「今日は聖バレンタインデーね、リン」


 二月十四日の朝、食事のため大広間へと向かう道中、ハートの記号が語尾につきそうな調子で、ハンナが言った。いま起床したばかりなのに、うっとりと夢見るような表情を浮かべている。リンは心配の色をにじませた目でハンナを見た。


「浮かれてるけど、もしかしてまだ寝ぼけてるの? それともどこか調子悪い?」


「大丈夫、しっかり正気よ……じゃなくて。浮かれて当然でしょう? だって今日は恋人の日なんだもの!」


「愛しのノットからデートの約束とか取りつけられてないの?」


 一気に覚醒したベティがニヤニヤ笑いを浮かべた。ついさっきまで寝ながら歩いていたくせに、ほんとうに恋愛話が好きなやつだ。スーザンが溜め息をつく背後で、アーニーが「え、おい、ジャス?」と後ろを振り返った。


 ほかの面々がどうかしたのかと振り向く。ジャスティンは真っ青な顔に悲愴な表情を浮かべて呆然と立ち尽くしていた。何事だと吃驚するアーニーとリンの周りで、女子陣が「あー……」と乾いた表情になる。目を覚ましたスイも「あらら」と尻尾を振った。


「……あのノットが……あいつが、今日、リンと……?」


 ぶるぶると身体をわななかせて、ジャスティンは歯を食いしばった。ギラリと殺意を含んだ視線で廊下を見渡す。その形相を見たハンナが「ひっ」とスーザンにしがみつき、スイも思わずリンのローブのフードへと潜り込んだ。怖い。


「アンタまだ現実を受け入れられてないわけ? さっさと諦めなさいよ」


 呆れ顔のベティが溜め息をついた。というか鼻で笑った。勢いよく振り返ったジャスティンは「認められるものか!!!」と吠え、そのまま長々と思いのたけをぶちまけ始める。涙目での渾身の叫びに、みんなが引いた。


 スーザンとベティが「黙らせ呪文」と「全身金縛りの呪い」をジャスティンに行使したのちアーニーとハンナが彼を支えてやるのを眺めながら、リンはどうしようかと頭を悩ませた。非常に面倒な事態になった。


 スイがもぞりとフードから出て、いちばん近くにいたスーザンの肩へと移る。つい相棒を視線で追っていたリンは、ふわりと背後から抱きしめられ、硬直した。


「……おはよう、リン」


 至近距離で発された声で、リンは背後にいる人物が誰か確信した。気配で推測していたが、間違いなくセオドールだ。頬どころか身体全体が熱くなるのを感じた。


「……お、おはよう。あの、ちょっと、離れてほしい……」


 絞り出すような声で言う。セオドールは瞬いて、抱きしめる腕を緩めた。といっても離すわけではないらしい。リンの肩をそっと掴んで身体の向きを変えさせる。俯くのが間に合わず、リンは顔を見られる羽目になった。


「……顔、赤い」


 片手の指先でリンの頬に触れて小さく笑いを漏らすセオドールに、リンは今度こそ俯いた。片頬が熱い。いま自分の顔は首まで真っ赤だろう。


 その様子をじっと見ていたスイは、不意に視界を覆われた。驚いてじたばたすれば「しー」と宥められる。身体の動きを止めて顔の向きを変えると、退散しようと友人たちに声をかけるスーザンの顔が見えた。


 浮遊呪文で運ばれていくジャスティンを哀れに思いつつ、スイは、スーザンたちとともに無音で去った。最後に振り返ってリンに無言のエールを送っておいたが、きっと気づかれていないだろう。


 一方のリンは、俯いた体勢でひたすらセオドールに髪を梳くように撫でられていた。髪に触れる手に意識を持っていかれ、友人たちの退却にはまったく気づいていない。


「……ノッ……、セオドール」


「なんだ?」


「えっと、それ、楽しい?」


「髪に指を通すことか? 個人的にはかなり気に入ってる。リンの髪はさらさらと手触りがいいし、僕の指から流れるように落ちていくさまもきれいだと思う」


「そ、そっか」


 リンとしてはそんなにきれいなものではないと思うが、美的感覚は人それぞれなので、何も言わないでおく。……それに、リンも、彼の指が自分の髪を通っていく感覚は、きらいではない。


(……なんか、改めて意識すると気恥ずかしい……)


 再び身体のなかで熱が生まれる。リンはぎゅうと目を瞑った。セオドールの指が止まる。


「……リン」


 ちょいと指先で顎を掬われ、唇同士が重なった。リンはついていけず、閉じられているセオドールの目を呆然と見つめる。いったん離れた唇が再びくっついてきたころに、ようやく事態を認識した。


「っ、ん」


 セオドールの胸元を軽く押すと、名残惜しげに唇が離された。現れた目が、じっとリンを見つめてくる。リンは赤い顔を逸らした。


「目を瞑られたから、つい。嫌だったならごめん」


「……いやでは、ないけど……心の準備が、」


「予告したらしたで、リンはキスの前に固まる気がしたんだ」


「…………」


 そんなことはないと言えない現実が悲しいと、リンは思った。気まずそうな顔をするリンを眺めて、セオドールは口元を緩める。


「バレンタインカードと花を持ってきてるんだけど、いまは時間がないから夜くらいに渡す。それでもかまわないか?」


「え、あ、うん」


「じゃあ、とりあえず朝食を食べにいこう」


「私たちテーブルちがうよ」


「僕は今日一日ハッフルパフのテーブルでリンと食事をするつもりだ。スネイプとスプラウトの許可は得てるから問題ない」


「……勇者だね、君」


 手を引かれて歩きながら、リンは呟いた。スネイプにどんな顔で宣言したんだろうか。


「問題は起こさないよう努力するけど、フィンチ-フレッチリーから呪いをかけられた場合は遠慮なく反撃する。許してくれ」


「………」


 今日の食事時間、無事に過ごせるだろうか……。一抹の不安を覚えたリンだったが、それでもセオドールと一緒に食事ができるのはうれしいと思う自分がいることに気づいてしまって、頬を染めた。




**あとがき**

 黒羽様リクエスト“「世界」主ifで、セオドールくんと恋人、又は両片思いなお話”でした。独断で恋人設定にさせていただき、また「できれば、甘め」とのことでしたので、セオドールに攻めてもらいました。甘くなっているかは自信がないです、申し訳ない……。

 彼は基本的には紳士だけど衝動のまま唐突にぐいぐい行く感じだと思います。羞恥はとくに感じない。貴族ゆえに丁寧な単語を使って直球で口説くので、見聞きする側のほうが恥ずかしがる。そんな予測不能な言動に「世界」主がたじろぐ。っていう図が理想。



Others Main Top