紅い暉
春の柔らかな陽射しが花々の咲き乱れる中庭を暖かく照らし、一歩足を進める毎に色とりどりの甘い薫りが鼻を擽る。 花畑の中を、その場に似つかわしくない軍服の女が凛として横切る。張韻だ。 庭の一角の休憩所へ一直線へと向かう。
「公徳、子比が探しているぞ」
張韻はむっとした顔で廂を潜った。 そこには張皖と志暉の姿がある。
「そうか。すぐ行く」
張皖は短く答え、席を立った。 どうしても邪魔をした感が否めず、張韻は気まずい顔をしていたようだ。 くるりと踵を返し、張皖の後を追おうとした張韻を、志暉が呼び止める。
「紅藍さん。時間、ある?」
張韻は一瞬戸惑った様子を見せたが、志暉へと向き直った。
「奥方様、私に何かご用ですか」
張韻が言うと、志暉は困ったように笑み、手招きして張韻を呼び寄せる。
「志暉と呼び捨てにして頂戴な。私も貴女の事を紅藍と呼びたいから」
はぁ、と困惑気味の張韻を横目に、志暉はニコニコ微笑みを絶やさない。 志暉の隣に座らされた張韻は居心地が悪いらしく、視線が泳ぐ。
「私の周りには、貴女みたいな人が少なくてね。気軽に会話が出来る人が欲しいの……」
「公徳に頼めば良い」との言葉を張韻は飲み込んだ。
「貴女の話は、公徳さまからいつも聞かされているわ。この前の戦でも、大活躍だったそうね」
「あの……志暉殿。私は……」
女は話が長くなる。 張韻はそう言った物が苦手だった。 なるべく早く切り上げたく、口を開いたのは良いが、何故だか次の言葉が出ない。
「一度で良いから、貴女と入れ代わってみたいな……。貴女は公徳さまの妻として、私は戦場を駆ける勇士として……」
張韻は口をあんぐり開けたまま固まった。
「あら、嫌? 貴女、公徳さまの事好きでしょう?」
張韻は反論せず、口をぱくぱくさせた後、首を横に振った。 志暉がくすくすと笑う最中、新たな足音が響く。 張皖が時を見計らったかのように姿を現した。
「子比の奴、また私の名前で酒を飲み歩いていたようだ。……如何かしたのか?」
くすくす笑う志暉と、耳を朱く染めた張韻を前に、張皖は首を捻った。
「何でもありません。私と紅藍で、ちょっとお喋りをしていただけ。ちょっとだけ、ね」
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