「……明日、かぁ」 バツ印だらけの自作カレンダーを眺めて、僕は呟いた。 それから振り返って、机の引き出しから封筒を引っ張り出す。一か月前、ハグリッドが、別れ際に渡してくれたものだ。 じっと、手の中のものを見つめたあと、僕は部屋を出て、居間へ向かった。 バーノンおじさんたちは、三人揃ってテレビのクイズ番組を見ているところだった。その光景に、僕は思わず目を疑う。 だって考えてみてよ。ペチュニアおばさんはともかく、バーノンおじさんと、あのダドリーが、クイズ番組を見てるんだよ? 信じられない。答えが分からないくせに視聴して、いったい何が楽しいんだろうね。笑っちゃうよ。 堪え切れずに、ふっと空気を吹き出してしまう。ダドリーが勢いよく振り返って、悲鳴を上げながら、部屋から飛び出していった。 驚き。すごい反応速度だ。いつもの鈍くささはどこにやったんだろう。いつもあれくらい機敏だったら、僕も助かるのに。残念なやつ。 ……なんてことを思いながら、一歩バーノンおじさんに近寄る。ペチュニアおばさんが、急いで立ち上がって、キッチンへと逃げ込んだ。 取り残された、僕とバーノンおじさん。間にあるのは沈黙。ひとまず僕は、バーノンおじさんに話しかけた。 「ねぇ、バーノンおじさん」 おじさんは、返事の代わりにか、ウームと唸った。僕は一瞬、ブタの唸り声かと思って、吹き出しそうになった。だめだ、今日、笑いの沸点が低すぎる。なんとか平静を保ちつつ、僕は用件を持ち出した。 「明日の十一時に、キングズ・クロス駅から、学校行きの汽車に乗るように言われたんだ。それで僕、バスに乗って行こうかと思ってるんだ。だから ――― 」 「バスだと?」 バーノンおじさんが唸った。僕の方に振り返った彼は、しかめ面をしている。予想通り。僕はニッコリ笑った。 「うん。その方が、おじさんたちもいいでしょう? 僕に構ってる時間ないものね」 おじさんが苦々しげに眉を寄せる。だけど僕は気づかないふりをして、バスで支払う運賃を出してくれないかと頼んだ。何も裏がなさそうな、あどけない表情でね。 (……考えてる考えてる) バーノンおじさんの思考回路が、目まぐるしく機能しているのが分かった。彼は、どうしようか考えてるんだ。 なにせ、僕が公共交通機関を使って魔法学校に行くのは、彼にとって耐えがたいことなんだから。具体的に説明してあげようか。 彼は、こう想像するんだ。僕が、大きな重いトランクを引きずって、おまけにヘドウィグを連れて、バスに乗っている……そして、僕の周りの人たちは、僕を不審そうに見る。 そして、そこにいるかもしれない自分の知り合いは、こう思うだろう……あの子は、ダーズリーさんのところの孤児〔みなしご〕じゃないか? 一人で、いったいどこに行くんだろう? そして彼(または彼女)は、今度さりげなくダーズリーさんに詮索を入れようと思うに違いない……。 「………キングズ・クロス駅だな?」 「そう。いくらするのか、おじさん知ってる? 僕、乗ったことないから、知らないんだ。まぁ、いざとなったら人に聞くから、別にいいけどね」 けろりと、さらに爆弾を落としてやる。バーノンおじさんが、ぎょっと目を見開いた。 そんなことしたら、余計に注目を集める! 印象に残る! おじさんの心の叫びが、はっきり聞こえた気がした。 「………バスはなしだ。やけに高いからな。割に合わん。車で連れていってやる……どうせ明日は、ロンドンに出かけるし……」 「本当に? ありがとう、おじさん」 ぶつぶつした呟きは無視して、明るく礼を言う。そして、荷物を準備してくると言い置いて、居間から出た。 それにしても、おじさんが賢い人でよかったなぁ。階段を上りながら、僕は口元に笑みを浮かべた。 翌日、午前十時半。僕は、キングズ・クロス駅に到着した。 バーノンおじさんは、わざわざ駅の中までついてきた。僕のトランクを放り込んだカートを押して。そうして、僕に意地悪いこと(お前の列車はまだ来てないようだな、とか、せいぜい新学期を楽しめよ、とか)を言って、去った。 ……甘いな。そんなの意地悪にも皮肉にもなってないぞ。手本を見せてやろうと、僕は、去っていく彼の背中に向けて、笑顔で手を振った。 「見送りありがとう、おじさん! もし行けなかったら、ポリスに家まで送ってもらうから安心して!」 「帰ってこんでいいわ!!!」 ぐるんと振り返ったおじさんは、くわっと目を見開いて怒鳴った。周りの人が、おじさんに冷たい目を向ける。おじさんが、たじろいだ。 公衆の面前ってことを忘れて、仮にも甥にひどいことを言うからだ。ざまあみろ。 (……しかし、九と四分の三番線かぁ) バーノンおじさんに背を向けて、僕は歩き出す。