| (……なかなか起きてこないなぁ)
時間を確認して、リンは思った。今日はいつもより少し早く出勤しなければならないと、昨晩ご本人が言っていたのに。ふだん目覚まし時計でしっかり起床するひとだが、もしかしてセットする時間の変更を忘れたのだろうか。いやでも、そういえば……。
つらつら考えていたとき、ふと慣れ親しんだ気配を感じた。リビングのドアへとまっすぐ向かってくる。ああ、起きてきたのか。呑気に思った瞬間、ドアが勢いよく開いた。
「ね、寝坊した! リン、朝ごはん用意できてる?!」
「バッチリできてるよー」
「なんでそんな呑気に紅茶飲んでるんだよ! そんな暇あるなら起こしてよ!」
「大丈夫。まだあと四十分は余裕ある」
「は?」
きょとんと丸くなった目を促すように、ついと時計を指差す。つられて動いた目が時刻を確認して、固まった。リンは「ふふっ」と笑う。
「君の目覚まし時計、私が今朝起きたときに一時間早めておいたから」
「……ああ……そう……」
がっくりと脱力する背中を横目に、リンは椅子から立ち上がる。キッチンへと向かいながら、ふと立ち止まって、くるりと振り返った。
「おはよう、ハリー」
「……おはよ、リン」
にっこり笑うリンに面食らった顔をしたあと、ハリーも眉を下げて微笑み返したのだった。
朝食を済ませ、支度も整え。あとはもう家を出るだけという状態になり、ようやくハリーは落ち着いた。時計を見れば、まだ十五分ある。
「ったく……心臓止まるかと思ったよ」
「心臓マッサージとか電気ショックとかフル活用してきっちり蘇生してあげるから安心して」
「逆に安心できない。あとマジレス腹立つ」
「あら、私の旦那様ったらひどい毒舌家」
ふざけ気味に言うリンの表情はかなり楽しげだ。明らかに傷ついていない。むしろハリーの心がやられた。「私の旦那様」って響き、いい。やばい顔がにやける。
緩む顔を隠すために咳払いをして、ハリーはリンに背を向けた。リビングの壁際に置かれているベビーベッドへと歩いていき、ベッドを覗き込む。赤ん坊が一人、すやすや眠っていた。娘のリリーである。
「まだ寝てるよ?」
「知ってるよ。寝顔が見たいだけ」
「抱っこする?」
「する」
即答すれば、一拍おいてリンがクスクスと笑った。ひょいとハリーの横から手を伸ばして、小さな身体を抱き上げる。その動作を見るたび、すごいなとハリーは感嘆する。ハリーはいまだ、ベッドから抱き上げるなんてできない。首の骨とか折りそうで怖い。
リンの腕のなかで、リリーがかすかに身じろぐ。リンは瞬いたあと、目を柔らかく細めて笑みを浮かべた。きれいだなあとハリーは思った。癒される。
「はい、ハリー」
「え? ……えっ?!」
いきなりリリーをパスされて、ハリーは目を剥いた。慌てて受け取ったハリーを見て、リンは呑気に「抱き方うまくなったね」と言う。マイペースすぎる。呆れつつも、ハリーは腕のなかを見下ろした。よく眠る娘は、寝顔がかわいらしい。
「……かわいい」
「ね、赤ちゃんかわいいね」
ちょんと、リンが指先でリリーの頬を軽くつついた。リリーが「んぅ」と音を発する。ハリーは内心で悶えた。一方のリンは慣れているのか、口元を手で覆って笑うだけだ。
「……ハリー、顔がすごいことになってる」
「気にしないで。あまりのかわいさについやられて」
「ね、かわいいね」
二度目のセリフを口にして、リンは幸せそうな顔でリリーを見つめて微笑む。妻と娘に殺されそうだとハリーは思った。かわいいときれいが交互に攻撃してくるなんて反則だ。とりあえず、今日仕事に行ったらロンに存分にのろけよう。
興奮が過ぎて落とす前にと、ハリーはリリーをベッドに戻した。すぴすぴ眠り続ける子の頭をそっと撫でる。
「いいかい、リリー、リンに似るんだよ。そしたら美人になれる」
「いや、リリーはリリーさんに似るんじゃないかな。すでに隔世遺伝で赤毛だし、目もアーモンド形の緑色だし、名前も一緒だし」
「……じゃあ美人になるのは確定だな。なら、頭脳がリンに似ればいい。そしたら学年主席だ」
……リリーさんも学年主席じゃなかったっけ。思ったリンだったが、言わずにおいた。言ったらハリーは落ち込むだろう。リンに似ろと懸命に言い聞かせるハリーを眺めて、リンは頬を緩めた。かわいらしいひとだ。
「……ところで、ハリー。そろそろ出勤の時間じゃないの?」
「………まだ大丈夫だ。あと一分だけ。いざとなったらリンの能力で執務室に直送してもらう」
「君ね……」
真顔で言うハリーに呆れる。だいぶ遠慮がなくなってきたな。というか、子煩悩が過ぎる。溜め息をついて、リンはハリーをベビーベッドから引き剥がした。すがるような目を向けられたが無視だ。
ハリーは諦めて、鞄を持って玄関へと歩き出した。彼はいつも「姿くらまし」で職場へ行く。いまだに「煙突飛行」が苦手だというから、不謹慎だが笑ってしまう。
「いってくるよ」
「はい。いってらっしゃい」
ハグとキスを受け入れて(さすがに慣れた)、リンは微笑んだ。ハリーは溜め息をひとつ落としたあと、リンから離れてドアを開け、数歩進んだところで「姿くらまし」した。
残像まで見送って、リンは空を見上げる。絶好の洗濯日和だ。さて今日も家事にいそしむかと気合を入れて、リンはドアを閉めた。
**あとがき** 雪梅様リクエスト“世界主で、ハリーと結婚して子供が生まれたらどんな生活をしているか”でした。 子どもの名前は変換か固定か迷った挙句、固定にしました。リリーにそっくりネタをやりたかったんです。そしたら「世界」主に似てるところがなくなったのですが。 ハリーと「世界」主の夫婦なら、主にハリーがドキドキする側かと。愛妻家だろうと思います。いつになってもときめいてそう。そして親になったら、ほのぼの子煩悩になりそうだなと思います。二人して「かわいいね」「ね、かわいいね」ってやってそう。やってもらいました。 とりあえず作品を通して仲の良さが伝わるといいなと思います。
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