少年の面倒を見始めてから、一か月ほど。最近、調子が悪い。

 外に出ても、狩りが上手くいかない。別に空腹すぎてとか、突然殺すのを躊躇い始めたとかそんな理由ではなくただ漠然と。要は不明だ。キレが悪いとでも言っておこうか。
 恐らく少年のせいではない。彼はあの寝床で、俺が食料を運んでくるのを待っているだけだ。あまり迷惑を掛けまいと体力づくりをしているらしいが、まだ外に出るまでには至っていない。そもそも、外に出るには今までの倫理道徳を捨てなければいけないのだから少年には難しいだろう。育ちがいいと、ここでは苦労するものだ。
 もしあの寝床に誰か来ても信用するなとか、襲い掛かってきたら容赦なく刺せとか言っておいたが果たして。帰ったら少年の死体が転がっていたなんて最悪な事態は起きてほしくない。

 本当ならば、少年に多くの食料を運んでやりたいところだったが、この調子ではそうもいかなかった。夜、くっついて寝ようとしていると少年の腹の虫が鳴いていることも多い。一日三食なんてここでは不可能だ。
 それに、ダストの雨水は少年には向いていなかったらしい。飲んだ翌日に腹を壊した。そのため最近はおっさんのところで割と綺麗な水を買っている。

 金が要る、なんて皆が思っていることだ。俺だって、常々とはいかずともそんな局面はいくつかあった。一人の時ならば騙し騙しでも生活できるが少年がいるとなるとそうもいかない。何とも世知辛い世の中だ。
 思わずため息を吐くと、おっさんに怪訝そうな目で見られた。あまり困っているところを見ていないせいだろう。よくよく、可愛くなくて子供らしくない子供なんて言われている。確かに俺とてそう思う。だって中身は一応子供ではないのだから仕方ないじゃないか。

「んだよ、辛気クセェ。調子わりぃのか?」
「んー、なんか、思い通りに動けない、というか」
「あ?」

 煮え切らない態度に、おっさんの眉が寄った。良いのか悪いのか、白黒ハッキリさせてほしいのかもしれない。それだったら悪いと即答できるが。
 この不調は、俺自身分からないのだ。これくらいなら盗れる、と確信しているのに、どうも想像よりも動きが鈍いのだからどうしようもない。
大人だった頃とのギャップに判断が付かなくなる時期は、前に克服した。あの頃は苦労したものだ。随分差があったから、慣れるまで時間がかかった。今となっては子供である自分の動きとして判断できているはずだ。
 だったら何故こうなっているかと問われれば謎だ。分からないと答えるしかない。明確な理由が不明だから改善策も湧かない。その内調子が戻ってもらわなければ困るのだが。

 俺のためにも、あの少年、ラギルくんのためにも。

 相変わらずのパンをもそもそと食べ始めた俺に、おっさんは尋ねるのを諦めたらしい。物言いたげにしてはいるが、腹立たしそうに頭を掻きながらも口は開かなかった。
 なんとなく、居心地が悪い。おっさんの機嫌はあんまりよろしくないらしい。苛立ちがこちらまで伝わってくる。

「おっさんこそなにかあった?」

 我ながら機嫌を取るような恐る恐るの声が出た。おっさんはあまり怒らせたくないのだ。恩人であるからこそ。
 だが、俺のそんな質問こそおっさんを怒らせたらしい。元々怖い顔が何割か増しで恐ろしい形相へと変貌した。

「なにかあったのはてめぇだろうがドアホ」
「……や、別になにかあったって訳じゃ」
「てめーなァ、ペットに現を抜かすのも程々に──」

 長い説教が始まりそうになったところで、ぎぃ、とドアが鳴った。来客を知らせる音だ。誰かは知らないけれど、ありがたい。おっさんの説教は割と長いから。後、“ペット”を見放すのはまだ止めておきたい。夜が温かいし、折角名前も覚えたのだから。

「こんっちわっす、おやっさん……、とラディもいるじゃん!」

 前言を撤回しよう。お前は帰れ、村人Aよ。おっさんも盛大に舌打ちをした。空気が数倍重くなったように思う。主に、俺とおっさんの村人Aを歓迎しない雰囲気により。
 空気の読めない村人Aはなに怒ってるんすかーと能天気に言いながら、ずかずかと店に入り込んできた。こうはなりたくないが、こいつのこういう所はある意味凄い。

