「愛妻弁当なるものを食べてみたい」


「………」


 いきなり夫が発した言葉に、リンはぱちくり瞬いた。とりあえず持っていた食器をテーブルの上に安全に置き、それから夫を見た。


「……唐突だね、セオドール」


「ああ。いまはじめて口に出したから、リンがそう感じるのも無理はないと思う」


 ……いや、そんなまじめにレスポンスを返されても困るのだが。神妙に頷いたセオドールを見て、リンは思った。天然ボケは対応に困る。


「どうして愛妻弁当を食べたいの? というか、どこで知ったの、そんな言葉」


「ケイとヒロトが教えてくれた。妻の愛情がこめられた、働く男の昼食だと」


 あの二人は何を吹き込んでいるのだろう。リンは呆れとほんの少しの苛立ちを感じた。溜め息をこぼして、セオドールを見る。


「職場では食堂で昼食が用意されてるんでしょう? 弁当なんて必要ないじゃない」


「リンの手料理のほうが、僕は好きだ。三食すべてにおいて君の手料理を味わいたいと心底願ってるほどに」


 スパッと言ってくるセオドールに、リンは頬を薄く染めた。自分より屋敷しもべ妖精のほうがずっと料理の腕が良いというのに、このひとは。


「……でも、お弁当なんて、あなたには馴染みがないんじゃない? 魔法族の貴族出身だもの」


「たしかに馴染みはない。だけど、べつに気にしない。純血主義はリンと出会ってから捨てたし、魅力的なものなら、マグルの文化から取り入れるのも悪くない」


 淡々と述べるセオドールを前に、リンは感慨深くなった。生粋の純血主義の家に生まれた者でも、そんな風に考えられるんだなぁと。……いや、そういえばシリウスがいたか。生粋の純血主義貴族出身でありながら親マグルの価値観を持った人。


 やっぱり、ひとはどこに生まれるかではなく、どう生きるかなのだと実感する。いまは亡きダンブルドアも、しきりにそう言っていた(らしい)。


 つらつらと思考を飛ばしていたリンの腕を、不意にセオドールが掴んだ。引き寄せられるまま、リンは、座っているセオドールの前に立つ。そこで腕が解放され、かと思えば今度は両手を取られた。


「ほかの男のことを考えられると、寂しい」


「……開心術?」


「いや。単なる男の勘」


「なにそれ、すごい」


「そんなに便利ではないさ。たいがい嫉妬の念が湧き上がってくるだけだ」


 クスクス笑うリンに曖昧に微笑んで、セオドールは頭をリンの腹部へと寄せ、額を押し当てた。リンが身体を硬直させる。彼には慣れたとはいえ、この体勢は気恥ずかしい。


「……リンはほんとうに、スキンシップが苦手だな」


 内心でわたわた焦るリンに気づいたのか、セオドールが笑った。そこで笑われると余計に心臓に悪いのだが、そのあたりは考慮してくれないらしい。伝わってくる振動に困惑しながら、リンは眉を少しだけひそめた。


「……日本人には、過度な触れ合いをする習慣はないの」


「なら、がんばって慣れてくれ」


「セオドールも抑えてよ」


「いまの時点でかなり抑えてる。これ以上は無理だ」


 淡々と言いながら、セオドールは顔を上げてリンを見上げてきた。静かな瞳がリンをとらえた途端、リンの心拍数が上がった。身体が熱くなる。自分は、下からのアングルで見つめられるのによわいのかもしれない。そう思った。


「………」


 ついと目を細めて、セオドールは左手を伸ばした。リンの頬を撫でて、そっと包み込む。空いている右手はリンの左手を取り、その薬指にあるものを撫でた。緊張するリンを見つめたまま、どことなく満足げな表情をして、セオドールは左手をリンの首裏に回した。


 ぐっと引き寄せられ、リンは身体をかがめた。セオドールの顔が近づいてくる ――― 実際にはリンの顔のほうが近づいているのだが ――― リンは目を瞑った。直後、唇に柔らかいものが触れる。何かなんて、考えなくとも分かる。


「……僕の目がカメラの撮影機能を備えていればいいのに」


 唇を離した直後、セオドールが唐突に言った。リンは思わず緊張を解いて瞬いた。セオドールの目は、食い入るようにリンを見つめたままだ。


「そうしたら、リンの恥ずかしがる姿を写真に残せる」


「………」


 リンはあえて無言で返した。ふいと顔を背けて、身体を起こす。もういい加減に昼食の用意に戻ろう。しかし踵を返しかけたところで、左手がいまだとらわれていることに気づいた。


「……セオドール」


「愛妻弁当をつくってくれるなら離す」


 まだこだわってたのか。リンは半ば呆れた。いや……記憶力に優れ、執着しやすい性質であることは、ずっと前から知っているが。


「……とりあえず一度、試験的になら」


「ありがとう」


 妥協するリンに、セオドールはうれしそうに微笑んだ。その顔を見るだけで自分もうれしくなってしまうのだから末期だと、リンは思った。


 そっと左の薬指で輝くリングに触れたあと、リンは意図せず熱くなってしまった頬が見つからないよう、急いでキッチンへと駆け込んだのであった。




**あとがき**
 かれん様リクエスト“世界の主人公でノットと結婚したお話”でした。ちょっぴり甘めに書いてみました。ノット氏が本気を出せばもっと甘ったるくなるはずですが。
 ノットと「世界」主が夫婦になったら、たぶん「世界」主がドキドキさせられる側だと思います。ボケ的な意味でもタラシ的な意味でも天然なノットとかすてき。
 彼がどこに就職するかは決めていませんが、待遇の良いところで働いてそうなイメージです。銀行(事務)とか魔法省とかいいかも。でも意外とダイアゴン横丁の小さな本屋さんあたりでもしっくりくる。



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