第17話・拓かれた海路







俺までつられて頬に熱が灯る。どうしたって、ドーリィの容姿が綺麗なのがいけないのだ。あちこちで上物、上物と形容される本人がどう思っているかは定かでないが、ろくに恋愛経験のない俺から見てもこの子はスペックが高い。

「ドーリィ、ごめんな。もう少し我慢してくれ」
「<ガマン?>」
「海に出たら泳げるくらい水質の綺麗な所がある筈だ」

こんな2人きりの時でも遠くで爆発音が散り、確かな地鳴りは俺達の足元にまで届いた。徐々に全てが近づいてくる。ドーリィが気付いていないとは考えにくいが、先ほどから色濃く届く殺気が彼女の白い肌を刺激していないと祈るばかりだ。

小声で「ごめん」と付け加えて俺はドーリィの膝裏に手を差し込む。続いて薄い背に手を回し、そっと彼女の体を抱えこんだ。
ドーリィがわずかに息を潜めたのが分かる。こうして抱き上げられた経験はあるのだろうか。すぐに俺の首に腕を巻き付けて姿勢の安定を図った。

「<苦しい?>」
「大丈夫。君は軽いから」

車の外へと彼女の体が浮き上がった。サイボーグの身体には何の負担にもならない、それくらい彼女は軽くて折れてしまいそうだ。でもその顔から恐怖や恥じらいは消え、今何をすべきか、それだけを胸に俺に付き合ってくれているのが分かる。

ドーリィを抱え走り出した途端、後方の轟音が突然距離を縮めてさく裂した。機械の片目をぐるりと、180度回転させて方位を確認する。

『妨害電波多量』
『政府公用重機:搭載武器、ナシ』

リモートタイプのクレーンやパワーショベルまでデタラメに動き回っていた。元より政府管轄の港が徐々に無機質な活気を取り戻し、夜間作業用のライトまでもが点灯する。

公の追手だ。

電脳通信が使えないと素早く判断して、ディーンさんが船から怒号を発している。早く来いと。
船のエンジン音が急にトーンを上げた。また爆発。コンテナはあられのように落下し、アスファルトに大きなヒビを作ってめり込んだ。

「まるで映画だな」

ドーリィが主に外の世界を映像で学んでいたと見て冗談を言ってみる。だがドーリィは笑わなかった。

「<パパだ>」
「怖い?」

ドーリィは腕に力を込めた。怖いのだろうか。恐らく、俺がジャンプしようと体勢をぐっと屈めたせいもある。

「<パパはもっとひどい事をする。ひどい事をして追ってくる>」
「ひどい事?例えば」
「<生きてるのが嫌になるような事>」
「…君もパパといて、嫌になるような事があったの?」
「<私にはとても優しかった、私と、おじさんにだけは。後の人は…>」

俺も彼女を包む腕にしっかりとエネルギーを充填した。人工の筋肉がほんの少し熱を持つ。そこへドーリィは渋い顔から一転、久しぶりの笑顔を見せた。

「<私も、貴方の妹さんに会いたい>」
「何だよ急に。…俺も会わせたいけど今あの子の事を考えると多分、ピクルス詰め込まれるどころじゃ、あとね…」
「<どうなる?>」
「着地点がずれて船じゃなくて海に落ちる」

脚部へのエネルギー充填は十分な値に達した。急げ急げと、ウェンルーの配下達も政府の追手からさっと身を隠す。残されたのは今後の足となる高速船だけだ。
パキ、と足元で微かにアスファルトのひび割れを聞いた。ドーリィが息を飲む音も、俺のジョイントが潤滑剤に満たされる感触も、あと一歩遅ければ俺達を巻き込んでいた爆炎も、全てが確かに感知される。


助走をつける暇さえ無かったが上手くいったらしい。船の甲板を傷つける事なく、俺達は半ば動き出していたそれに着地した。

「爆発背景にしてサイコーのパフォーマンスだったぜ!ジャック!動画撮っとけば良かったな!」

操舵にあたっていたウェンルーは敢え無く、ディーンさんに殴り飛ばされ俺の視界から消えた。

「2人とも、怪我はなあい?」
「見ての通りです。でもドーリィはちょっと寝た方が良いな…酒場のシェルターでも全く寝ようとしなかったから」
「あらーっもーっ、年頃だからって夜更かしがどんだけお肌に悪いかってえの!あと数年したら何倍にもなってシワ寄せ来ちゃうわよ!」

