dream | ナノ


crash!

―――疲れた。すごく疲れた。主に精神的な意味で。早くお風呂に入ってご飯を食べてぐっすり眠りたい。越前リョーマはそう思いながら重たい体を引きずり帰宅した。玄関で靴を脱いだそのときに、

「おかえりー」
「ただいま…って、…は?」

聞こえてきた声に耳を疑った。まさか、と早足でリビングへ向かう。そこにはイスに座って何かを食べている同学年の少女がいた。間違えるはずもない、まさしく今日も自分を疲れさせた相手である。肩にかけていたバッグがずり落ちて、ドスン、と鈍い音がした。

「一ノ瀬っ?」
「やっほい。お邪魔してまっする」
「な、んでここに…」
「だって越前が一緒に帰ろうって言ったら拒否ったから」
「誰がお前と一緒に帰るか!」
「だから先回りして待っとくことにしましたー」

何がだから、だ。そもそも何故俺の家を知っている!詰め寄って、胸倉…制服のネクタイを強く掴んで引っ張った。一応相手は女だが、女と認めない。認めるものか。向こうにだってこんな奴はいなかった。


少女、一ノ瀬エリーは、リョーマにとって非常に難儀な人物だった。入学式当日の初対面で、一目惚れしただの好きだの付き合って下さいだのと訳のわからない事をぬかし、同じクラスで隣の席なのをいいことに何度もしつこく話しかけてきて、無視しようが迷惑だと拒絶しようがいつでもどこでも構わずに抱きついてきて、おまけに「可愛い」だの「綺麗」だの口癖よろしく言ってくる、変人だ。
最初こそリョーマも少し照れて戸惑っていたのがいつしか怒りに変わり、最終的に嘆きや諦めに近いものになった。わずか数日の間でこんなに感情が揺れたのも初めてだ。現在進行形で。


「まぁまぁ落ち着けって」
「誰のせいだと…!」
「ほら、これ。君のお母さんがくれたお菓子」

射抜きそうな視線を難なく受け止めたエリーは、テーブルに置いてあるお菓子を一つつまみ、リョーマの口に入れた。不意の事だったが反射的にそれを噛み、飲み込んだ。素直に美味かった。エリーは何故か満足そうに目を細めて笑う。

「母さんいるの?」
「さっき買い物に出掛けたよ。あ、あたしを快く家に上げてくれました」
「(何やってんの母さん…!)」
「越前に似て美人だったな。あ、一緒にいた従姉さんも!越前家ってすごいねー」
「…そう」

毒気を抜かれ、にこにこ顔のエリーから手を離す。それからイスを引いて、自分も座った。もう何もかもが面倒臭い。テーブルにもたれ掛かり目を瞑って、深い深い溜め息をついた。

「ねーねー越前」
「…」
「おーい?えーちーぜーんーくーん?」
「…何」
「あのさ、あたし帰って欲しいんなら帰ってもいいよ」
「えっ」

いつの間にか冷蔵庫の前でお茶を取り出し、コップに注いでるエリーの思わぬ言葉に、素頓狂な声が出てしまった。このままずっと居座りそうで挙句の果てには泊まるのではないかと(こいつならやりかねない!)、最悪な展開まで予想していたから。

「ほい」
「…ありがと」

二人分のお茶を持って戻ってきて、それを差し出してきたエリーに小さくお礼を告げたが。果たして人の家で勝手な行動をとっている奴にお礼してもいいものか。いや、それよりも先程の言葉を追及せねば。リョーマはコップを手に取り、一気に飲み干した。渇いたのどを潤せて、少し気分は良くなった。少し。エリーを見ると、自分と同様にお茶を飲んでいた。視線に気付いたのか、コップを置いて向き合ってきた。

「一ノ瀬」
「何だーい」
「帰れ」
「え、いきなりだね」
「いきなりじゃない。早く帰れ」
「帰って欲しい?」

しっかりとエリーを見据えながら、リョーマは頷いた。心底帰って欲しいのだ。せめて家にいるときぐらいは平穏を望む。もちろん学校に居る時もだが、…明日のことは今は目を逸らすとしよう。

「うーん、帰って欲しいのか」
「当たり前でしょ」
「…んじゃあ、条件付で帰る」
「…はぁ?」

何を言ってるんだこいつは。ここはリョーマの家であり、エリーは他人である。訪ねてきた人間の有無を聞かずに上がりこんできておいて(母の了承は得たようだが)、しかも帰って欲しいなら条件を呑めと?
「…ふざけてるワケ?」萎えた感情がまた滾ってきて、凄んでみるも、「まっさかー。あたしはいつだって本気だよ!」とエリーはあくまでのほほんと返してくる。

