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なんてことはないはなし

「あ、乾先輩、河村先輩!こんちはー!」

乾が自身のノートを見ながら今日の練習メニューを確認しているとき、河村が制服を脱いで部活着に着替えている最中。部室のドアが開き、我らが青学テニス部マネージャーが入ってきた。

「やあ一ノ瀬さん。今日も元気だね」
「へへー。あたしはいつでも元気百倍ですよー」
「越前はどうしたんだい?」
「リョーマならトイレです。ついていこうとしたら睨まれたんで先来ました」

そう言いながらエリーは背負っていた自分のリュックと、リョーマのテニスバッグをロッカーに収める。河村は、「はは…本当に相変わらずだね」と苦笑を隠せないまま青学ジャージに袖を通した。乾はというと、エリーが先程からずっと握っているものに目をつけていた。不審にその眼鏡を光らせ、ノートを書く手は止めずに、ベンチに座ったエリーに近寄る。

「一ノ瀬」
「はーい?何ですか乾先輩」
「それは、何だ?」
「それ?…ああ、これのことですか」
「ああ、それのことだ」
「…?二人とも、何の話?」

着替え終わり、ラケットのガットの調子を確かめていた河村の位置からは、乾の背に隠れて二人が口にする「それ」が見えず、話も見えなかった。エリーが立ち上がり、「これですよ、これ。ふふー」と河村に向かって右手を突き上げた。エリーが握っていた「それ」が河村の目に入る。認識は出来たが理解は出来なかった。

「…鉛筆?」
「鉛筆です」
「鉛筆だな」

まだ削られてもいない、新品の鉛筆だった。全体が金色で塗られていること以外は、特筆すべきこともないただの鉛筆だ。

「これが、どうかしたの?」
「ああ、それは俺も知りたい。それは何なんだ、一ノ瀬」
「ふっふっふ…」

よくぞ聞いてくれました!と怪しい笑みを浮かべてエリーは説明を始めた。


 さっき英語で豆テストがあったんですね。あの週一のやつ。何か今回いつもより難しくて10点も取れなかったんですよあたし、ふはは。え?勉強不足?ちょ、先輩、乾汁だけは勘弁してくださいお願いしますぎゃー!河村先輩助けてええええ!!
 …それでですね、そんだけ難しかったし他の人も点数悪かったんですが…あー!先言わないで下さいよ先輩!…そうです、リョーマは満点取ったんです。たった一人だけ!もー流石ですよね。天は二物与えずって嘘ですよあれ。絶対百物くらいリョーマは与えられてる!すごすぎて逆にムカつくような惚れ惚れするような…はあ。
 あ、海堂先輩、大石先輩ちぃーっス!!そうだ先輩たちも聞いてくださいよこれのこと。これ?鉛筆です鉛筆。それで、点数が良かった人にご褒美ってことで、先生がこれリョーマにプレゼントしたんですよ。鉛筆とか正直いらねーとか思ってたんですが、見てみたら金ピカでしょうこれ?何かかっこよくないですか??…えー、誰か一人くらい賛同してくださいようっ。
 あ!桃先輩!ちょうど良かったこれ見てくださいこの鉛筆。かっこよくないですか?…はあー桃先輩までそんなこと言う…失望しましたよ先輩…。
 ん?何ですか乾先輩。ああ、話ズレましたねそいや。すいません。それで、えっと、…あ、そうだこれをリョーマが先生からもらって、あたしがいいなーいいなーって言ってたらですよ。何が起こったと思います?何と、…くれたんですよ…!あのリョーマが!あたしに!この鉛筆を!!
 もうすっごい嬉しくて嬉しくてその勢いで席立ったら、先生とリョーマの両方から頭叩かれちゃいましたけどまあ、とにかく嬉しくて、宝物です宝物。
 …えええ、何言ってんですか先輩。そんな、使うなんてもったいないことしませんよー。一生大事にするんですから。何たってリョーマがくれたもんですからね!
 あ、不二先輩、菊丸先輩こんにちはです。ね、ね、見てください聞いてください今日すごいいいことあったんですよー!!





「…やあ、越前」
「っス」

話を聞き終えた河村は一人、そっと部室を出ようとドアを開ける。そこで我らが青学テニス部スーパールーキー、越前リョーマと出くわせた。スーパールーキーとはいえ、テニスコートを出れば彼もいち中学生なので、そこらへんにいる青学男子生徒と同じ制服を着て立っている。

「……河村先輩?悪いっすけどそこ、どいてくれません?中入れないんスけど」

仏頂面でリョーマが言う。帽子を被ってないせいか、いつもよりダイレクトに視線を感じて河村はドギマギした。

河村の背後、つまりドアの向こう側からエリーのはしゃぐ声が聞こえる。彼女の声は常に大きく、またよく通る。興奮している今は尚更だ。きっと話が始まったときからずっと、エリーの語りは部室の外にまでばっちり響いていたのだろう。そうして部室内の状況を理解したリョーマの心境を考えた河村はかぶりを振った。

「越前、怒らないでやってくれよ」
「…?」
「一ノ瀬は喜んでるだけなんだからさ、お前がくれたーって」
「…別に、怒ってないッスけど」
「えっそうなのか?」
「はい。呆れてるだけです」

では杞憂だったということか。今にも殴り込みに行きそうな雰囲気だったのは、自分の勘違いか。明らかにホッとした様子の河村を見て、リョーマがぽつりと呟く。

「…河村先輩は、呆れないんスか?」
「え?」
「ただの鉛筆一つにあれだけ騒いでるんスよ、アイツ。フツー、呆れるでしょ」
「そうでもないぞ、越前」
「「っ、乾(先輩)?」」

半開きのドアから覗くような格好で乾が話に入ってきた。驚かすなと二人の非難の声も気にせずに、乾はドアを開け、完全にその姿を現した。やはりノートを手に持ったままだった。

「…で、何がそーでもないんスか、先輩」
「あれはただの鉛筆ではない、ということだ」
「えっ?」

予想外の言葉にリョーマはきょとんとして、思わず河村を見上げた。河村自身も乾の意図はわからないのでその戸惑いの視線には応えられなかった。

「どういうことだよ、乾。ただの鉛筆じゃないって」
「…正確には『ただの鉛筆じゃなくなった』といったところだな」

ふっと笑う乾に、ああとようやく河村は納得した。そういうことか。一人理解が出来ないリョーマは、「ちょっと、何なんスか?」と急かすように先を促す。

「あれはただの鉛筆だよ、越前」
「…はあ?俺最初からそう言ってるじゃないスか」
「だが、お前があれを一ノ瀬にあげることによって、あの鉛筆の価値は急上昇した。ただし一ノ瀬の中でだけ、だが」

物の価値が一転するのを見るのはなかなか興味深かったよ。一ノ瀬は本当に面白い。
そう言って乾はノートを閉じ、コートへと向かっていった。河村はその背を見送ったあと、開いた口が塞がらない様子のリョーマの頭をよしよしと撫でた。

「…どういうことッスか、河村先輩…」
「さっき言っただろ?一ノ瀬が、お前がくれたものに喜んでいるだけだよ」

なんてことはないはなしだった。

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