寒い。あぁ、この場所でこんなに寒くなったことがあっただろうか。それとも、最近は隣にいたラギルがいなかったせいか。どちらにせよ、酷く寒かった。

「ぅ、げほ、げほっ」

 水が欲しくて腕を動かそうとしたが、重くて億劫だ。瞼を開いてみたが、ぼやけていて不明瞭だった。黒色と白色、あとは茶色とかそういう薄暗い色が大雑把に映っている。
 何度か起き上がろうとはしているが、腕も動かせないのだから身体が持ち上がる筈もなかった。なんとか上半身だけを動かして、また沈んでの繰り返しだ。

 良くない風邪だ、と思う。良い風邪なんて存在しないか。言葉を変えるなら性質の悪い風邪、だ。まともなものを食べて温かくしていれば治るかもしれないが、こんな場所では死ぬことすらある。
 死ぬ。言葉を意識した途端に恐ろしくなって身体が震えた。あんなにも嫌がっていたものがこうも近くに来てしまうだなんて。しかも、じわじわと襲ってくるあたり最悪としか言いようがない。このまま、衰弱して、弱って死ぬだなんて。

 ラギルは。俺が行っているいつもの店に助けを求めるなんて慌てて外に行ってしまった。無謀だ。死にに行くのと等しい。けれども、止めようとした口からは咳が出るだけで声になってくれなかった。

 どうしよう、どうすればいい。腕すら満足に持ち上がらない身体、食料は限られている。あぁ、その前にラギルを。どうにか連れ戻さなければならないのに。

 なんだよ、これ。詰んでいるじゃないか。もう、俺が出来ることなんてここで野垂れ死ぬことだけじゃないか。
 折角、ようやく生きているような気がしたのに。

 いや、まだ。まだ動けさえすればどうにか。なるかもしれない。意地でも身体を持ち上げようとしていると、雷のような轟音が響いた。

「っ!?」

 薄暗かった部屋に、光が差し込んでくる。けれど、これは希望の光でもなんでもない。誰かがこの部屋を見つけて入ってきているのだ。
 なんて酷い状況だ。ここまで追い打ちをかけられるなんて。だが、うるさい音のおかげか死が差し迫ったせいか分からないが、なんとか身体を持ち上げることができた。立ち上がるのは、無理そうだ。頭がぐらぐらする。これもいつまで保てるか。

 なんとか侵入者の姿を拝むために目を細めた。やけに綺麗な服が真っ先に目についた。ラギルが着ていたものに似ている、ような気がする。顔は位置が高すぎて見られそうにない。

「……この子供か?わお、まさかこんな雑巾をお望みなのか、ウチの守り神は」
「合ってますよ、この子ですとも。ははっ、いいじゃないですか、いじめられていた時の惨めなシンデレラみたいで。磨けば輝くってもんでしょ。……ま、容姿なんてどーでもいいんですよ」

 なんだか、とても失礼なことを言われている。腹立たしいことこの上ない。今の状況からしたら雑巾と言われても仕方ないのは分かるけれども。金の塊みたいな服を着た裕福そうな奴らに言われると、どうしてこうも腹立たしいのか。

「さて、よろしくお願いしますね学長。退屈過ぎて死にそう、いやむしろ殺しそうなんですよ最近。漸く暇つぶしが出来そうで楽しみで仕方なんですわ。それなのに、こんな所で死んじゃいましたなんて、あー、ショックすぎて刃物振り回しちゃうかも」
「学校で死人を出されては困る。警護を頼んだはずなんだがなぁ」
「ははっ、俺に頼んだのが間違いっす」

 軽薄そうな声の男はひとしきり笑った後に、何かを言って歩いて行ったようだ。今この場にいるのはガクチョウ、とか呼ばれていた男だけだ。高そうで、なんか金色の装飾が施されている服を着ているっぽい、より腹の立つ方だ。
 雑巾って言ったし。

「やぁ、死にかけのハエみたいに地面を転がっている少年」

 喧嘩売っているのかこいつは。声を出そうとしたが、やはり咽ただけだった。

「ふ、いやー反論もできないくらい弱っているか。これはヒドイナ」

 棒読みだ。いっそ清々しいくらい。なんだこの大人になっちゃいけないような大人は。人を煽るのが上手い事だ。同じ空気を吸っているだけでイライラしそうだ。背が高いようで這いつくばっている俺から顔が見えないのが腹立たしい。見えたら睨んでやったものを。

「そんな死にかけの少年に、一つ良い話があるよ」

 碌でもなさそうな話だ、とすぐに思ったのはこの大人が信用ならないせいだ。もしおっさん辺りが話してくれたなら、俺は素直に得をする話なのだと認められただろう。
 だがこいつは嫌だ。納得できない。うさん臭いし。雑巾って言ったし。

「なんと、この糞を溜めたみたいな糞以下の町から出られちゃうチャンスがあったり、するかもしれないよ?」
「げほ、うぇ」

 役に立たなくなってしまった口からは、はぁの一つも出なった。相変わらず咳が酷い。もし話せたのなら、というか動けたならもっと反抗的な態度をとっていただろうに。や、そもそも逃げていたか。こんな怪しい人間からは。

「僕の提案を受け入れれば、だけど」
「…こほっ、ぅ」
「わぁ、声も出ないか。じゃあ早く済ませちゃお。んとね、君には学校に来てもらいたいんだ。なんと、高校生!……って歳じゃあないか、まだ」
「げほっ、ぁ?」
「お?ちょっと調子出てきた?希望も湧いてきちゃった?」

 いちいち癇に障る話し方だ。あぁ、気持ちが悪い。頭がぼやける。

「ま、別に勉強はしてもしなくても良いんだけどね。ただ、学校に来てさえしてくれれば」
「っ、だ、ら、」
「お?」
「げほ、ったら、っ、らぎる、を、つれてけよ」

 学校に行くだけでこの町から出られるだなんて、とんだ待遇だ。良すぎる方の意味で。仮に、例えそれが本当だったら、死にかけの俺よりもあの子を連れていけばいい。頭も良さそうだし、性格だって。
 だって、俺はきっと、あの子がいなければ、結局また死んでしまう。

 ぐらり、と景色が回った。

「いやいや、そうじゃなくて──、って少年?」
「ぅ、」
「え、あれ?死んじゃう、待って待って。おーい──……」

 ああ、なんだか、本当に最後まで腹の立つ奴だ。ぐわんぐわん響くから、その不快な声で話しかけないで、欲しい。





 唐突に、目が覚めた。相変わらず身体は怠いが、朝よりは幾分かマシになっているようだ。ゆっくりと起き上がって、ベッドの横に置いてある水を手に取った。透明で、美味しい水だ。
 なんだか、懐かしい夢を見ていたような気がする。すでに忘れてしまったが、なんとなく、なんとなく最後にイライラしたのは覚えている。せっかくの安眠から起きてしまったのはそのせいか。
 どんな夢だかは覚えていないが、全く、迷惑なことだ。

 時計を見てみると、ちょうど昼頃だった。さて、食欲も多少あるし、何も食べないとラギルが心配してしまうから、スープを飲むとしよう。
 そうして、今日は寝てしまおう。はやく治して、あの子にあまり心配を掛けないようにしなければ。


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