掌の中の世界
俺がいるこの世界は限りなく広くて。でも俺が見ていたのはほんの一握りで。

その中に、いろはは生きていて。そして俺は、恋をしていた。

そこに俺達だけしかいなければ、全てうまくいったのだろうか。アダムとイヴのように、俺達は結ばれたのだろうか。

なんて、考えるだけ無駄なことか。


学校という狭い場所でも関わらない人間の方が多い。

いくら俺の居る学校が大きいとはいえ、それは学校同士を比べた場合であって、もっと広く世界を見れば、ほんの小さな場所なのだ。毎日通っていても出会わない人間だっているし、名前も知らない人間だってたくさんいる。

だからきっと、俺達が出会ったのは奇跡に近い。でも、奇跡が恋に結び付くなんて、さらに奇跡的なことなんだろう。

いろはがこの学校に入り、俺がここにやってきて、そして二人が出会い、知り合いになった。広い世界と比べると、十分すごいことだ。
これで十分、これ以上を求めてはいけない。


「おはよう!」

挨拶はいつもいろはから。アイツの方が登校が遅いからだ。

「おはよぉ」

「おはよっ!」

いつも来ている友人のと一緒に挨拶を返して、再び会話に戻る。たまにアイツがやって来て授業の話をしたり、部活の話をしたり、たまに恋の話をすることもある。

「なぁ、お前の好きなタイプって、どんな奴?」

ある日、真琴が何気なく聞いた質問に、俺は内心動揺していた。もちろん真琴は俺に聞いたわけではない。そんな話も二人ではやり尽くしていて、俺の好みくらい真琴は知っているからだ。
けれど、俺がいろはのことを好きだということはまだ知らない。

昨日のドラマのヒロインを演じていた女優が美人だったと俺が話し、真琴は別のドラマの主役の方が好みだと言った。そこで少し討論して、それから一緒にいたいろはに尋ねたのだ。『お前の好みは?』と。

いろはがどんな返事をするのか、まったく想像がつかなかった。芸能人で例えるのか、理想を話すのか、それとも……。

聞きたい気持ちより、聞きたくない気持ちのほうが強かった。けれど、その場を逃げるわけにも、会話を遮るわけにもいかず、いろはの答えを聞くより他になかった。

いろはは少し考えて、そして言った。

「結城くん、とか」

結城というのは、俺達バスケ部の仲間でもある人間だ。
彼は大企業の跡取り息子で、スポーツはもちろん、勉強や音楽、生徒会長まで何でもこなす、まるでフィクションの中から出てきたような人間だ。だから、この学校ではちょっと名の知れた存在だったりする。

一番聞きたくなかった、関わりのある人間での答え。もちろん結城が嫌いなのではなく、きっと他の友人達であっても同じ気持ちだっただろう。

「えー? お前も結城が好きなのかよ?」

「じゃなくて、タイプでしょ? 彼氏が顔も頭も運動神経もよかったら、そりゃ嬉しいでしょ」

いろはは無難な解答として彼の名をあげたのだろうか。確かに結城は芸能人と同じくくりにしてもいいのかもしれない。周りにとっては手の届かない存在なのだろうから。

けれど俺にとっては友人でしかなくて、至極身近な存在だった。

「もしかしてファンクラブ入ってたりすんの?」

何も知らない真琴はさらに問いただし、話題を引っ張る。できればもう聞きたくないのだが、そんな雰囲気は全くない。

「あはは、入ってないよぉ。」

いろははいつも通り、笑っている。当然だ、いろはにとっては日常の何気ない会話なのだから。

けれど、俺にとっては違った。結城よりも近くにいるはずなのに、途端に不安になる。勝てないと感じたわけではない。ただ、俺の考えが間違っていた気がして、不安になった。

出会えたことは奇跡かもしれないが、一方的に好きになる場合もある。そして何気ない拍子に両想いになって付き合うことだってあるのだ。それこそ奇跡のようなことだが、運命を感じることは確かにあるらしい。

けれど、そんなことはありえないと一方的に否定して、今の状況で妥協していた自分。それが間違っているのではないかという気持ちがふくらんできた。

「じゃーさ、お前は結城がコクってきたら付き合うのかよ」

真琴が尋ねると、いろはは少し考えて。

「そうかも」なんて、軽く答えた。

いろはの中に結城の存在がどれだけあるのだろう。いろはの世界に俺はどれだけ存在しているのだろう。もしかしたら、こうして一緒にいる間しか、いろはの中にはいられないのではないだろうか。俺の世界には、いつでも君が存在しているのに。
そう考えると、一緒にいないのにいろはの中にいる結城が羨ましく思えた。

「結城と付き合うなんて、宝くじが当たったようなもんだね」

遠回しに付き合えないと伝えてみる。なんて臆病者なんだろうか。
けれどいろはは、俺の言葉を思い通りには受け止めなかったようだった。

「そんなの誰もがそうだよ」

そう、いろはは言った。

「みんな一人ずつしかいないんだから、どんな出会いも宝くじみたいなもんでしょ。例えば私がアンタと付き合っても、ね」

俺の考えと似ていることが、なんとなく嬉しかった。そして、例え話なのにドキッとしている自分が少し可笑しかった。

「出逢いは偶然、別れは必然。だから出逢いを大切にしないとね」

その言葉は、いろはの想いというだけで、とても心強いものだった。

このまま何もしなければ、いつか別れがくるのだろうか。それならば、この奇跡が消える前に、その確率に賭けてみようか。

-END-


(2010.09)

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