第12話・歪の内にて







ディーンさんはまじまじと俺を見つめた。観察、と言った方が正しいかもしれない。お互い軍を離れて以来、もとい、俺が研究所に所属して以来ほぼ交友が無かったのだが、その空白さえこの人を前にすると丸見え、のような気がしてならない。

「あんたねえ…」

ディーンさんはショットに注いだ酒をあおった。こちらにまできつい酒精の匂いが漂ってくる。もう少し真面目に話を聞いては貰えないものかと、俺は叶わぬ願いを心の内で反芻した。研究所に来て以来、俺の周りは叶わぬもの、適わぬものでいっぱいだ。

「あたしは遂に、あんたもあたしたちみたいに『上物』をさらってきたのかってガッカリしたとこだったのよ。それが何?要は逃亡の手助けをしろってえの?むしろそっちの方が願い下げだわねえ。あたしがどんだけおっかない奴なのか、軍でつるんでた時にあんたにはしこたまブッ込んでやったじゃないの」

要はお互いに考えるところが多過ぎる。どうしたものかと双方探り合いに勤しんだ。その間にもドーリィが茶を飲み込む音が室内にこだまする。こんこんむせてカップの扱いにも困っているようだった。猫舌だったらしい。

「帝国の国民として今までぬるま湯に浸かってきた事は認めます。前線に立たされたのも貴方達移民だった。でもこれはチャンスかもしれない。移民の肩を全面的に持つのは現実的じゃないし、共和国との全面戦争の火種はくすぶったままだけども、せめて南方の戦争を止める足掛けには…」
「そーゆー湿気た話してんじゃなーいーの。お子ちゃまが何をスケールのでかい事ぶち上げてんのかしらねえ、分かってんでしょ?どんなお国のちびっ子だってあっぶない目に遭わせるのはあたし達『プルゴ・グラディウス』のポリシーに反するのよん。子供はもうちょい安全な所でぬくぬくして、火薬臭いこたぁ大人に任せなさいな」
「ポリシーなんてあったんですか」
「るっさい!」
「痛いです」

俺はいよいよ頭がぽろっと外れるんじゃないかと、サイボーグと生身の継ぎ目をさすった。ディーンさんはカラカラ笑って酒をよこすが、本当なら俺とディーンさんは異国民、もっと言うなら帝国民と諸外国民という大きな壁を隔てて暮してきた。皮肉にも、同じ所属部隊に配属されてその壁を超え、今、こうして酒を酌み交わすまでに落ち着いたのだが。俺は戦地で絶望を引きずりながらも恵まれているのだ。

どこの国にも移民は溢れ、民族と民族は絶えず何かのわだかまり、しこり、一物を背に隠して何とか暮している。それがほぼ普遍的な国の在り方だと聞かされたのはいつの事だったか。俺の場合は軍に志願し、生身の身体を売り払って飛び込んだ戦地での巡り合わせによるところが大きい。
兵士を育てる、そのプロセスには本来多大な費用、甚大な労力、膨大な知力を要するものだから、国全体で白羽の矢が立った若者は数の上では希少であり、ある意味名誉。そう捉える時代もあった。まあ軽く20年か30年昔の話である。今はというと、本当のところは俺も世間というものを把握し切れていないので、俺の話が全て非ならざるもの、とは思わないでほしい。
言うなれば、徴兵されない方がラッキーな部類の世の中だ。数合わせなんて規模の話でなくて、老若男女が施術を受け、改造され、量産型のサイボーグとして捨て身の兵隊へ仕立てられていく。メディアでは大っぴらに喧伝される事はないが、金に困った貧民の行く末はサイボーグと噂される程度には、この国で影を落としていると聞く。
俺とて余り現実を受け止めたくはないのだ。その資材はどこから手に入れるかと言えば海中遺跡をサルベージして日銭を稼ぐ海遊民族づてだったり、帝国につく諸外国からの供給であったり、死んだサイボーグからの再利用であったり。泥沼だ。
それに、ただでさえ景気の良くない社会は兵士達を厚遇する事などない。ぎりぎりのラインを保持するだけで精一杯のこの国を知ってか知らずか、ここ最近軍事力を増強してより強力になった海向こうの『共和国』はいよいよ攻勢を緩めない。

俺もそれを知り、国を守る為、柔らかく脆い身体を機械にすげ替えて自ら徴兵された。
ただあの頃は妹の安寧を壊される可能性を潰したい一心だった。その引き換えに知らされたのがこの、知って後悔するような世界情勢の「本当」だったわけだ。

