ルーヴァと踊れ
(吉崎綾)


別れたの? と、普が尋ねたのは、いろはが辞めてからわずか二日目のことだった。部室で二人きりになったときに何の脈絡もなく尋ねられたが、彼女がいたわけでもないからすぐにいろはのことを言っているのだとわかった。

普のことだから、部活に来なかったからとか誰かから聞いたのではなく、感づいたのだろう。普段の性格からはあまり想像がつかないかもしれないが、普は察しがいい。

「付き合ってもないのに別れたっておかしくない?」

「え、付き合ってなかったの?」

「付き合うなんていっとらんだろ」

「付き合ってたようなもんじゃん」

「どこが」

事実、俺といろはは付き合ってなどいなかったのだが、普の目にはそう映っていたということだろうか。俺はもちろんいろはが彼女だなんて言ったことなどないし、いろはも言うことはなかったはずだ。

普はどこをどう見てそう思ったのか。私生活どころか、部活以外で話すことはほぼなかったというのに。
いろはとは元々クラスが同じな訳でもなかったので関わりもなかった。部活で知り合いになったとはいえ、人形は所詮人形でしかない。告白をされたあのときに何ごともなく終わっていれば、今だって一度話しただけの赤の他人のはずだ。

「お前が彼女を作らねぇとかいってるのって、人形にしたくねぇからだろ? けどそれってさ、既にマネになってる状態で好きになったんならどうでもよくねぇ?」

恋人が人形になるこのシステムの中で、既に人形である女が彼女になったところで、確かに端から見れば何も変わらない。そこで両想いであれば付き合っていると言ってもいい、と。つまりはそういうことか。

「お前、意外とわかりやすいぜ」

カップのバニラアイスの上にチョコレートソースをかけながら、普が言う。

「いろはのこと、好きだっただろ」

「好きかどうかは置いといて、普はあんなマネージャーを彼女として見れるん?」

「そういう風に考えたことがねぇよ。好きなら好きなんだし、マネだからどうとか、ねぇわ」

普がそうやって好きになった相手の総てを受け止められるのは、きっと素直だからだ。
盲目的に、というのは直視しているにも関わらず意識していない状態であって、見えるものをよくも悪くも理解してしまえる俺には向いていない。

「俺にだって関わりたくない人間くらいおるの」

バニラとチョコレートの甘い匂いで気分が悪くなる。そんな俺のことなどお構いなしに、普はアイスを口に運ぶ。そして、口を動かすのは食べるためだけでいいのに、食べながら喋り続ける。

「いろはと関わりたくないってこと? いろはのこと、嫌いなの?」

「嫌いとか好きとかじゃなくて」

「は? だから、好きなんだろ?」

「あー、うん。お前が言うんなら、そうかもな」

「なんだよ、それ。自分でわかるだろ」

「わかっとったら苦労せんわ」

「何でお前、そういうの避けるの? 好きな女がいるのが恥ずかしいって、小学生かよ」

「もう、なんとでもいって」

普は恋愛のこととなると本当にしつこい。特に今は彼女ができたばかりだから、余計だ。もう黙ってアイスを食べることに集中してほしい。
こんなときにおせっかい、といっても全く通じない。当の本人はキューピッド気分なのだから。

これはもうタイミングが悪すぎた、というしかない。いや、別れた直後ならそれはそれで、死にたい死にたいと煩いのだが。

「んなこと言われなくても言うけどさ、いろはは元々お前のことが好きだったわけだから振られることもねぇだろ? しかも既にマネになってるじゃん。これ以上他に何が怖いわけ?」

怖い、と言えばそうなのかもしれない。何より恐れていたのは、その感情の波に自分が飲み込まれてしまうことだ。

感情は水のようで、小さな衝撃でも簡単に揺れ動き、少しでも異物が入ればたちまち波紋が広がっていく。
動かしたくなければ凍らせておけばいいという考えは、安直すぎたのか。割れる、ということを考えていなかった自分が、馬鹿なのか。

「なんでそんなに好きって認めようとしないの? その、マネがどうとかって話もさ、お前はマネになったいろはのことを好きになったんだろ?」

「だからー、好きとかどうとか、そういうのがわからんの」

「いいからもう素直になれよ」

「素直にって何? 俺は今のままでいいわけだし、俺が素直になったところで相手の気持ちも環境も早々変わるもんでもないんだから、どっちだっていいだろ」

そこまでいって、俺を睨み付ける普の表情で言い過ぎたことに気づき、言葉を止めた。不機嫌になったのが一目でわかる。

俺が黙ったのは、八つ当たりされるのもそれをあしらうのも面倒だからだ。俺の言動の多くの理由はそれ。面倒だから、だ。他人にも、それから自分にも、振り回されることは酷く疲れる。

