zwei
ミュンヘンから乗り込んだICEの中で、ヒルデはずっと引っ掛かっている事を考えていた。 エルケンバルトと言う男の名前。 何処かで耳にした記憶があるのだが、なかなか思い出せ無い。 ベルリンの自宅に帰るまでずっと、複雑に絡み合った記憶のか細い糸を解こうともがいていた。
自宅はベルリン中心部から、だいぶ南に離れた場所にある。 家、と言うより、屋敷と形容した方がしっくりくる外見をしている。 久し振りの我が家を前に、ヒルデは一つ思い出した。 祖母が存命だった頃、よく聞かされた男の名前を。 エル・ケーニヒ。 エルケンバルトは自らを『魔王』名乗っていなかったか。 気付けば、ヒルデは荷物を玄関に置いたまま、廊下を駆け抜け、滅多に入る事の無い書斎の扉を開いていた。 祖母も、両親も、今はいない。 だが様々な物を残してくれた。 この書斎に収まっている書籍もその一つで、分厚い百科事典から、見知らぬ異国の言葉で綴られた本まで、本が好きな人間にはたまらない蔵書量である。 ただ、ヒルデには宝の持ち腐れであるようで、あまり書斎自体に近寄らない。 ヒルデはキョロキョロと本棚を端から端へ、何かを探し始めた。 祖母が一番大切にしていた物。それは何あろう、一冊のアルバムだった。 そのアルバムに、手掛かりがあるだろうとヒルデは探していた。
「確か……この辺りに……」
小さく呟きながら、ヒルデは一冊の小さなアルバムを手に取った。 装丁は真紅に染められた革張りで、背表紙に立派な金の文字でロルフミュラーと書かれている。 納められていた写真は、祖母の若かりし頃の白黒写真や、両親、ヒルデの幼い頃の写真だけだった。
「どこかに……どこかにまだ写真があるはずなのよ。御祖母様は私に話してくれたわ……あの写真を見せながら……」
ヒルデはアルバムを抱え、空いた左手で頭を押さえた。 何処で、如何いった形でその写真を見せてもらったのか、肝心な所がすっぽりと記憶から抜け落ちている。
「お嬢様、そのようにお急ぎで、何か調べ物で御座いましょうか?」
おっとりとした、静かな男の声が書斎に響く。 ヒルデが入口を見遣ると、背筋をピンと伸ばした、燕尾服を着た男の姿がそこにはあった。 ずっと昔から、この家に仕えてくれている執事長のハーゼンクレイヴァーだ。 両親を亡くして久しいが、数人の使用人と共にこの家で暮らしており、ヒルデにはその全員が家族と言えた。
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