つまるところ、旧時代の大戦により遺された汚染は未だ甚大で、ディーンさんを含む一族『砂塵』の故郷も含め、この国と比べれば余りにも居住に適う土地が少なく、異国と帝国の間に並々ならぬ確執が渦巻いて久しい。
というのも、あの『箱』、仕組みはおろか全貌すら誰も目にした事のない遺物、ブラックボックスがこの国の清浄化をほぼ担っているからだ。これはアンジュさんから聞かされた、もとい、送られた資料で読んだ事実である。無論、汚染を軽減するシステムは先人達により大戦後に構築され、今も必死に世界の為に働いている。ただその稼働には複雑な基盤が不可欠であり、その多くは長い時間を経て大半が失われた。無理に解体されて略奪されその日をしのぐ為の資源とされたのが主な原因だそうだが、大戦による爪痕は先人を許しはしなかったのだ。
そして旧時代の遺産であるブラックボックスによりこの帝国、ひいては現在『良家』が住まう地域のみが、その清浄化の恩恵に預かる形で現在慎ましくも歪な世界情勢を支えているのである。

歪。この国が抱えている歪みはそれだけではない。実際は『良家』の者達が牛耳る地区こそ、先人が復興の拠点としたコロニーを土台とし発展を遂げた、言わば世界一清涼な土地、世界で1番の一等地なのである。
帝国と隣接する割には『良家』のルーツに東端系が多い事実にも不条理な事情が見え隠れする。準一等地たる帝国出身の自分とて納得がいかない。移民であるディーンさんや海尊出身者、果ては俺達が長らく対峙している海向こうの国々の住民は尚の事だ。
しかし『良家』はコロニーを基盤としてきただけあって、数多くの著名な技術者を輩出しブラックボックスの稼働を支えている為に、権力の礎を今も謳歌し続け世界を臨んでいる。
15世紀の間、「良家が世界を支えている」と皆が納得を強いられていたわけだが、しかし『東端』といえばこの帝国より最も遠い極東の島国を指す異称である。本来の国名は史実にも遺されていない。
彼の国の技術力、管理体制、国民性、文化、全ては完璧だったそうだ。完璧で半永久的な持続可能性を秘めていたと。あの汚染環境下においてもなお、国の機能を持続して戦後直後は覇権を極めたというのだから、ここまでくると眉唾も甚だしいし、現にその国が領土としていた地は現在、海の底だ。
言うなれば、あまりにも完璧が過ぎる余りに完結を急いでしまい、今じゃあ幻の国になってしまった。もう見る影もないのだという。
『良家』がドレスのようにそんなおとぎ話を語り継いで、あっという間に15世紀が経った。亡国の末裔はこの上にまだ伝奇を紡ごうと、今も世界一清い土地を占有する。

俺がそのような後ろ暗い歴史を聞かされたのは軍で、正確にはディーンさんにこっそりと、であった。この国ではそんな戦争史は教科書から抹消されている。それを教えて尚、ディーンさんは何かと俺の世話を焼いてくれている。始めこそ、いや、今でも多少警戒の対象である彼女だが、今は利用させてもらう他はないだろう。
知っている事を知っている。それだけでも罪に問われるのがこの国の、いや、『良家』がバックグラウンドに深く入り込んだ帝国の実情だ。信じられるものの方が恐らく少ない。

未だ世界に汚泥はうずたかく積もっては崩れ落ちる。そのサイクルの中で苦しむ者、甘い汁をしこたま吸い上げる者、サイクルにあぶれて何処かへと消えていく者、汚泥に押し流される者。戦地で俺は世界の、今まで生きてきた狭い世界の向こうで不気味に蠢くサイクルを、歪に循環する輪を垣間見た。
ドーリィは?この輪の産物であるキメラ。いったいこの世界で何を背負うべき作られたのだろう。これはあの白衣の男はこの娘に何を背負わせたのだろうか、とも言い換えられる謎であり、地図の上で未だ不気味に踊る彼からのメッセージを消去できない原因でもある。

「ところで、この子の『利用方法』、具体的には解剖だか解析だかの事を言ってるんなら、今ここであんたのその甘い脳みそこねくり回すわよ」

ディーンさんを包む空気は厳しく剣呑だ。先ほどとはまるで別人と言って良い。レジスタンスの一端を担い、海尊街というるつぼで拳と威厳を振るう女怪の顔だ。いよいよ俺に退く道はない。

