関心を引く男 .1



 ある朝、由乃 凛の住む家のなかで、ちょっと不思議なことが起こった。


 事の発端は、早朝六時にさかのぼる。


 いつも通り郵便物の回収を行った凛は、ふと新聞の朝刊に目をとめた。一面記事に大きなモノクロ写真があり、一人の男が写っている。肘あたりまで伸びた髪はもつれ、頬はひどく痩せこけ、あまり生気が感じられない。ただ、暗く落ち窪んだ眼窩の奥に光る目だけが、ギラギラと彼の「生」を主張している。


 見出しには「凶悪な殺人犯 シリウス・ブラック、アズカバンから脱獄」とあった。それを読んで、凛は瞬く。アズカバンから脱獄だなんて、聞いたことがない……。新聞記事も同様の旨を述べており、イギリスの魔法省も大騒ぎのようだった。


 大変そうだなぁ。英国魔法省に対して他人事じみた感想を抱き、凛は新聞を折り畳み、踵を返す。それより、ひとまず朝食をつくらなければ。


 その後、出来上がった食事を凛がセットしていたとき、リビングのドアが開いた。スイだろうかと顔を向けて、凛は目を丸くした。スイではなく、夏芽だった。作業に区切りがついたのか、自発的に部屋から出てきたらしい。


「おはようございます、母さん」


「……ああ」


 頬を緩ませた凛が挨拶すると、気だるげな目が向けられた。しかし、すぐに興味を失ったようで、視線が流れていく。そして、テーブルの上に置いてある新聞へと、夏芽の目がとまった。


「………」


 瞬きをしたあと、無言で夏芽が手を伸ばした。新聞を広げ、一面の写真を見つめる。写真の周りにある文字を読んでいく目が、ほんの少しだけ伏せられた。


 そんな母親の姿を見て、凛はぱちくり瞬いた。夏芽が興味を示すなんて珍しい……。いつもなら、魔法大臣やらマーリン勲一等を受章した者やらが載っていたとしても、まったくの無関心を貫くというのに。


 しげしげと夏芽を観察する凛の耳に、ドアが再び開く音が届いた。目を向けると、今度こそスイが入ってきた。寝足りない様子のスイは、欠伸を噛み殺してテーブルの上に上がり、向かいの夏芽を見て目を丸くする。


「……あのひと、どうしたのさ。微動だにしないけど」


「よく分からないけど、新聞に載ってる写真を見つめてる」


「写真? 何の?」


「脱獄した男の人の写真。たしか名前は、」


 シリウス・ブラック。


 凛が呟くと、スイが息を詰める。同時に、凛は夏芽と目が合っていることに気づいた。凛の声を拾った夏芽が、一瞬で視線を凛に向けたのだ。感情を見出せない真っ黒な瞳が、凛の目を見据える。


「………」


 三秒ほどして、夏芽は瞬きと同時に視線を移す。再び新聞を見つめたあと、おもむろに新聞を畳んだ。文字の面しか見えなくなったそれをテーブルに置いて、椅子を引き、腰を下ろす。


「塩を寄越せ」


「え……っあ、はい!」


 無愛想に要求する夏芽に、凛が一拍遅れて返事をした。目当てのものを受け取って目玉焼きにかけ、夏芽は箸を手に取り、一人さっさと食事を始める。凛も慌てて席に着いた。


「……」


 いまの視線は、いったいなんだったのだろうか。スイは、しばらく胡乱な眼差しを夏芽に注いでいたが、相手が完全に無反応であるので、諦めて食事に手をつけた。



→ (2)


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