「じゃあお前は変わるもんでもないそれをどうして変えようとしてんの? いろはを突き放したってお前が黙ってたって、どっちの気持ちも変わんねぇのに」

「アマちゃん、今日は真面目なことばっか言うんだな」

こうして正論から逃げるように笑っても、変わらない。普はお節介なままだし、俺は面倒に感じるだけだ。

「真面目っつか、理解できねぇからじゃん」

「理解してくれんでもいいんだけど」

「いや、気になる」

壊れた感情も理論で砕いて飲み込めば、綺麗さっぱり消化される。そうやって、感じているこの全てを、消してしまいたい。
それはある意味変化とも呼べるが、変えられないから、捨てたいのだ。不可能に近いことは理解しているが、それでも。

「その話、もういいから」

「怒ってんの?」

「じゃなくて、話しても無意味だから、やめよ」

「無意味……だろうな。俺が何言ったって、本心はお前の中にあるそれだけなんだから」

普段ならば動画でも眺めながら適当に流しているところなのに、今は返事をすることに必死になっている。

普も俺の性格はよくわかっているはずだ。ただ、そこから俺に合わせてどうこうすることはない。
納得しろとでも言うように、綾、と、口を閉ざす俺の名前を呼ぶ。本人は後押しでもしているつもりだろうが、俺にとっては追い討ちだ。

「もう、アマちゃん、やだ」

「やだって、ガキかよ」

「お願い、やめて。そんなに俺のこと詮索して、アマちゃんは何がしたいの?」

「お前を泣かせたい」

「鬼畜」

「お前だろ、クソ野郎」

今にも口に出してしまいそうな言葉を止めているのは、プライドではない。聞きたくないのだ、自分の耳で、自分の声で発せられる、その、感情を。

「……まぁ、好きだったかもしれん、けど」

それだけでも精一杯だというのに、普は「で?」と、尚も突っ込んでくる。

「もう、ほんと、やめて」

「いやだ」

「今思っとることを言ったら許してくれるん?」

「許すも何もねぇだろ、俺は関係ねぇし。いろはのことが可哀想だとは思うけど」

それも重々わかっている。告白してきたから、ということではなく、一緒にいるときの言動で伝わってきた。

普のように共感することはあまりできないが、理解はしている方だと思う、自分以外の感情は。
ただ、それを受け入れてしまえば、自分の中に留まることになる。自分の感情にさえこんなに振り回されているのに、そんなものまで抱えられない。

「まぁ、いろはは泣いたりはしねぇだろうけどな」

最後に、お前と同じで、と強く言われた。可哀想だとでも言わんばかりに、強く。

だから俺も、振り回されたくないといっている自分がいろはのことを振り回したことについては、悪いと思っている。

しかし、こうなる可能性を考えて、あのとき言ったのだ。俺にはそんな価値なんてないない、と。

「だからさ、卒業するまで彼女作るつもりないんだって、俺は」

「別に付き合えとはいってねぇよ。つか、俺はいろはのことが気になってんじゃねぇから」

普が溶けたバニラアイスにチョコレートを注ぎ足したせいで、消えかけていた甘い匂いが再び流れてくる。俺が顔をしかめていると、飲んでいた緑茶を差し出しながら、普はじっと俺の顔を見つめた。

「こんなことしてお前は辛くねぇの?」

どうしてこう、こいつは忘れたいことばかりを思い出させるのだろう。

あの日、俺が尋ねた同じ問いに頷くいろはを、俺はどこか羨ましくも思っていた。自分が誰かに対してそんな風に必死にはなれないだろうから。

しかし、なりたくなかったというだけなのかもしれない。今まで平気だったのだって、相手に対して感情が向けられていなかったからだ。

「……辛いって言ったら、普が助けてくれるん?」

「助けてやる」というはっきりとした声を聞きながら、机の上に顔を伏せる。

もう、何もかも見えなくなればいい。この感情はもとより、いろはから向けられていた気持ちも、いろはの存在も、全て。

「当たり前だろ、俺が助けてやるよ。だってお前、俺以外の誰にそれを言えるんだよ」

目を閉じて、そうだな、と吐き出すと、自然と溢れるのは涙ではなく笑みだった。

普のように、感情のままに泣くことさえもできないのだから、俺が素直になるだなんて。

「……無理だったんだよ」

何が、と尋ね返され、ゆっくりと吸い込んだ息を吐き出す。

他人との行為を見て抱けなくなったと言ったら、普は一緒に笑ってくれるだろうか。

end



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