「中東部まで、正確には国境を越えて砂塵の一族が治める地域までこの子を連れていけば、政府からの追手も迂闊な真似はできないはずだ。それから生かしたまま脅しに使えば良い」
「脅し?脅しって言ったわね?研究所でずる賢い真似して覚えたんじゃないでしょうね、あんたが脅しだなんて。言っとくけどね、あんた達が考えてるよりこっちは万倍もえげつない事やってんの。誰がこの子を生かしたまま連れてくって約束できる?」
「俺が彼女の命を保障する盾になる」

熱い茶を持て余していたドーリィがほんの少し目を丸くした。俺の決めた事だから、結局は電話越しに泣く妹との約束を果たすべく俺が勝手をしでかしているだけなのだから、今ドーリィに決定権を与えては余計に話がこじれてしまう。申し訳なく思わないでもないが、ここ数日の間に俺が学んだやり方だ。
我を通す。
数多の思惑が縦横無尽に俺達の足元を掬おうと蠢く中、より多くの願い、いや、欲を勝ち得る為にはこれに尽きる。少なくとも俺はそう信じている。
でも、現実はそう甘くない事だって分かってる。信じている今この瞬間も、戦友であるディーンさんを前にしては尚更、戦地で見てきたモノクロの同僚達が影となって俺の脳を冷やそうと、俺の魂みたいな物を手繰っている。そんな気がした。
戦争はやはり、怖かったのだ。今になってその余韻に感じ入る。そんな暇はないというのに、あの白衣の男の浮かべるうすら笑いが思い出され、それは前線で機体に乗り込む同僚達との別れと途方もなくだぶった。皆同じ顔をしていた。冗談でも何でもなく、掴まれた人工の腕が凍っていく様子を生々しく思い出して気分が沈む。

「<ジャック>」
「どうしたの、ドーリィ」

掴まれた方の腕を、水族館で嫌というほど海水を浴びて未だ湿気っている衣服越しにつつかれた。ドーリィのバイザーで無機の権化である筈のテロップが次第に温度を帯びていくようだった。

「心配ないよ。俺が何とかする。君を守るように頼まれたんだ、何だってやるさ」

俺は忍び寄る影を酒もろとも飲み込んだ。ドーリィは相変わらず表情に乏しいままだが、何か言いたげにバイザーを明滅させて俺から目を逸らさない。

「正直、今の政府はあの研究所と癒着が進んでいて何をやらかしても不思議じゃない。それはディーンさんなら俺より良く知っている筈だ。だから、」
「黙んなさい」

地獄の底が扉を開け放ったのかと思うような、感情のこもらない一言だった。戦地でも度々聞いた声だ。思わず震えが走る。

「ドーリィ、あんた、どうしたいの」
「<ディーンさん>」
「あたしはあんたの言葉が聞きたい。声が出せなくたって、あんたの目はキチンと輝いてる。何かを話そうって、打ち明けようって光ってるわ。あんたの事を聞かせてくれたら、そうね、スムージー、もう1杯オマケしたげるわ」

ドーリィまで縮こまってやしないかと、咄嗟に彼女の顔を覗き込んだが俺はディーンさんに今度こそ本気の鉄拳を食らった。昔からそうだ。この人は拳でみんな解決してしまう。何度ぶっ飛ばされた事か分からないが、今俺が生きているのはおよそディーンさんのおかげだ。

「<きっと、今一番伝えないといけない事、1つだけ>」
「あるのね?言っちゃいなさいな。あたしもあんたに言う事沢山あるのよ」
「<例えば?>」
「あんたが政府のスパイじゃないか、とかね」

ディーンさんはドーリィのバイザーをそっと外してテーブルに置いた。バイザーの遠隔操作はどうやら滞りないようだ。ドーリィのオパールのような美しい銀の目が一際輝く。
ディーンさんがバイザーを突いてじっとドーリィを見据えた。ドーリィもバイザーのアンテナをそっと、壊れ物を扱うかのように伸ばし、そして俺の手を手繰り寄せた。

「ドーリィ?」
「<次に被験体にされるのは私だった。パパは私が最高傑作だって言ってた>」

店裏の、狭苦しくて煙草の匂いが染みつくその部屋は、長い沈黙に包まれた。


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