「ほんとにロンドンに魔法の街があるの?」

 そわそわキョロキョロするハリーに苦笑して、リンは彼を引き寄せて口を閉じさせてから「漏れ鍋」のドアを開けた。トムが「こんにちは、ミス・ヨシノ」と笑いかけてきて、隣のハリーに目をとめて固まった。

 残念ながら一同の「ハリー・ポッターだ!」騒ぎは回避できなかった。超能力でフラグを折ってもよかったが、それも酷だと思ってしまったのが敗因である。頃合いを見てハリーを回収し、リンは店の裏に向かった。ハリーは何が何だか状態だったが、ちゃんとついてきた。

「今のなんだったの?」

「君が“ハリー・ポッター”だからだよ。昨日説明したでしょう?」

 ハリーがむずかしい顔をした。自分が「生き残った男の子」として讃えられているというのが、まだ受け入れられないらしい。ロンドン郊外のマグル界で育ったし、常に結界を張って魔法界からの接触を遮断していたので、無理はない。内心で苦笑をこぼしながら、レンガをたたき終わる。

 現れたダイアゴン横丁に、ハリーがポカンとする。彼の頭をポンとして、リンはアーチをくぐった。

**

「リン、仕事が大学教授って嘘なの?」

 ダイアゴン横丁の買い物の翌日、ハリーが聞いてきた。今まさに授業計画をパソコンで作成していたリンが、「……これを見てなおそれを聞く?」と呆れまじりのため息をつく。ハリーは「だって」とリンの椅子の背もたれに寄りかかった。

「昨日ダイアゴン横丁の人たち、店の人もお客さんもみんなリンのこと知ってたみたいだから。リンはずっとマグル?の世界で仕事してたのに変だなって思って」

「……一応ちゃんとマグルの大学教授をしてる、君の護衛担当の闇祓いだよ。出勤要請がきて向こうに行くときは、分身に大学教授させてるけど」

「何それ初耳」

 興味津々でのぞき込んでくるハリーを適当にあしらって、リンは軽快にキーボードをたたく。どこからどう見ても情報機器に強いキャリアウーマンである。ハリーは感嘆の息をついて、リンの後ろから抱きついた。

「リンも魔法が使えるの?」

「使えるよ」

「見たい」

「いいけど、代わりに何をしてくれるの?」

「えっ」

 何ができるだろう。ハリーは真剣に考えた。リンは教育方針として、必要以上のワガママについては対価を求めてくる。ふだんなら掃除や皿洗いで希望を叶えてもらうが、さすがに今回はそんな対価じゃダメだろう。自分にできる範囲で相応の対価……ハリーはグルグルと考え込んだ。

 悩む声を聞いて、リンは苦笑した。そこまでむずかしく考えなくてもいいだろうに、まじめだ。やっぱりジェームズよりリリー似だなぁと感想をもつ。自分の育て方に問題がなかったようで何よりである。

 気が向いたら簡単な浮遊魔法でも使ってあげよう。ぼんやり考えて、リンはなんとなくハリーの頭を撫でた。

**

「ほんとに柵なんて通り抜けられるの? このまえもたれかかったときは堅かったよ」

「あれは違う柵だったからね。通り抜けられるのは九番線と十番線の間の柵だけ……こんにちは、モリー」

 返事の途中で、斜め後ろから追いかけてきた赤毛の集団に気づいて、リンが振り返ってあいさつをした。ハリーも振り返って、ぱちくり瞬いた。みんながハリーを見ている。ハリーを紹介するリンに合わせて頭を下げると、頭をポンとされた。

「ハリー、ウィーズリーさんだよ。温かくておもしろい人たちだから、きっと君も気に入る。ロンは今年入学でしたよね」

「ええ。ほら、ロン」

 ひょろりとしたそばかすの男の子が、顔を赤くして前に出てきて「よろしく」と呟いた。それを皮切りに、ほかの赤毛の子どもたちも紹介される。なんとか名前を頭にたたき込んで、ハリーはよろしくと返した。

「ひとまず九と四分の三番線に行きましょうか」

「ええ、そうね……じゃあ、ウチのパーシーからでいいかしら」

「お願いします。ハリー、しっかり見ておくんだよ」

「ウン……」

 通り抜け方に何か手順があるんだろうか。不安に思ったハリーはそわそわとパーシーを見守ったが、ふつうに通り抜けていったようにしか見えない。後続の双子も同様だった。「ただ突っ切るだけでいいの?」とリンを見上げたら「うん」と返された。だったらしっかり見ておけとかプレッシャーを与えないでほしい。諦めのため息をついて、ハリーはカートを押して、柵に向かって駆け出した。

 怖くなって目をつむりはしたが、無事に九と四分の三番線に着いた。リンとウィーズリー一家と並んで、あいているコンパートメントを探す。途中、パーシーは監督生の車両に行くと言っていなくなり、双子も友達を見つけていなくなったので、最終的に同乗者はロンだけになったが。

 見つけたコンパートメントに、リンが二人ぶんの荷物を瞬間移動させて、ハリーは目をキラキラさせた。やっぱり魔法カッコいい。実はリンが使っているのは魔法ではないと、このあとロンから教えられるが、それはまた別の話である。

「じゃあ、いってらっしゃい、ハリー」

「……ウン、いってきます」

 あっさりと送り出すリンを、ハリーは不満顔で見上げた。もう少し寂しがってくれてもいいと思う。隣のロンなんて、ウィーズリー夫人にガッチリつかまってキスされているのに。諸々の念をこめて見つめると、リンが瞬きをした。クシャッと頭を撫でられる。

「極力怪我のないようにね」

「……ウン」

「いろいろ否応なしに注目されるだろうけど、悪意に基づく言葉はすべからく無視すればいいからね。好意に基づく過剰な英雄視とかは丁寧に謙遜すればいいし」

「ウン」

「何かあったら手紙を書いてくれれば返事を出すよ」

「……何かないと書いちゃダメ?」

 ぱちくり瞬いたリンが、やがて柔らかく笑った。「何でもない便りも大歓迎」と楽しそうに髪を整えられる。ハリーも口元を緩ませた。

「論文とか資料作成にかまけて食事や睡眠を忘れたらダメだからね」

「善処するよ」

「約束して」

「……分かった。約束する」

 降参したリンに満足げにうなずいて、ハリーは思い切って抱きついてみた。一瞬の硬直ののち、静かに抱きしめ返される。ハリーは笑みをこぼして、頬にキスした。

「いってきます」

「……いってらっしゃい」

 ほんとうに一瞬のキスを返されて、剥がされた。列車に押し込められる。続いてロンも乗り込んできた。発車時刻だ。窓越しに手を振ると小さく振り返され、ハリーはにっこり笑った。学校生活、がんばろう。


****
 ハリーの育て親の場合、夢主はイギリス在住。ハリーがカルチャーショックに悩まされないようにと。スキンシップもがんばって慣れた。



Others Main Top