不死身ラビット (明本淳) 何気なく上った屋上で、アマネ先輩が泣いていた。 ドアを開いた瞬間、振り向いた彼と目が合って。一瞬お互い、動きを止めて。それから彼は、慌てて涙を拭いて。俺はどんな顔していいのかわからなくて、無理やり笑顔を作った。 何があったのか、そりゃかなり気になったけど、聞く雰囲気でもなかったから、口に出せなかった。けど、その場を離れる雰囲気でもなくて、先輩が言葉を発するまで、互いに動けずにいた。 「言うなよ」 アマネ先輩はキッと俺を睨みつけたまま、言った。 いやまぁ、そりゃ。なんておかしな返事を返したけど、彼はいつもみたいに怒鳴ったりはしなかった。 多分、あの日からだと思う。アマネ先輩が俺にだけ、弱音を吐くようになったのは。いや、正確に言うと、『後輩の中では』俺にだけ、っていうのかな。開き直ったのかもしれない。今更強がっても遅い、って。 人間なんだから弱い部分だってあるんだろうけど、俺はこのときまで知らなかった。まさか彼がコレほどまで折れやすい人間だったとは。 それからは、毎日のように愚痴が続いた。愚痴っていうよりも、悲観っていうか、後悔。それも、恋愛話限定。片想いの相手が誰が好きだとか、そいつに比べて俺は駄目なんだとか、もっとこうしたいとか、だけどできないとか、だから死にたいとか。 あの日泣いていたのも、彼女に振られたからという理由だったそうだ。 普段の彼からは絶対に想像できない言葉が次から次へと飛んでくる。死にたいとか消えたいとか殺してとか。今までそれらの言葉が俺に向けられて吐き出されることはあった。死ねよお前、なんて、彼特有の挨拶みたいなもんだった。それは笑って受け流せば害はないってことも、学んだ。だけど自分が死にたいだなんて、しかも冗談に聞こえない口調で言うもんだから、どう反応していいのかわからなかった。 アマネ先輩は普段から自信満々だ。陸上の大会でも根拠もなく「余裕っしょ」なんて言うし、試験前も「普段の実力で十分なんだよ」なんて本気で言う。面倒だから勉強しない、などではなく、やらなくてもいいんだ、と。その性格に助けられることだってあるし、少し羨ましいなって思うこともあったくらいだけど、全ての理由が弱さを隠すためなのかもしれないと、思った。 世界は自分を中心に回っていると思ってやまないような人間だと勝手に決め付けていたけど、そうじゃなかった。世界はカノジョを中心に回っていて、彼はそれに追いつこうと必死になっているように見えた。 「うさぎってさ、寂しいと死ぬって言うじゃん」 「そんなの冗談に決まってるじゃないっすか」 「冗談でも羨ましい」 「意味わかんないんすけど」 「そんな風に死にたい」 「いや、意味わかんないんすけど」 ちょっと考えて、つまり楽して死にたいってこと? と尋ねると、きっぱり違うと否定された。それから、馬鹿じゃねーの、お前。とも言われた。こういう時に言われる暴言は、普段よりも数倍鋭く感じる。 「寂しいって感じた瞬間に、その感情が脳内に伝達される間もなく心臓が止まればいいと思う」 アマネ先輩にしては珍しく難しい表現だったけど、もちろんすごいだなんて思えなかった。いや、別の意味ですごいとは思う。だってそんな馬鹿げたこと、俺は考えもつかないから。 「先輩は寂しいんすか?」 「まぁ、そんな感じ」 「別に人間なんて他にもいるじゃないっすか」 「カノジョってのは違う枠なんだよ。カノジョが消えるって大きいの」 ここまで想われるなんて羨ましいと思う。俺もこれくらい想ってくれる彼女が欲しい。相手にとっては、少し重過ぎるのかもしれないけど。 「何つーの。友達とか家族とかとは枠が違うんだよ。メールのフォルダみたいな感じ」 「え、アマネ先輩ってフォルダ分けてるんすか」 「わりぃか」 「いや、悪くないっす」 けど、意外。と、心の中で驚きの声。あの大雑把な彼が、カノジョ、とか分けてんのか。俺は普通に考えりゃ後輩のポジションだけど、もしかしたらパシリとかいう枠があって、俺やひびきはそっちに入ってたりして。ちょっと見てみたいかも。 「そんで、比率を考えてみろよ。友達は何十人、知り合いも何十人、家族だって数人はいるわけじゃん? そのフォルダをカノジョってだけで独り占めすんだぜ?」 確かに分かりやすい表現だ。その結果、感情の枠もそれだけ大きくて、そこがなくなったらやっぱり寂しい。家族と比べるのは別問題になるけど、あまり関わりのない友人と疎遠になるのとはわけが違う。 ただ、アマネ先輩の場合、少し過剰だとは思うけどね。 「そういえば、うさぎって鳴くんすよ」 「うそ。なんて?」 「それは知らないっすけど、感情のぶれが激しい時だけ鳴くんだって」 「ふぅん、知らなかった。で?」 「いや、アマネ先輩も泣くんだなぁ、って」 「何それ。人間なんだから泣くっつの」 「アマネ先輩がうさぎの話するから、重なっただけっすよ」 俺がいたって当然カノジョの隙間を埋めることはできないだろうし、愚痴を聞くのは面倒だけど、これでアマネ先輩が死なないってんなら、黙って一緒にいてあげようと思った。 おしまい。 (拝借:はれのちらいう) →/menu [← | 少女 | →] |