君待雨
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薄灰色の空から無数に降ってくる水滴を見上げて、わたしは小さくため息をついた。
予約していた画集が来たからと連絡があり、本屋に取りに寄ったのはいいけれど、いつものごとくついつい長居してしまって、気づけば二時間もたっていた。
学校を出た頃から既に曇っていた空は、わたしが本屋を歩き回っている間に雨に変わってしまったらしい。夕立ならいいのに、と思うけれど、残念ながら全くやむ様子はない。

このまま帰れば、鞄とビニール袋に守られているとはいえ、画集が濡れないとも限らない。かといって傘を買うのは勿体ない。近くにコンビニはあるけれど、ワンコインとはいえ高校生には痛い。漫画が一冊買えてしまう値段なのだから。

せめてもう少し雨が小さくならないだろうか、と、風除室から自動ドアの向こうに見える空を怨めしく見上げる。そんなに強くないとはいえ、10分も歩けばびしょ濡れになること間違いなしだ。

どうしたものか、とため息をついたとき、目の前の自動ドアが開き、わたしは慌てて横へと避ける。けれど、入ってきた人物は本屋さんの中へは入らず、わたしの前で立ち止まった。

「いろはちゃん、雨宿り?」

「綾君……本を買いに来たの?」

「いや、いろはちゃんが見えたから」

えっ、と動揺するわたしを気にすることもなく、綾君は「傘、いる?」と、わたしに尋ねた。

けれど彼の手には傘なんてないし、折り畳み傘などが入っていそうな鞄も持っていない。そもそも彼自身がびしょ濡れなのだ、もちろんわたしも持っていないからこうして雨宿りをしているんだけど、彼にうん、と答えていいものか悩んだ。
わたしが返答に困っていると、綾君は「待ってて」と言い残して再び雨の中へ。

しばらくして戻ってきた彼から、はい、と手渡されたのは、新品のビニール傘。取っ手のところにお店のテープが貼ってある。
驚いて彼の顔を見たけれど、綾君はさも当然のように言う。

「傘がなくて帰れねぇんだろ?」

「そうだけど、買ってくれなくてもよかったのに」

「だって俺も持ってなかったし」

「そうだけど……」

だからって買って渡すような人がいるだろうか。少なくともわたしなら買わない。自分の傘でさえ買うのを躊躇って、こうして立ち止まっているくらいなんだから。

それじゃあ、と再び雨に濡れにいこうとする彼を慌てて追いかけて捕まえると、不思議そうな顔をしていた。

「綾君はどうするの?」

「別にいいよ、もう濡れてるから」

「だめだよ、ほら」

広げた傘に彼を入れようと手を伸ばすと、鞄を抱えているせいで、高く伸ばした腕がふらりと揺れた。それを支えながら、綾君は傘を私に押し返そうとする。

「いろはちゃん用に買ったんだから、いいって」

「だめだよ! 風邪ひいちゃうよ!」

あぁ、そう。と、握ったままの傘を二人の真ん中に持っていく。
思ったよりもあっさりだった。わたしが声を大きくしたせいだろうか。
そう思った途端に恥ずかしくなり、「ありがとう……」という声は雨にかき消されてしまうほどに小さくなっていた。

けれど綾君には届いたのか、彼は微笑み、そのまま歩き出した。

男の子と二人でこんな風に帰るなんて、傍目には恋人同士に見えてしまうかもしれない。
それにこの、触れてしまうほどに近い距離。
歩き始めると、実際、触れるのだ。その度に慌てて体を避けてみるけれど、逆に意識してしまっているのが丸わかりな気がする。

綾君はというと、もちろん気になどしていない。だけど、私が離れそうになるたびに「濡れるよ」と、自分ではなく傘を寄せてくれるのは、私がこんな態度をとっているからかもしれない。

「家わかっちゃうけど、個人情報だいじょーぶ?」

「あはは、いいよ。そういえば、綾君の家はどこなの?」

「ひみつー」

「個人情報だから?」

「うん、そう」と彼は笑う。
本当のことは分からない。けれど、もしかしたら……。
そう思うと、口に出さずにはいられない。

「違う方向なら私、一人でも大丈夫だよ」

「ほら、言うと思った。いろはちゃん、すぐそーいうこと言うから」

「……だって、悪いよ」

「別に、暇だったし」

「部活の帰りでしょ?」

「うん。雨だったから大したことしてないけどな」

そっか、と返して、私は口を閉ざす。

大粒の雨がビニールにぶつかってぱらぱらと音をたてている。
流れとはいえ誘ったのは自分なのに、いざこの状況になると何を話していいのかわからない。

綾君の性格を、実はわたしはよく分かっていない。教室でも、こうして誰かに親しそうに話しかけていることもあれば、一人、自分の席に座って過ごしていることもよくある。
気になっているのは、カッコいいだとか、わたしにも話しかけてくれからだとか、そんな理由が大きいんだけど、そんな姿が気になるというのもあるかもしれない。

「いろはちゃん、濡れてない?」

「私は大丈夫。それに、画集が無事なら全然平気だから!」

ほら、と胸に抱く袋を見せる。「あぁ、それで」と、綾君は呟き、苦笑する。

「絵、好きなんだ」

「あっ……うん、まぁ……」

好きな漫画家さんのもの、なんて言いづらくて、言葉を濁す。見せてと言われたらどうしようかと少しどきどきしたけれど、幸いそんなことはなかった。

そんな会話たちと同じように、別れ際も「それじゃあ」というあっさりとしたものだった。クラスメイトでしかないのだから、当然か。

「待って、りょう、くん……」

少しだけ積極的になれたのは、雨に包まれた闇のお陰だろう。
引き留めたのは、名残惜しかったからだ、多分……いや、絶対。こんな風に近づけただけでも十分なはずなのに、欲張りすぎだ。
冷静な自分がそう戒める。

だけど、二人きりになれることなんてもう二度とないかもしれないのだ。少しくらい欲張っても、バチは当たらない、と、思う。

「あ、あの、やっぱり、お金払うよ」

「いいって」

「だけど、本当に助かったから、何か……お礼とか……」

本当に少しだけ、数分だけのことだけれど、向かい合って話すのは、さっきとは違った緊張がある。
しかも、話すことなんて考えていなかったから、余計だ。

「……ごめん、いいお礼が浮かばないから、明日までに考えておくね」

目を合わせることもままならないくせに、この緊張の中で精一杯笑顔を作ったわたしは、頑張った。
しかも、思い付きで出した話題が途切れ、少しずつ冷静になってくると、今度は早く帰りたい衝動に駆られてくる。なんて自己中なんだろう。

「あの、それじゃあ、綾君も気を付けてね」

傘を閉じて、そういい捨てるようにして家に入ろうとしたけれど、何故か腕を掴まれ、今度はわたしが引き留められた。
そして次の瞬間、ふっと視界が暗くなる。

ほんの一瞬のそれによって、言葉どころか、考えていたことさえ消えてしまったわたしに、綾君は笑いかけた。

「いろはちゃんももう少し気を付けような、俺みたいなのに捕まらないように」

雨はまだまだ止みそうにない。
濡れ始めるわたしに「早く入りな」と綾君は言ったけれど、わたしはしばらくその場を動けずにいた。

end




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