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南門から北の庁舎まで真っ直ぐ大きな通りが貫き、街の丁度中央付近で東西の大通りと交差する。 早朝ならば南北通りに市が立ち、多くの人が行き交い、活気に満ち溢れていた。 夜であっても酒場が賑わい、人影が途絶えるのは深夜の一時ほどでしかない。 いざ、その賑わいが無くなってしまうと、寂しいの一言では表現することが出来ない。 そんな中、一つの灯りが誰かを誘うかのようにぽつんと点っていた。 庁舎入口の灯篭である。 韻は静かに剣を抜き、馬を下りた。 生暖かい風が頬を撫ぜ、嫌な汗が首筋に流れた。
「お帰りなさいませ、太守様。待ちくたびれましたぞ」
一歩庁舎の中に足を踏み入れると、何処からともなく男の声が響いた。 聞いたことのある声だ。確か、つい最近。
「これは呉浩殿。城門も閉めず、いったい何事ですかな」
韻はゆっくり歩みを進める。声の主はまだ現れない。
「この邑は、乕へ投降した。張韻殿、神妙になされよ」
一斉に数十人の兵が手にした松明の炎が周囲を明るく照らし出す。その後、庁舎の中から小柄な人影が現れた。 韻はこの男の事を知っていた。主簿の呉浩である。 特別目立つ男ではないが、韻の記憶に残っていた。 太守就任当初、多くの役人に敵視されていたものだが、この呉浩の視線が一番冷たいものだった。 多忙な任務を熟すうち、自然とその視線のことは忘れていたが、今向けられている瞳は、当時のものとは比較にならないほどの敵意が込められている。
「私を殺したいならさっさと殺せばいい。だがしかし、一つ聞かせてくれ。何故乕に下るのか」
浩は軽く鼻で笑うと、すっと右手を持ち上げた。
「答える義理はない。それと、お前を殺すなとの命を受けている。乕の皇帝はお前に興味があるらしい。全く……酔狂な奴だ」
剣を持つ手に力が籠る。 この程度の包囲なら、突破するのは容易だ。しかし韻には、逃げ出す程危機的な状態にあるように思えない。 取り囲む兵は乕の兵であろうか、魁の兵であろうか。周りを見回すも、暗すぎてよく見えない。
「もう一つ尋ねる。お前に勝算はあるのか」
韻は言うが早いか、真横に跳んだ。行く手を阻む兵をなぎ倒しつつ壁沿いを走る。 大人しく投降すると思っていたのか。不意を突かれたらしく、矢が飛んでくるまでほんの僅かな遅れがあった。 そのおかげもあってか韻は闇にまぎれ、入口から多少離れた窓から庁舎の中へと潜入した。 外からは慌てた浩の声が聞こえてくる。 韻は物陰にかくれながら、近くの椅子に腰掛けた。 さて。如何にすべきか……。
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