なんだかんだで2人とも爆破や血糊にびくともしていない。とりあえず、俺だって戦地帰りでひと暴れしたので人の事など言えたものではない。そんな姿を見せてしまって、もといこんな連中で取り囲まれてまさに温室育ちのドーリィは大丈夫なんだろうか。
そっとドーリィを甲板に下ろしてみる。細い足は既に自重を支えるまでに回復していた。

「ドーリィ、あんた陸でも眠れるの?」
「<大丈夫>」

バイザーの光は煌々と明瞭だが、使用している本人はいかにも眠たげで危なっかしい。今度はディーンさんがドーリィを俵担ぎにして階下の船室へと急いだ。

甲板には俺1人。先ほどまでむせ返りそうなほど充満していた硝煙や潤滑剤、そして血の匂いは次第に薄れ、潮風が代わりに高速船を取り巻き沖へ導いた。
サーチライトもあっという間に遠く離れ、切り取られた写真のような港で煙が渦巻く様子は事件現場の実況中継とよく似ている。
海に出たのは久々だ。思えばパイロットだった自分が航空母艦に乗って沖へ出たあの日から随分経つ。

あの日は、沢山の仲間が海に沈んだ。今もこの海のどこかで彼らは潮に乗ってふやけているのかもしれない。


「ジャーック!あんたも来なさい!ドーリィが一緒じゃないと嫌だって!」

操舵室からのっそり顔を出したウェンルーがニヤニヤ笑っている。俺も時間を作ってあいつを殴っておこうと思った。


船室は先ほどのシェルターより幾分湿気が程よく、2段ベッドや簡易クローゼットが並んでいた。船内には同じ部屋がもう一部屋納まっているらしく、俺は手荷物を取りに行こうとそちらへ足を向けた。だがよく見ると、ディーンさんが詰めてくれたらしい俺用のバッグが既に下段ベッドで鎮座している。男部屋と女部屋、という分類では無かったのだろうか。いや、ディーンさんはオネエだけど。

コンコン、と木を叩く音がする。2段ベッドの上からドーリィが顔を出していた。

「君が寝るまでだよ、一緒と言っても」

バイザーで幾分大きく見える頭がゆらゆら横に揺れる。施設でそこらの軍人や駅員より規則正しく生活してきた彼女には夜更かしがよほど堪えたのかもしれない。要は凄く、ぐずっている。
1日でこんなに心を開いてくれる子も中々いないだろう。もしかしたら同年代の子に会う機会が今までなく、そこに外界という刺激を受けて気分が高揚した結果かもしれない。

せっかくだからと、俺は梯子を登って彼女と視線を合わせた。

「君のバイタルサインを採取させてくれ」
「<ウェンルーの分も要る?>」
「何で」
「<バイザーに登録してあった>」
「あんな心臓に毛の生えたような奴の心拍規則なんて要らないよ」

政府の施設から抜け出してきたとあって、彼女のバイザーは実に精巧かつ丈夫だ。バイザーから引き出したコードを首筋にあてがう。
そこで突然、ドーリィが白い手を俺の指に絡めた。驚きのあまり足を滑らせそうになる。温かい感触が首筋の継ぎ目を行き来して背筋が、粟立つどころか電流が走ったのかと思うほどだった。
眠たそうにゆっくり瞬きする銀の目が間近に迫る。彼女の手によって俺のコネクタに無事インターフェイスが刺さり、バイザーが今までため込んできた彼女の情報が俺に流れ込んできた。

「…ありがとう?」
「<どうやって差すのか知りたかったの。パパと貴方の首筋は規格が違うみたいだったから>」
「ああ、はいはい、そう」

読める程度のスピードで網膜を情報が走る。バイザーを取った彼女の写真と関連付けて、しっかりと義眼のセンサに彼女の心拍や体温を覚え込ませた。

「<ジャック>」
「何?ああ、送受信はもう終わったよ、ありがとう」
「<水族館の私、怖かった?>」

また梯子にかけた足が心もとなくびくついた。正直、この子は人間の反応に疎いと思っていた。水族館でもグロテスクな肉達磨に変貌したサイボーグ警備員達が流されていくのをただ見送っていたように見えたし、至極合理的に状況を打破すべく彼女は動いているものと思っていた。
これは。疎いのは俺の方だったかもしれない。人生の半分が軍での生活だったし、そういった人間が普通の生活を簡単に取り戻せないのはよくよく分かっていた、つもりだった。
俺はゆっくり言葉を選んだ。ドーリィという、普通の色が濃い女の子を相手に、それは難題だった。

