失礼しますと礼をして、リンはスラグホーンの部屋を出た。やっと解放されたと息をついたところで、近くにある気配に気がつき、振り返った。

「お疲れさまです、リン」

「……やぁ、リドル。こんな時間にこんなところで会うなんて奇遇だね」

「リンがスラグホーンに呼ばれていると情報を得て、待ち伏せしてたんですよ」

 にっこりと人受けのよい笑顔で、トム・リドルは言った。リンの言葉にこめられた皮肉に気づいたうえでそんな態度を取るのだから、けっこう性格がよろしくないやつである。リンは溜め息を押し殺した。

「待ち伏せって、何のために?」

「慕う先輩に会いにきた。それが理由ではいけませんか?」

 リドルが小さく首を傾げ、さらりと彼の髪が揺れた。そこらの女子生徒たちが思わず意識を飛ばしてしまいそうな光景だが、リンにはとくに効果はない。溜め息混じりに「そう」と返し、すたすたと歩き始める。

「リン? どちらへ?」

「寮に帰るだけだよ」

「ご一緒しても?」

「だめに決まってるでしょう、君はハッフルパフ生じゃないんだから」

 呆れ顔でリンが言うと、リドルは小さく舌打ちをした。いや舌打ちされてもとリンはさらに呆れる。この後輩は何に不満を抱いているんだ。

「……では、リン、寮まで送ります」

 妥協した風情のリドルが笑みを浮かべた。あしらったところで彼が諦めるものでもないと学んでいるリンは、歩く速度を緩めずに「好きにすれば」と返した。

「いやに歩くのが速いですね、リン。疲れませんか? せっかく後輩と並んで歩いてるんですし、ペースを落としたらどうですか?」

「早歩きでも問題ないでしょう、君のほうが歩幅は大きいんだし」

「歩くぶんには支障はありませんが、話すのに不都合です。これじゃあ会話を楽しめない」

「知らない」

 リンとしては、さっさと彼から離れたいのである。できればとくに会話もしない感じで。何かと食いついてくるリドルは対応が面倒なのだ。

「……リン」

 大広間のドアの前を通り過ぎようとしたとき、不意にリドルがリンの手首を掴んだ。そのまま彼が足を止めたせいで、リンの身体も停止せざるを得なかった。

「リドル? なに、」

「スラグホーン先生とは何を話してたんですか?」

 いまさらな質問だ。思わずきょとんとしてしまう。一方のリドルは、真剣な表情をしてリンを見つめていた。

「就職先の斡旋、ですか?」

「……まぁ、うん。もう七年生だもの」

 曖昧な肯定になってしまうのは仕方ない。スラグホーンが薦めてくる職業がリンの好みに合わないのだ。魔法省やクィディッチのプロチームに入りたいとは思わない。

 とくに魔法省を熱心に推してくるスラグホーンをどう諦めさせようか……。悩んでいたリンは、手首に強い圧迫を感じて顔を上げ、目を瞠った。

 リドルが、眉を寄せて唇を噛みしめていた。切なげ、とでも言うべきか。珍しく瞳が揺れていた。呆然とするリンの顔から、リドルはゆっくり静かに視線を落とす。

「……リンが頭の悪いひとだったらよかったのに」

「………、喧嘩を売ってるの?」

「出来が悪ければ、留年して来年も残ってくれたかもしれない」

「ホグワーツには留年の制度はない気がするけど……聞いたことないし……」

「じゃあ僕と結婚しろ」

「ぶっ飛びすぎだろ落ち着けよ、っていうか敬語どこやった」

 思わぬ言葉をぶつけられ、まじめにツッコミを入れてしまう。付き合ってすらいないというのに、いきなり結婚だと。思考回路どうなってるんだ。

「ぶっ飛んでなんかない。いままで何度も気持ちを伝えてる。まともに受け取ってないのはリンのほうだ」

「………私、君に好きだなんて言われた覚えないけど」

「あなたを慕ってると常日頃から言ってるだろう!」

「……憧れとか友愛的な意味で言ってるんだと思ってた」

「馬鹿か!」

「だれが馬鹿だよ! 君の言い方がまぎらわしいせいだろ、馬鹿!」

 つい怒鳴り返したところで、はたと我に返る。後輩相手に相当ガキっぽくないか、自分……。さすがに馬鹿とキレ返すのはまずかったかと反省するリンを、リドルが唐突に引き寄せた。

 ぎゅうと抱きしめられて、リンはぴしりと硬直する。顔に熱が集まるのが分かる。引き離そうと彼の服へと手を伸ばしたとき、リドルが口を開いた。

「……不思議だ」

 ほんとうに不思議がっている声音だった。まるで子どもみたいな。リンは思わず手を止めて「……なにが」と尋ねる。リドルは腕の力を強めた。

「あなたが」

「……どういう意味」

「あなたは、いつも僕に衝撃を与えては、僕を壊して作り変える」

 ……壊す? 作り変える? なんて表現をするのか、こいつは。意味を掴みあぐねて困惑するリンをよそに、リドルは続ける。

「自分以外のだれかを気に入るなんて、あり得ないと思ってた。嫌いでたまらない自分の名前も、たったひとりの人間に名前を呼ばれるだけで、悪くないかと思ってしまうことも。だれかとの会話を楽しく感じることも。他人の体温を心地よく思うことも。ぜんぶ、想像もしてなかった」

 ぱちりと瞬いて、リンは、そっとリドルの背中に腕を回した。ぴくりと跳ねた彼の身体を、ポンポンと叩いてみる。「……子ども扱いするな」と渋い声が頭上から降ってくるが、無視だ。

「私はリドルを壊して作り変えたりなんかしてないよ……リドルが自分で殻を破って成長してるんだ」

 笑いながら言うリンに、リドルは数秒の沈黙のあとフンと鼻を鳴らした。顔を見られないようにか、リンの頭を自分の胸元に押しつける。

「……それで、あなたは僕のものになってくれるのか」

「えっ、あ、えっと……考えておく」

「僕を撥ねつけたら、闇の帝王になって暗黒の時代をつくってやるからな」

「脅すな。敬語使え。それから、いい加減に離せ」

 ぐいぐい服を引っ張るリンの頭を押さえたまま、リドルは幸せそうに「いやです」と笑ったのだが、当然、リンの目には入らなかった。



**あとがき**
 夜空様リクエスト“世界IFで世界主がリドルの時代に生まれてリドルにプロポーズされる話”でした。「付き合っていてでも付き合っていないのにいきなりプロポーズでもいい」とのことでしたので、付き合っていないほうで書きました。告白みたいな感じになってますが。
 敬語で猫かぶりなリドルもいいけど、敬語が取れて生意気(俺様?)なリドルもすてきな気がする。人間味がある。リドルが愛を知ったら、誰よりもダンブルドアが喜ぶと思います。



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