吸魂鬼のキス (3)



 甲高い鳴き声が、急に止んだ。湖の畔に辿り着いた二人は、それが何故なのかを目撃した。ブラックは人の姿に戻っていた。うずくまり、両手で頭を抱えている。


「やめろぉおお………」


 呻くブラックの視線の先を見て、リンは息を呑んで、思わず後ずさる。隣にいるハリーも、凍りついた。


 吸魂鬼だ。少なくとも百人が、真っ黒な塊になって、湖の周りから滑るように近づいてくる。リンは胸元のローブを握り締めた。あの氷のように冷たい感覚が、身体の芯を貫き、目の前が霧のように霞んできた。


 四方八方の闇の中から、次々と吸魂鬼が現れてくる。三人を包囲している……。


「リン、なにか幸せなことを考えるんだ!」


 ハリーが叫んで、杖を上げる。


「エクスペクト・パトローナム!」


 頭の中で、断末魔の叫びが響く。それを振り払うように頭〔かぶり〕を振って、リンは杖を取り出した。正面の吸魂鬼に、杖先を向ける。


「……エクスペクト・パトローナム!」


 杖先から、銀色のものが一筋流れ出て、目の前に霞のように漂った。ダメだ。唇を噛むリンの方へ、吸魂鬼が近づいてくる。もう三メートルと離れていない。


「エクスペクト・パトローナム!」


 ハリーが再び叫んだ。その声に重なるように、雷鳴が耳の奥で弾ける。ギュッと杖を握り締め、リンは吸魂鬼を睨みつけた。ヒュオッと風が空気を引き裂く。吸魂鬼が少し動きを止めた。


「エクスペクト ――― エクス ――― 」


 隣のハリーが息を引き攣らせた気配を感じて、リンは一瞬そちらに気を取られた ――― そして、それが命取りだった。


「 ――― ひ……っ!」


 べっとりとした冷たいものが、リンの首にガッチリと巻きついた。硬直したリンの顔が、無理やり仰向けにされる。目の前に現れた“それ”に、リンは声にならない悲鳴を上げた。


 この世のものとは思えない不気味なものが、そこにあった。自分の生気を吸い取られているような感覚に、リンは、“それ”がフードを脱いだ吸魂鬼であると、直観的に悟った。


「……っあ……」


 ガタガタと、冷え切った身体が震える。腐ったような息が顔にかかっているのに、もはや吐き気すら出てこない。やがて震えも止まってしまった。耳元で“あの日”聞いた冷たい声が反響する ――― 。


 母さん。


 リンが強く想ったときだった。リンをすっぽり包み込んでいる、重く冷たい霧を貫いて、銀色の光が見えたような気がした。


 ……いや、気のせいでは、ない。それは、だんだん強く、明るくなっていく。リンは、自分の身体が草の上に落ちるのを感じた。


 クラクラする頭で、状況を判断しようと思考し、リンは震えながら目を開けた。目も眩〔くら〕むような光が、辺りの草むらを照らしていた……耳の奥の声が消え、冷気も徐々に退いていく………。


 なにかが、吸魂鬼を追い払っている。なにかが、ブラック、ハリー、リンの周りをグルグル回っている。ザーザーという吸魂鬼の息が次第に消えていく。吸魂鬼が去り、暖かさが戻ってくる……。


 薄暗くなっていく視界で、リンは、湖を疾駆していく動物と、空を切って飛翔していく動物を見た。その姿が何なのかを見極めようとしたところで、リンの視界は、黒く染まった。



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