「頼もしかったよ。驚きはしたし、でもこれから続く無茶な逃亡生活も君なら大丈夫だろうって」

ドーリィはほんの少し眠気を忘れたようだった。すぐふにゃふにゃした笑みが浮かび、手足の緊張がほぐれ、段々とその細い首がブランケットに沈んでいく。

「<下のベッドで寝てね。約束>」

俺が咄嗟に外してやったバイザーが電子音声を発する。字幕投影での会話と電子音声の使い分けは彼女の気まぐれなのだろうか。
おやすみ、と俺は小さく呼びかけ、約束通り自分のベッドに収まった。


海で迎える朝は従軍時代よりも鮮やかで強烈だった。
研究所でならまず聞こえない喧噪で目が覚めてしまったのだ。どうやらキッチンスペースでウェンルーとディーンさんが騒がしくやり合っているらしい。
ケンカではない。現に義眼が『紙媒体、液体薬品の充填:インク』と弾き出している。今後の動向を巡って猛者達がテーブルを囲み相談に勤しんでいる、というところだろう。

『ディーンさん、休ませてもらってありがとうございます』

電脳への反応は一拍遅れて届いた。

『あら、意外と早かったじゃない。良いのよん、しばらくシティみたいに綿密なボディ・メンテは出来ないしねー…しっかり管理しなさいな、あんたが大事な主戦力なんだから』
『了解。で、』
『坊ちゃんも上がって来るか?海図読めるなら手伝えよ』
『お前は黙ってろ』
『しーん!』
『ふざけてると腹パンキメるわよ、海尊の坊ちゃん』

紙の海図は一応電子媒体も用意してある。むしろそちらの方が主流で、メサイアが近年帝国と共和国の間を分かつ大海で猛威を振るっているせいだ。しょっちゅう細かな海流が加わったり、下手をすると小島が削り取られたりとその威力は凄まじく、帝国の観測局も予測と海図の更新にかなりの労力を割いている。

『ジャック、義眼の反応はどう?メサイアの感知も出来るんだったわよね』
『今のところ半径50kmは安全みたいですが』
『なら暫くはいけるわね。まー、油断は出来ないから海路か陸路か昨日は最後まで迷ったのよ〜…ついこの前だったわ、組織であたしが目をかけてた子が巻き込まれて』
『…ご遺体は?』
『あー見つかった時はまだ生きてたのよねー、でも…』

珍しくディーンさんが口ごもる。ウェンルーも滅多に聞かないトーンでそれに続いた。

『メサイアに接触した奴は発狂する』

2人を前に話していたとしても、俺はそれに相槌を打たずにいただろう。海に住まう民族たる海尊だからこそ、ウェンルーはメサイアの脅威を心身に刻み込まれている。

『そういう事ね。今までのケースとおんなじ。1週間もたずに衰弱して助けようもなくポックリよ。嵐の中で何を見たらあんな形相になるのか考えたくもないけど…何の手向けもしてやれないなんて』
『電脳もめちゃくちゃにやられて機能しねえからな。医者も分析できねえって匙投げるどころじゃねえよ』

ディーンさんが言うには、そのメサイアの動きがここ数か月特に予測しづらくなっているらしい。2人が先ほどまで話し込んでいた主題もそこにあったようだ。
アナログの海図とグラディウスによる無線で更新が成されるデジタルの海図。その両方を慎重に見比べて舵を取る予定という事で様子を見ている。

メサイア。その名の通り『救世主』。海の無い公国で見つかった史料にそのような名称で記述があった事から、近隣諸国でもそのように呼ばれている。

『俺たち海尊はまんま『荒神』って呼んでるけどよ、最近は何ていうか、』
『邪神』
『そうそれ。そうだジャック、今度『邪神』ってゲームやろうぜ。インパクト社の新作。電脳とのシンクロ度が今までと桁違いなんだって、試供品がまた何度でも遊べるクオリティなんだわ』
『またそうやってホラーばっかり選んでくる』
『あーらージャック、あんたまだお化け克服できてなかったの!』
『こいつに無理やりホラーゲームやらされて悪化したんです』

ホラーだ邪神だとからかわれてもう何年になることやら。
少なくともメサイアは実在する人工的な嵐だ。謎は未だあまりにも多く危険な物体、もはや規模が大き過ぎて現象と言うべきだろうか。旧時代から暴風で海水をかき混ぜて汚染物質を吸い上げ、水質を浄化してきたというが、何百年前からかそら恐ろしい史実が首をもたげ始めた。