「んー、条件ってか頼みごとかな」
「頼み?」
「うん。常々思ってたし、ちょうどいっかなと思って。」
「…一応聞くけど、何?」
「ふふふー。とってもお手軽、かつ、安直だよ」

頬杖をついて、口角を上げるエリーは一体何を企んでいるのか。リョーマにはさっぱりわからなかったが、次の言葉を大人しく待った。

「あのさ、」
「さっさと言え」
「いいじゃん引っ張ったって」
「俺、早く帰って欲しいって言ったよね」
「もーわかったよ。ワガママだなぁ君は」
「どっちが!」
「では、」

コホンと一息つけて、エリーは言った。


「……あたしを、これから名前で呼んで!簡単っしょ?」
「………は?」
「む、何だよう、その反応ー」
「…名前?」
「うむ!名前だよ、な・ま・え!」
「名前…」

予想外だった。そんなことでいいのか。てっきり、もっとアレなことだと…。

「(…呆けた顔も可愛いなぁ)」なんてエリーにニヤニヤされていることにも気付かず、リョーマは悩んでいた。本当に簡単な条件だ。エリーを名前で呼べばいいだけのことなのだから。どうしよう。どうすればいい。簡単だが、一度でもこいつの言うことを聞こうものなら、この先もずっとズルズル…なってしまうのでは。恐喝と同じ原理で。…わからない。エリーの真意がわからない。

「おーい越前さーん」
「…え?」
「そんな悩むことなのかい」
「…そもそも、何で」
「へ?」
「名前」
「あぁ。んなの、呼んで欲しいから決まってるじゃん」
「だから、それが、何で?」

エリーは目を丸くして、ぽかんと口を開ける。彼女にとって意外な質問だったようだ。「何で?」再再度訊くと、エリーはわざとらしく大きな溜め息をついたあとに、リョーマの目を見てキッパリと答えた。

「何度も言ったけどさ、あたし、越前が…リョーマのことが、好きなんだよ」
「……」
「だから呼んで欲しい。そんで仲良くなりたい。それじゃ、駄目デスか」
「駄目って言うか…」
「駄目って言うか?」
「…わかんない」
「えー」

確かにこのたった数日で何度も何度も言われてきたけれど。会うたびに。抱きつかれるたびに。けれど、その言葉はどこか胡散臭くて、どうにも信じられなかったから。こうやって改めてしっかりと真剣に言われると、エリーの言葉は急に真実味を帯びて、気恥ずかくなった。むず痒くなり、リョーマはふいと顔を逸らした。

「リョーマー?」
「ってか、何勝手に名前で呼んでるの」
「だって君がなかなかしてくれないから、まずあたしがやろうかと」
「アンタね…」
「まあまあ。ほんでまだー?」
「…」
「な・ま・え!な・ま・え!はーやーくーっ!」
「…あーもうっるさい!わかったから黙れ馬鹿エリーっ」
「……!!」

パン、パンとリズミカルに手を叩いて催促するエリーに、とうとうリョーマは根負けした。ちなみに名前は何度もエリーから聞いていたので、不本意ながら覚えていた。観念して、吐き捨てるように名前を呼ぶ。すると花が綻ぶような笑みをエリーはみせた。それから立ち上がって、

「〜〜〜っしゃーー!ようやく呼ばれたぞー!」
盛大にガッツポーズをして、――叫んだ。家中に響き渡るのではないかと思うくらいの叫びだった。リョーマが呆気に取られている間に、エリーは嬉しさそのままに抱きついた。

「リョーマー!」
「っわ、」
「あ」

抱きついたというか飛びついた。それも勢いよく。脱力してイスに座っていたリョーマは何も身構えていなかったので、そんなエリーを受け止められず。ガタンっと大きな音を立てて、…見事にイスごと二人は倒れることとなった。
(この体勢だとリョーマが…!)倒れるまでのほんの数秒の間に、本能で危険を察知したエリーは咄嗟にリョーマの頭を掴んで自分の胸に押さえ込み、もう片方の手を床につけて自分を支えた。右腕に強い衝撃が走ったが、それより何とかリョーマが急所を強打することは免れたようでホッとした。

一方リョーマは、自分の身に何が起こったのか理解出来なかった。感じるのは、背中と腰の鈍い痛みとイスの固さ、眼前にいるエリーの体温と重さ。そして、

「っぷはぁー、あっぶねー…!リョーマっ大丈夫か?怪我ない?」
「………………エリー」
「! 何々っ?」
「っ今すぐ帰れーーーーーーーーーーーーー!!!」

状況認識をしたことにより沸々と湧き出てきた激しい怒り、だった。

ここで思いっきりエリーを蹴り飛ばしたリョーマを誰が責められようか。
しかし一ノ瀬エリーに好かれた災難はまだまだこれからだということを、彼は知らない。




もし同居設定じゃなかったら、…大していつもの二人と変わらなかったでござる。

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