5
小規模ながら、立派な野営だった。 ここまで敵に侵入されて気付かないとは、国境警備はどうしているのか……。 韻は薄暗い、小さな掘っ建て小屋に押し込められていた。 手は後ろに縛られてはいるが、袖口の短刀は検められてはいない。この分だと靴底の短刀も抜かれていないだろう。 余裕の現れなのか、もっと別の何かがあるのかは解らないが、韻にとっては好都合だ。 機会を伺い、栄夐の首を狙う。
「出ろ」
兵の声に、韻は瞳を開く。
敵陣の真っ只中である。 大将の首を狙うのであれば、己の命も無いものと思わねばなるまい。 もちろん戦場では常に相手の命を奪うか自分の命が奪われるかであるのだが、今回の場合は違う。 もし栄夐の命を奪えたとしても、どっちみち自分には死しか道がない。 韻の顔は無意識に引き締まった。 大人しく兵に付いていくと、一際大きな天幕にたどり着いた。 中に入ると薄暗く、人の気配はすれども姿が見えない。韻は足元に目を懲らす。 歩かされている左右両側に人が並んでいる。人数は二十人未満であろうか。 足を小突かれ、韻は膝を折った。
「張紅藍……皖の妹だそうだな」
背筋を凍り付かせる冷たさを持った、男にしては若干高い声だった。 韻が顔を上げると同時に、辺りの松明に炎が燈され天幕の中が見渡せる明るさになる。 目の前には線が細く、栄養が足りていなそうな青年の姿があった。 全身黒い服装で身を固め、傍らには持てなそうな背丈程もある大きな剣が立て掛けられている。 韻が栄夐の瞳を睨み付けると、その底無しの黒さに心が見透かされる気分になった。 人ではない。 韻は真っ先にそう思った。
徐に栄夐は立ち上がり、剣に手を伸ばす。 そして軽々と持ち上げたと思った刹那、韻の横を剣が霞め飛んで行った。 振り返ると、ここまで連れて来た兵がどさりと倒れた。 剣は床に突き刺さり、兵の首が転がった。 前 | 次目次 |