てくてく。効果音をつけるとすれば、そんな感じ。十二歳らしい歩調で、リンは廊下を歩いていた。その肩の上で、スイは、リンの歩調に合わせてひょいひょいと尻尾を揺らしていた。


 ちらりとリンを見やれば、どことなく落ち着かない顔をしていた。そわそわ、とでも表現すべきか。実際、一見のんびりした歩調だが、注意されないギリギリの早歩きをしている。お目当てのひとに早く会いたいらしいことがうかがえた。


 かわいいなあとスイが頬を緩めたとき、ちょうど目的地に到着した。なんの変哲もない病院の部屋である。控えめにノックをしてから、リンとスイは病室に入った。


 奥のベッドに、青白い顔の若い男性がいた。本から目を上げ、近づいてくる見舞い客がだれだか認識して微笑んだ。


「こんにちは、リン」


「クィレル先生、こんにちは。具合はいかがですか?」


「おかげさまで元気ですよ」


 ひどく柔らかい笑みを浮かべるクィレルに、スイは違和感しか覚えない。あの神経質などもり教授の像と似ても似つかない。別人すぎる。どもりがなくなってターバンが外されて頭部に髪が生えただけなのに……いや、この三つの変化が起これば彼のアイデンティティは消え失せたも同然か。思い直したスイは遠い目をした。


 一方のリンは、違和感など覚えないようで、いそいそとベッド脇の椅子に腰かけ、鞄から紙袋を取り出した。


「伯父上が、先生が暇つぶしに読めそうな本をくれましたので、持ってきました。先生の趣味に合うといいのですが……」


 やけに分厚い本に若干頬を引き攣らせながら、クィレルは本を受け取り、ぱらぱらめくって流し読みした。ところどころでじっくり読み込んだあと、顔を上げ、じっと自分を見てくるリンへと笑みを見せた。


「気に入りました。ミスター・ヨシノにありがとうとお伝えください」


「はい」


 うれしそうに笑うリンを見て、クィレルは瞬きをした。おもむろにそっと手を伸ばして、彼女の頭に手を置く。ぎこちない手つきで頭を撫でられたリンは頬を染め、落ち着かないように視線をしばらく彷徨わせ、それから目を伏せてはにかんだ。


 ばふっと音を立ててスイはシーツに突っ伏した。ぶるぶると身体が震える。慣れないスキンシップをされてドギマギしつつでもうれしいと無言で表現するリンがかわいい。


 一通り悶え苦しんだあと、なんとか平静を取り戻したスイは顔を上げた。するとリンがクィレルのほうに少し身を乗り出して本の読み聞かせっぽいものをされていたので、スイは再びシーツに突っ伏した。


 なんだその親子っぽい光景。リンかわいい。クィレルよく見たら地味にイケメンじゃないかちくしょう。スイはシーツを握りしめた。たとえ読み聞かせの内容が「マグルの飛行機が空を飛ぶ原理」という小難しいものであっても、一見ほのぼのした光景は破壊力抜群だった。


「……クィレル先生は、マグルの世界の法則についても詳しいんですね」


 しみじみとしたリンの言葉に、スイはがんばって顔を上げた。身を起こしたリンが、感嘆の表情を浮かべてクィレルを見ていた。


「物理の法則まで理解している魔法使いは、そんなに多くないと思うのですが」


「……私の祖父がマグルでして。おじいちゃんっ子だった私は、彼からいろいろ教えていただいたのです。ハーフでマグル界育ちだった父も、いわゆる『理系』に強くて……たくさん、私に教えてくださいました」


 唐突に始まった思い出話に、スイの目は点になった。クィレルの少年期が予想外すぎて反応に困る。一時とはいえヴォルデモートに与〔くみ〕したやつが、マグルの祖父が大好き、マグル界のことを父に教えてもらったとか。意味が分からない。


 衝撃を受けた顔でクィレルを凝視するスイをよそに、リンは、ぼんやり遠くを見やるクィレルを見上げた。口元にはかすかに笑みが浮かんでいる。


「きっと、優しくて頭の良い方々だったんでしょうね」


「……そう、ですね……こんな私もかわいがってくれた、優しいひとたちでした」


「じゃあ、クィレル先生の優しさと説明の上手さは、おじいさんとお父さん譲りなんですね」


 笑うリンの言葉に、クィレルは驚いたように目を見開いた。そんなまさかという表情でリンを見、彼女と目が合うとパッと逸らす。膝の上で本を開いていた手に、きゅっと力がこめられる。


「わ、私は……優しくなど……ただ、不安がりの臆病者で……」


「……私から見たクィレル先生は、不器用だけど優しい、あったかいひとです」


 ぎこちなくだが、頭を撫でてくれる。柔らかく笑いかけてくれる。話に耳を傾けてくれる。質問にきちんと応えてくれる。それに ――― ダンブルドア曰く、リンのことを愛してくれて、守ってくれた。


「クィレル先生はあったかい気持ちをたくさんくれるので、す、好きです」


 肝心なところでどもるリンへと、クィレルは驚いた顔を向けた。「好き」と言われたことが意外らしい。当然わかってると思うけど Love じゃなくて Like だからな。スイは半眼で無言の圧力を向けた。


「あの、だから、先生の命が助かって、いまこうして生きててくれて、私、すごく感謝してます」


 予想より早くに駆けつけたダンブルドアと、緊急搬送された先でのハルヨシ・ヨシノの尽力のおかげで、クィレルは一命を取り留めた。ヴォルデモートが身体を離れた瞬間に生命力が根こそぎなくなりかけ、しばらく入院する羽目にはなっているが、とにかく生きている。


 はじめて見舞いにやってきたときのリンを不意に思い浮かべて、クィレルは目を細めた。じわりと歪む視界を手で覆って、クィレルは俯いた。


「……もらっているのは、私のほうです……」


 声にならない囁きであったため、リンには聞こえなかったらしい。聞き返されたが、クィレルは首を横に振った。顔を上げてリンに微笑みかけ、そっと彼女の頭へと手を伸ばす。


「……私を好いてくださり、ありがとうございます、リン」


 ぱちくり瞬いたあと、リンは頬を染め、くすぐったそうにはにかんだ。そんなリンの頭を撫でながら、クィレルはさらに柔らかく目を細めた。




**あとがき**

 茉莉様リクエスト“「世界」でもしもクィレル先生が生きていたら”でした。「ほのぼので」とのことでしたので、ほのぼのしてもらいたかったのですが、なぜか途中から切ない方向に走っていきました。

 どうしようクィレル書こうとするとどうしても切なくなる。ほのぼの、ちょっぴり甘い感じを書きたかったのに。sincere が持つ彼のイメージの問題です。申し訳ない。

 クィレルの過去は完全に捏造です。そんな幼少期だったらいいなって。一応公式( wiki )でクィレルは混血だとあったので、このくらいの捏造は許されるはず。とにかく根は優しいイケメンだと信じてます。



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