不規則に暴れ回る「奴」に接触すれば発狂し、数日で死に至る。

それに関しては少なくとも、陸に上がれば安全だと観測局も公言している。海中の汚染物質を糧としているのか、それとも陸に上がれない別の理由があるかは定かでないが、未だメサイアが陸で死者を出した記録は見つかっていない。
そういえばメサイアを専門とする研究チームがブラックボックス統合研究所にも発足して久しい。ウェンルーも海尊出身という事でそっちへの配属が持ち上がっていた筈だ。被害の直接及ばぬ公国が動き出したという事は、やはり余程の事なのだろう。

『懸念事項その1はそのまんまメサイアね。それからその2は、やっぱり最近増えまくってる政府の調査船、それから共和国の船が領海侵犯しまくってるって噂なの』
『侵犯?そっちもメサイアの観測船がほとんどだろ?』
『それがねぇ、共和国の軍艦も厄介だけど帝国の指名手配犯追っかけクルーがちらほら出てきたみたいよ〜』

指名手配犯。検問には引っかからなかったにせよ、政府の動向はやはり早い。

『ディーンさん、ウェンルーの首にはどれくらいかかってるんですか』
『信じたくないけど実はね、このタヌキボーイが全く足ついてなかった代わりにあんたが最新ナンバーの指名手配犯だったりするの〜。ちょっと信じられる?あんたみたいなチビっ子が出世しちゃって!ンも〜あたし感激しちゃったわ!』

ウェンルーまで「やべえ、先越されたって事?」とはやし立てるが、少なくともそれは転落であって出世とは言わない。この顔ぶれは相変わらず過ぎる。頭痛のする頭を押さえながら共和国の武装船も義眼搭載のレーダーに観測対象として登録しておいた。
なんだかんだで最近逮捕された指名手配犯の話で盛り上がる。しかし、またディーンさんが似合わぬため息で会話に待ったをかけた。

『共和国だってメサイアの被害が馬鹿にならないでしょうに、停戦どころかわざわざ危険な海域に突っ込んでくるなんてどうかしてるわ〜…』
『何、姉御、レジスタンスでブイブイかましてる割に戦争嫌いなの?戦争で世の中混乱してた方が動きやすいんじゃね』
『うっさいわね、このマセガキ。1回でも前線に出てみなさいよ、ジャックだって持ち直すのにずいっぶん時間かかったんだから』
『ああー、納得ー』
『ウェンルー、殴るぞ』

ウェンルーのアイコンがパッと白旗のアニメーションに変化した。網膜の中でチラチラと白いハンカチだかタオルだかが揺れてやかましい。昨日からこいつには散々むかっ腹を立てていたので、降伏は受理しない事にする。

『やべ、お前マジだろ』
『…あんた達ね、寝不足の女の子が初めて船に乗ったらまずどうすると思う?』
『あん?決まってるさ、船酔いからの寝ゲロ予防にイデデデデ』
『お腹に優しいブランチを食べさせるのよ!ジャックはドーリィ起こして一緒に上がってらっしゃい!』

言うや否や、俺達の部屋にまで食べ物の匂いが降りて来た。ディーンさんの口癖が今度は生身の鼓膜を震わせる。

「世界を平和にしたかったらね、あたしから包丁と自動小銃を取り上げない事よ!」



二段ベッドは然程大きくはない。多少背伸びすれば十分彼女の様子が見える。ゆっくりとした呼吸。うんと伸びをしたドーリィはどこか虚空を見つめている。

「ごめん、うるさかったろ。バイザーが今の通信を受信してたのに気付かなかった」
「<…ブランチって、何?>」
「朝昼兼用の食事の事。美味しいよ」
「<指名手配って>」
「覚悟はしてたさ。残念ながら君は登録されてなかった」

枕もとのバイザーが彼女の脳波を読み取り、人工音声で何か囁いている。ごにょごにょと、本人も伝えるべきか迷う内容をアウトプットしているのだろう。

「何でも言ってくれて構わないよ」
「<…外の世界は色んな物があるね>」
「そうだな。でも俺だって知らない世界の方が広い」
「<例えば?>」
「基本的に海での暮らしは得意じゃない。元は空軍に所属していたからかな」

バイザーのノイズが徐々におさまり、うつ伏せになったドーリィが仕上げとばかりに背のエラをうんと伸ばした。本当に桃色の羽根のようだ。あまり出し入れしていては乾燥しないのか心配ではある。