 やはり村人Aは、まっすぐ俺の方に来た。

「……ねぇラディ、お金、困ってないかな?」

 何も言えなかった。いつものように困っていないと即答してしまえばいい。けれども、しかし。
 困っていた。困っているのは事実だ。動きが鈍くなるほどの空腹ではないが、俺も飢えている。最近では調子が悪いせいでラギルと一人分の食料を分け合っている状態だ。ラギル程食べなくても生きていけるとはいえ、空腹な事には変わりない。

 言葉が出ないでいると、村人Aが目を丸くした。

「え、困ってんの?うっそ」
「……、」
「おいラディ、莫迦な事考えてんじゃねぇぞ」

 おっさんの言葉は大抵正しい。ここでの常識をこれほどかという程徹底して教えてくれたのはおっさんだ。その中にはもちろん、身体を売って稼ぐのはよろしくないというのも含まれていた。まぁそれは、教えてくれなくともなんとなく、分かる。
 だから、おっさんが正しいとは分かっている。分かってはいる、が。……どうしようか。戦闘すら鈍ってきたこの状況で俺が稼げるとしたら、これは美味しい話ではないだろうか。

「……いくら?」
「え?」
「いくら、くれるの?」

 一瞬、時が止まったようだった。俺の時は別に止まってはいないが、主に目の前の二人が。村人Aは口が半開きになった間抜けな面をさらしているし、おっさんも鋭い眼を少しだけ見開いていた。まさか、俺がこんなことを言うなんて思っていなかったのだろう。
 先に時が動き出したのはおっさんの方だった。驚いたような顔を、見る見る内に赤くしている。怒っているのだ。

「ラディ、俺は再三教えたよな。そうやって稼いでも碌な結果になんねぇ」
「分かってる」
「分かってねぇだろ!分かってねぇからこんな奴に身体を売ろうとするんだバカ野郎!!」
「ちょ、酷くないおやっさん!?ちゃんと優しくするよぉ」
「うっせえてめぇは黙ってろ!!」

 おっさんの形相は鬼さながらというか、この世のものかと疑うほど恐ろしかったけれど、恐れを知らない村人Aにはさほど効果がないようだった。ウソ泣きをする余裕すらあるのだから。
 だが、このままでは喧嘩でも始めてしまいそうだ。主におっさんが一方的に。

「最近、調子がわるいから。腹いっぱいにでもなったら、戻るかもしれないだろ」
「そんな単純な話が──」
「だって、分からないから。なんで調子がわるいのか。このままだと、そのうち動けなくなるかもしれない」

 ずるずるとこの状況を引きずっていたら、空腹で動けなくなってしまう。そうなったら、ラギルくん共々おしまいだ。ならば、戦闘以外で稼げるチャンスがあるのだから、今村人Aから金をふんだくり取るくらいの事をしたっていいだろう。果たしてどれくらいくれるのかは不明だが。
 それに、だ。

「おっさん。おっさんには俺がどう稼ごうと、もう関係ないだろ」
「っ!てめぇ……!!」

 額に血管を浮かべたおっさんが拳を強く握りしめた。殴られるかもしれない。そう覚悟して目を瞑ったが、世界が揺れるほどの衝撃は訪れなかった。

「あぁ。そうかよ……勝手にしろ」
「……ん、そうする」

 おっさんは未だに納得していない様子で、大きな舌打ちを送ってきた。ついでに、冷めた目、というよりは見下すような、失望したような目を向けられて背筋が震えた。呆れられたか、見捨てられたかもしれない。元々、俺には口うるさかったおっさんだ。それが心配からくるものだということは知っていた。
 だからこそ、この態度に少しだけ胸がぞわぞわした。酷く不快な感覚だ。おっさんにあんな突き放すようなことを言っておいて、我ながら自分勝手な話だ。

「話し合い、終わったぁ?」

 空気が読めないのが村人Aの特徴だ。けれども、おっさんから目を逸らすことが出来たので今日は少しばかりありがたかった。頷くと、何を考えているかも分からない笑顔で返される。

「そっか、じゃあ行こうか」

 腕を引かれて、おっさんの店から肌寒い外へと歩き出した。




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