しかし、このカート(主にトランク)、なかなか重い。汽車に積み上げられるか心配だ。仕方ない。いざとなったら、誰かに頼もう。 どうでもいいことを考えながら、とりあえず、九番線と十番線の間の柵の前まで行く。そして、じっと観察する。なかなか頑丈な柵だ。魔法族が押したら開くとか、そういう感じかな。 そんなことを期待して、手を伸ばす。しかし、柵は開かなかった。 「……………」 代わりに、僕の手は、柵をすり抜けていた。しかも、空気に触れている感触がある。柵の向こうには、何か空間があるらしい。 「………とりあえず、行ってみよう」 だめだったら、また考えるってことで。そう結論を出して、僕は、一度カートを手に柵から離れた。適当な距離を取って、そこから、柵へと突進。 昼寝(彼女にとったら、通常睡眠)をしていたヘドウィグが、バチッと目を開けた。その目が僕を捉えて、何事かと問うていたけれど、無視させてもらう。ごめんよ、ヘドウィグ。僕、いまは走るので忙しいんだ。 カートの先が、柵に吸い込まれる。そう思ったと同時に、僕の視界も、がらりと変わった。 「………驚き」 探していたプラットホームが、僕の目の前に現れていた。プリベット通りまで、ポリスに送り届けてもらう必要は、どうやらなくなったらしい。嬉しいやら、残念やら。 とにかく、乗るべきコンパートメントを探そう。そう思って、歩き出した。 しばらくして、最後尾の車両近くで、空きのコンパートメントを見つけた……けど、一歩遅かった感じだ。赤毛の集団が、その列車の戸口にいる。 他を探すか……そう判断して、カートの向きを変えようとして ――― そこで、僕は、左腕に衝撃を感じた。 「きゃっ」 「え」 誰かにぶつかった ――― そう思うより先に、手が伸びた。 バランスを崩して、地面に倒れ込みかけていた女の子を、腕を掴んで引き寄せる。ポス、と軽い音を立てて、彼女の顔が、僕の肩ら辺に当たった。 「………ごめんね。大丈夫?」 身体を離して、彼女を見下ろす。小さな女の子だ。一つか二つ年下っぽい。キラキラ光る赤毛が、とても綺麗だった。 「…………」 「………、?」 彼女は、なぜか、黙ったまま僕を見上げていた。僕を見上げて、そのまま硬直した、という表現の方が、正しい気がするけど。とにかく、僕を見つめていた。 「……えっと、大丈夫?」 「………っ!!」 もう一度、同じことを問う。すると彼女は、ボンッと顔を真っ赤にして、僕から離れた。そして、声になっていない声を上げて、走り去る。僕は、呆然とそれを見送った。 「………何事?」 「そうだなあ、分かりやすく言うと」 「いま君は、うちのジニーの心を奪ったんだよ」 「あ、君たちの妹なの? ちょうどよかった。あとで僕からの謝罪を伝え直しておいてくれる? たぶん彼女、僕の言葉は聞こえてなかったと思うから」 「すごいナチュラルにいろいろスルーしたなあ」 「リアクションらしいリアクションがなかったよな」 「拍子抜けだな」 「まったくだ」 僕の頭を挟んで、ポンポンと会話がなされる。横顔も声も同じなので、双子か何かなんだろう。この二人も、燃えるような赤毛だ。 「で、君の名前はなんだい? 教えろよ。ジニーに教えなきゃならないからな」 「いや待てフレッド。まず僕たちが名乗るのが礼儀じゃないか?」 「それもそうだな。よし。いいか、君。僕はフレッドだ。こっちはジョージ」 「悪名高き、双子のウィーズリーさ」 「さあ、君の名前は?」 半ば脅すように、しつこく名前を聞いてくる双子。肩に回された腕が、暑苦しい。というか、この二人の存在が、そもそも鬱陶しい。 めんどくさいので、僕は、さっさと終わらせることにした。 「僕は****だよ」 「****?」 「驚いたな。君、もしかして」 「****・ポッター?」 「ああはいはいそうだよ僕が****・ポッターだよそれが何か?」 ポカンと見とれてくる双子。僕は居心地の悪さを感じて、彼らの腕を、強引に振りほどいた。意外とあっさり離れて、ちょっとだけ拍子抜け。ハグリッドみたいに、てこでも離れないかと思ったんだけど。 まあ、そんな感じで、僕は肩を軽く払って、カートを手に取った。最後にもう一度と、双子に目を向ける。彼らは、まだ呆然としていた。 「じゃあね、先輩」 さて、どこか空いてるコンパートメントはないかな。いや、その前に、そろそろ汽車に乗り込んでないとだめか? そんなことを考えながら、僕は、背中越しに「やばいぞ、ママ!」「とんでもない奴がいる!」という声を聞いて、溜め息をついた。 天国にいる(と思う)父さん母さん、僕の学校生活は、なかなか苦労しそうです。 Others Main Top |