「<私も、船に乗るの初めて>」

魚のキメラなのにね、と彼女は笑った。



「はーい、そっちはサイボーグ用だぜ、お魚ちゃん」

ウェンルーのふざけ方の憎らしい事。今だとばかりに俺はウェンルーの脳天を叩いた。

「俺の最大の武器に何をするか!」
「チョキで殴らなかっただけ良いだろ」
「は?チョキ?」
「頭蓋に指で穴を空けるってサイボーグ・ジョークよん、あたしもやろうと思ったら出来るけど」
「姉御!?あんた電脳以外生身だろ!?俺そんなヤバイ奴らに囲まれてんの!」
「あんたが一番ヤバイってえの!」

起き抜けにこのザマ、と俺は呆れる他なかったが、ドーリィは元より乏しい表情を最大限に緩ませている。
試しにドーリィの前に広げられた彩り豊かな一皿を走査してみた。

『成分:マイクロマシン、他、人工タンパク質、難溶性ミネラル、潤滑促進剤…』

サイボーグ食。見た目がその他の料理と全く見分けがつかない辺りはディーンさんの腕っぷしを感じさせる。ウェンルーはわいわい騒がしく料理にスプーンを突っ込んだが、一口食べた途端に大人しくなった。やり合っていたディーンさんが勝ち誇ったようにウインクする。

「ドーリィ、俺の分も味見するだろ?」

キメラの少女は楽しげだ。銀の破顔が眩しい。日の光を浴びて彼女の薄いオブラートのような鱗はキラキラと瞬き、飴細工を敷き詰めたように美しかった。うんうんと頷く度に彼女の銀髪がふわふわ揺れて、

「美味しいわよ〜、ポルチーニのキッシュに温野菜サラダ、タジン風スープは船が揺れない内に早めに食べちゃいなさいね」

見惚れていたのがバレたのか、俺はがっしりと肩を掴まれ席に仕舞いこまれた。スパイスを揃えるだけでも一苦労だろうに、古今東西の料理から良いとこどりを尽くしたような品々はいつ見ても圧巻だ。サイボーグ用のスープをひと匙口に含んだドーリィもみるみる内に緊張をほぐしていくのが見える。

しかし。

「船の上でこんなに色々と食べさせてもらえるとは思いませんでした」
「そりゃあそうでしょ?娯楽が少ない船の上で何するかって言ったら料理に決まってるじゃない〜。それにあんた達にはしっかり働いてもらわないと…」

ディーンさんの口がはたと引き結ばれた。一気に表情が険しくなり、戦地で何度も見た武人のそれに変わる。
全員が押し黙った。俺が瞳の色を忙しなく変えているせいだ。目まぐるしくモードを切り替えるとどうしても、俺のような量産型の義眼は顔色に出る、もとい目の色に出る。

『索敵:パッシヴ方式・Sバンド…異常ナシ』
『索敵:パッシヴ方式・フェーズド・アレイ…異常ナシ』
『索敵:船舶付属のソナーに接続します…』

「どうしたの、追手?」
「かもしれません。気のせいかもしれないが、義眼の挙動が少し…」

言うや否や、目玉がそのまま飛び出すかと思うような重い衝撃が神経に走った。痛みというよりも凄まじい圧迫感だ。
よろめいた俺を支える手を感じた。細く冷たい手。


『バイタルサイン:ドーリィ』


「ジャック、義眼の機能を抑えろ!妨害電波が強過ぎる!」

ウェンルーが叫びながら船室を飛び出す。モニタ・ルームに向かうつもりだ。ドーリィが手早く料理の蓋を閉めて余計な混乱を防ぐ。
ディーンがばしんと俺達の肩を叩いて操舵室へ急ぐ。然程大きな船で無いにせよ、レジスタンスが使い込んだ船だ。有事も想定しての実用性だろうが、こんなに早くそれを活用せねばならなくなるとは思わなかった。

操舵室からドスのきいた怒号が轟いた。

「全く何よ、冗談じゃないわ」

やっと視界が利くようになり、間近にドーリィの引き締まった顔を臨む事ができた。彼女の顔にはどうしてだか恐怖は見えない。ただ俺を全身で庇おうと、細く白い身体は一心に張りつめている。

冗談じゃない。機能を最低限に抑えてもセンサーがアラートをかき鳴らす『危険』がすぐそこに迫っていた。

「<メサイア>」

船が大きく上へ下へと揺さぶられる。
ドーリィのバイザーに、旧時代の聖書と相違ない綴りでそれは表示された。

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