賢者の石をめぐる騒動から一年と少しの歳月が経過した。ヴォルデモート卿に根こそぎ奪われかけた生命力もすっかり回復し、クィレルは現在ホグワーツでマグル学の教師をしている。


 ダンブルドア曰く「一時とはいえヴォルデモートの手下になった者を世に野放しはできない」「ヴォルデモートを裏切った者として、本人あるいは死喰い人に狙われかねない」とのことで、つまり監視と保護という名目のもと、クィレルは、闇の魔術に対する防衛術の教授になる以前に就いていたマグル学の教授職に復帰したのである。


 賢者の石をめぐる騒動の内容は、一部の生徒にしか知られていない。そして、その一部を除く生徒たちは、「びびりでどもりで虚弱なクィレル先生は、スネイプ先生からの圧力に耐えられなくて胃に穴が開き、防衛術の教授をやめて一年間たっぷり療養をし、ついでにびびりとどもりまで直してきてからマグル学の教授として復帰した」という噂を鵜呑みにしている。


 いろいろとひどい内容の噂だが、とにかくスネイプに申し訳なく思った。騒動の際に迷惑をかけたことも含め謝罪に行ったところ、そういう風に顔色を窺って低姿勢で我輩に接するな噂にさらなるヒレがつくだろうがという旨を無表情の一息で言い放たれた。怖かった。


(……そういえば)


 相変わらずトレードマークとして巻いているターバンのずれを直しながら、クィレルは思案した。ヴォルデモート卿は彼のことを“下僕”と言っていたが、ほんとうのところはどうなのだろうか……。


 うーんと悩んでいると、研究室のドアがノックされた。はたと我に返り、クィレルは返事をする。ノックの音だけで、なんとなく訪問者は分かっていた。


「クィレル先生、お邪魔します」


「……失礼します」


 ふんわり笑うリンと、その背後でじとりとクィレルを睨みつける、ハリー、ロン、ハーマイオニー。そして、リンの肩に乗って手を振るかのごとく尻尾を振ってくるスイ。一行を迎え入れながら、クィレルは「いつものことだがなぜポッターたちも来るんだろう」と疑問に思った。


 授業の質問など理由をつけて訪ねてきてくれるリンに、高確率で同行してくる三人組。邪魔こそしてこないものの、始終ひたすらクィレルをガン見してくるので居心地が悪い。例の事件の真相を知る者として警戒してのことだろう。敵意を解けとは言わないが、せめて隠してほしい。こちらはすでに改心しているのだから。


「……クィレル先生、お疲れですか?」


 ちくちくと視線を感じて苛まれるクィレルの顔を、不意にリンが覗き込んだ。顔色がよくないと心配そうに言うリンに、クィレルは仄かな笑みを浮かべた。


「……いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 手を伸ばして、リンの頭をポンポンと撫でる。クィレルはこの行為にだいぶ慣れたが、リンのほうは違うらしい。いまだに緊張するのか、または照れくさいのか、頬を染めて目を伏せる。


 しかし、髪を梳くような撫で方に変えてしばらくすると、はにかんで控えめに手にすり寄ってくる。かわいらしい。変な輩〔やから〕に目をつけられないか心配だ。


 少し離れたところでハリーがクィレルを凝視して「ロリコン……」などと呟いているが、聞こえないフリをしておく。リンの髪を整えたあと、クィレルは彼女の頭から手を離して首を傾げた。


「ところで、リン、今日はどういったご用件ですか?」


「あ、えっと、参考文献を読んでいて分からないところがあって……」


 これなんですけど。そう言ってリンが見せてきたのは「マグル界における兵器の製図」という本だった。クィレルは一瞬硬直した。どう反応すべきか困ったが、とりあえずそっと本を閉じさせ、リンの両肩に手を置いて目を合わせた。


「……戦いに興味があるのですか?」


「? いえ、ただ、どういった原理でこれらの武器が殺傷能力をもつのか気になって……とくに拳銃とか、あんなに小さい弾丸なのに、」


「リン。これは、君がまだ、というか一生涯知らなくていい次元の話です。どうしても知りたければ、成人してから考えなさい」


 いつになく真剣な目のクィレルに諭され、リンは不思議そうな顔をしながらも頷いた。彼女の肩の上でスイがホッと身体の力を抜く。背後ではハーマイオニーも同じく安堵していた。


「これ以外に質問事項はありますか?」


「これだけです。ですから、あの、おいとましますね」


 これからハリーたちとハグリッドのところに行くのだと、リンは笑った。つい再び彼女の頭に手を乗せつつ、クィレルは「それはいいですね」と微笑んだ。


「楽しんできなさい……その前に、これを差し上げます」


 リンの頭を撫で、クィレルは彼女にクッキーの袋を与えた。ハグリッドの小屋で出される茶菓子にロクなものはないと、クィレルは知っている。いざとなったら食べるようにと言えば、リンはきょとんとして、おもしろそうに笑った。


「クッキーを食べなきゃならない緊急事態って、なんですか」


「あまりの空腹に襲われたらという意味です」


 羞恥心を隠すために少し強めの語気で言いながら、クィレルはリンの頭を上から軽く押さえつけた。リンが「いたっ」と笑う。クィレルもつられて笑みをこぼしたとき、離れたところから咳払いが飛んできた。


「リン、ハグリッドが待ってるよ」


「もう五分は待たせてるわ」


「早く行こう」


 ハリー、ハーマイオニー、ロンが、順に声をかけてきた。リンは我に返った風情で、慌てて三人に「ごめん」と謝り、それからクィレルを見上げてきた。


「……それじゃあ、クィレル先生、いってきます」


 ほんのり頬を染めてはにかんだリンから手を離し、クィレルは「いってらっしゃい」と彼女の背中を押して送り出した。スイを伴って友人たちと駆け出していく後ろ姿を見送って、身体の力を抜く。


(……しあわせ、とは、このことか)


 こんな風に彼女と過ごせる日々がくるなんて。そんなこと、夢にも思わなかった。生きていてよかった。そう心の底から思う。まだ彼女の温もりが残る右手を、そっと左手で触れる。


「…………」


 穏やかに空気を揺らして、クィレルは静かに目を閉じた。




**あとがき**

 匿名希望様リクエスト“"世界"ifでクィレル教授が自害せず生きていたら”でした。ほんわかした雰囲気に書けていたらいいなと思います。そして親子の団らん(じゃれ合い?)みたいな光景になっていたら、より幸いです。

 背景の説明に意外と分量を割いてしまったかなと思います。でもそこらへんが一番書いてて楽しかったです。とくに噂のあたり。スネイプごめん。クィレルもごめん。

 生きていればクィレルは教職に復帰しそうな気がします。で、マグル学を選択している「世界」主と仲良く過ごす。ヨシノの人たちやリーマスやシリウスなんて目じゃない。ハリーたちも心配して付き添うけど、影が薄くなる。



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