもないぼくと過ごすことになるわけだからさ 
―…バーカ 
―いたっ…何するんだ 
―ダチと過ごす聖夜も悪くねえ 
―……
―てゆーか、悪くないものにすんだよッ 

だからシケた面してんなよジョニィ、と君は言った。あのとき以上にシケた面をしているぼくを君は今責めなかった。それどころか、未来を、約束をくれるんだな。ますます執拗になってきた大統領からの刺客のせいで、明日の命さえも危ういのに。来年どころか、今年のクリスマスだって無事過ごせるかわからないのに。これがギャグだったら笑ってたのに。君はふざけた調子でいつもぼくに、何も持っていないぼくにたくさん与えてくれるから、泣きたくなるんだ。

「おいジョニィいつまでボーッとしてんだ。お前も準備しろよ」
「ああ…」
言われて慌てて手の中に納まってるだけだったカップの中を飲み干す。すっかりぬるくなってしまったコーヒーはあまりおいしくなかった。
「さっさと飲まねえからだよ」
「そうだな…勿体ないことをした」
「また明日の朝淹れてやるよ。クリスマスプレゼントだ」
「最高のプレゼントだな」
「だろ?」

広げていた荷物をバッグに詰めて、スローダンサーを呼び寄せて。馬に乗ってまた走る。何も解決してはいない。全然納得も出来ていない。だから今日も明日もまた走っていくしかない。隣を走る友との約束が叶うように。




参照→http://www.delonghi.co.jp/viva-italia/detail/id/73
タイトル元&BGM:https://youtu.be/naJcqMBbAn4
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